bronson69の日記

いつか読み返して楽しむための文章。

キングオブコント2021(というか空気階段)

空気階段おめでとう。最高の大会だった。今年は「変なやつにツッコむのではなく、受容する」ことで笑いを作るネタが多く、そうじゃないネタは「古い」とジャッジされるような雰囲気があった。ポリコレとか放送コードとかもうそういうことでもなく、単純に世の中がそういう雰囲気になってるってことなんだろう。

そんな中でも空気階段の世界観は一歩先を行ってた。男性ブランコ蛙亭やザ・マミィのネタはまさに「異質を受容する」ことが笑いになる構造なのだけど、空気階段は「異質を受容」なんてことをわざわざやったりはしない。空気階段の世界では、もはや「異質は普通」になっている。人間はみんないびつで、一見まともな人間にも異質な部分があり、一見ヤベえやつにもまともなところが当然にある。空気階段はそういう世界観でコントを作っている。この世界には、ドMな消防士もドMな警察官も普通にいて、プレイ中に火事があったら人命救助に命を張る。小学生のころの自作の漫画の設定を再現したカフェを経営するおっさんがいて、そこではこだわりのコーヒーを出したりするし、たまたま店に入った若者がそれを面白がったりする。定時制高校の滑舌の悪いダミ声のおっさんが16歳みたいな恋愛をする。それは、なんにも変じゃない。いや、変かもしれないし、思わず笑ってしまうようなことなのかもしれないけれど、でもそれは、アリとかナシとか、誰かにジャッジされるようなことではない。「まとも」な誰かにツッコまれるようなことではない。なんならそういう、「まとも」な観点で言えばダメだったり変だったりうだつがあがらなかったりする、そういう不器用なやつらの不器用な振る舞いのほうが、「まとも」な振る舞いよりもずーっとずーっとグッときたりする。

いま興味があるのは、二人のそういう世界観はどうやって育まれたのか?ということだ。もぐらがずっと聴いてた銀杏BOYZみたいなロックンロールはモロにそういう価値観なので、もぐらがそういうヤツなのはよーくわかるのだけれど、かたまりはどういう流れでそうなったんだろう。「お笑いのある世界に生まれてよかった」とか、「生きてる意味がある」(こんなん「生きてる意味なんてなんにもない」って思ってたやつじゃないと吐けないセリフだ)とか、そういう言葉を、大舞台で本気で言える、そういう人間は、どういう本を読んで、どういう音楽を聴いて出来上がったんだろう。誰かそういうインタビューでもやってくれないだろうか。