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bronson69の日記

いつか読み返して楽しむための文章。

草津へ

相変わらずファッキンビジーな状況でもともと多くないMPをガリガリと削りながら過ごしている。自覚症状はないのだけれど時折シュオオオオオみたいなクソデカボリュームのため息をついてしまっているらしい。指摘されるまで気がつかなかった。意識の片隅にそのことを置いてみると、なるほど確かに渾身のため息を吐くことがある。あ、これか、となるような深く長いため息を吐きながら、俺は龍じゃなくて良かったな、もし龍だったら何回かに一回はうっかりしゃくねつのほのおとか吐いてんだろうな、俺そういうミスやりがちだからな、みたいなことを思った。もし龍だったら大変なことになっていたんじゃないかランキング、第一位はハイキングウォーキングのQ太郎だと思う。山手線一周言い終わる前にヤバいブレスを吐くことになる。龍にコーラを飲ませてはいけない。

 

そんな感じの毎日を過ごしていると、まずやられるのは好奇心である。仕事も娯楽もひっくるめて、あらゆるインプットが億劫になる。なのでドラマも映画も本もロクに触っていない。音楽も聴いてない。愛用のワイヤレスイヤホンがどこにあるのかも定かではない。呼べば音声で応えるような機能がついてればいいのに。けれどそこはイヤホンだから、出せたとしても小さな小さな音しか出ない。大きな音を出したいだろうに、わたしはここです、見つけてください、と蚊の鳴くような声でささやくことしかできない。ああ、わたしどうしてイヤホンなのだろう、わたしスピーカーだったらよかったわ、二軒となりの家まで聞こえる大きな音を出す、そういう近所迷惑なスピーカーだったらよかった、そうすればどこにいたってわたしを見つけてもらえるから、わたしスピーカーだったらよかったわ…。春になって着なくなった冬物のコートのポケットでワイヤレスイヤホンはスピーカーの夢を見る。しかしもしイヤホンがスピーカーだったとしても、借家暮らしの俺はそんなうるさいスピーカーを購入しようなんてまったく思わないのである。悲しい話だと思いませんか。

 

そういえば草津へ行った。手配したのはまだ真冬の頃で、そのときにはいまがこんなに忙しくなるとは思っていなかったのだ。ほとんど徹夜のように仕事をして、バスタ新宿を朝に出る高速バスに乗りこむ。たっぷり四時間のバス異動。早々に眠ってしまい、起きたのは二時間後。バスはすでに高速を降り、車窓には山あいの田舎の風景。地元にいたころよく見たような景色。東京では見頃をすぎたソメイヨシノがここらでは盛りである。少しバスをとめてほしいな、と思うような桜の森がそこかしこに広がっている。週末なのに、花見客はいない。誰もいない満開の桜の森。出来るならば、夕暮れが夜になるまでそこで大の字に寝転んで過ごしたかった。薄桃色の霞が青く染まっていくのを見ながら、自分がどんなふうになっていくのか、確かめてみたかった。いつのまにか自分も花霞の一部になって、だんだんに輪郭を失って、一迅の風とともに消え去ってみたかった。坂口安吾の小説みたいに。

 

草津に近づくにつれ、桜は姿を消していく。標高が上がっていき、代わりに残雪が現れる。高原の四月はまだ冬なのか、とバスを降りると思いのほかに柔らかい空気。ああ、これがここの春なのだな、と思う。そういえばそうだった、生まれ育った北国もこんなだった。名残りの雪があっても、桜はまだでも、それでも四月は春だった。

 

草津は坂の街である。なにせ山だから仕方ない。一泊にしては多すぎる荷物を抱え、我々は坂を降りる。彼女はやり残した仕事をやるためパソコンやら資料やらをごっそり持ってきたらしい。どうせやらないに決まっているのに。しかしすっぱり諦めて置いてこれないその気持ちは大変によくわかる。旅先で仕事なんてしたくないし、締切考えると遊び呆けるだけの二日間なんて作りたくない。どっちも選びたくない。だから選ばない。やろうと思えば仕事をやれる状態さえ作っておけば、決断はいくらだって先送りできる。未来は常にシュレディンガーの猫であってほしい。わかるぞ。でもどうせ仕事はやらないのだよな。それもわかるぞ。

 

温泉饅頭を食べつつ湯畑の周りをぐるりと周り、湯もみショーを見学して足湯に浸かる。湯もみショー。地元のおばちゃんが付き合いで仕方なく出てるお稽古事の発表会のような出し物。満員の観客から発せられる俺は何を見ているんだろうオーラ。湯もみとは草津温泉の熱すぎるお湯を冷ますために編み出された技らしいのだけれど、それにしても観客の熱を冷ましすぎだと思う。たぶん足湯がなければ大変なことになっていた。

 

湯畑から坂道を登り続けること10分、福利厚生をフル活用して予約したお宿は、静かでチグハグで快適だった。賑わいから離れた、山あいの別荘地。三角形の積み木を重ねて作ったような、鋭角の目立つ二階建て。ただしとても横に長い。ホテルというよりはバブルのころリゾート地に作られた美術館のような外観。横長の端の部分から中に入ると、フロントは作業着のおじさん。プロっぽさはゼロだが、人の良い雰囲気。フロントで靴を脱ぎ、スリッパに履き替える。このホテルは土足厳禁なのだ。内装はコンクリ打ちっぱなし。 横長の真ん中の部分にラウンジがあり、洒落た応接セットがいくつかと地元の新聞、それに進撃の巨人刃牙道の単行本が飛び飛びに並んでいる。段差と階段がやたらと多く、推理作家がトリックの都合で設計したような面倒くさい構造になっている。しかし部屋は完全な和室。座る、くつろぐ、横たわる、眠る、であっという間に夕食の時間。レストランに行くと、客の多くは浴衣。供されるメニューは、プチコースというのだろうか、前菜3種、的鯛のポワレ、上州牛のステーキ。それにセルフサービスの味噌汁と白米。念のため、パンとスープはありませんかと尋ねると、すみませんございません、その代わりふりかけは5種類ございますのでお好みで、とのお答え。とりあえず4種類は堪能した。久しぶりに食べたけど、ふりかけって美味しいね。

 

ここまでの時点でこのお宿のチャーミングさにだいぶ惚れこんでいたのだけれど、大浴場でそれは恋に変わった。まず、人がいない。ここの宿泊客は温泉に興味がないのだろうか。週末の温泉宿で大浴場独り占めなんて初めてだ。内湯と露天で源泉が異なるのも嬉しい。特に内湯は草津6源泉でもレアなわたの湯。入ってみると、あたりが大変に柔らかい。やや濁った湯には湯の花が浮く。もちろんかけ流し。箱根みたいなチョロチョロしたケチ臭いかけ流しではなく、無人の浴槽からお湯がドバドバ溢れる豪気なやつ。さすがは草津、湧出量が違う。しばらく温まってサウナ。こちらも無人。蒸し上げて水風呂。冷たい。雪解け水そのまま流し込んでんのかってくらい冷たい。近所の銭湯の16度には嬉々として入る俺ではあるが、ここの水風呂はギブアップ。諦めて外へ出るとデッキチェア。そのまま横になる。四月といえど、高原の夜は冷える。露天風呂は半地下のような部分に作られており、目隠しの囲いのようなものはなく、リクライニングした視界にはただ星空と群青色の森が広がる。冷気に引き締められながらぼんやりと夜を眺めていると、ひょっこりと白い猫が現れた。猫はひょうひょうと歩いてきて、こちらを視認した途端ビクッとして立ち止まる。あまり人馴れしている様子はない。もう少し近づいてもらいたいので無機物になってみる。動きをとめ、目を閉じ、思考を停止する。努めて生物の気配を消す。しばらくの間そのままでいて、頭から猫のことが消えたころに目を開けてみる。猫はどこかへ消えている。立ち上がって露天風呂に浸かる。冷え切った身体に万代鉱源泉の熱さが心地よい。じっくりと温まって、またデッキチェアに寝そべる。部屋に戻るまでにそれを三回繰り返した。猫はもう現れなかった。

 

翌日。朝風呂をしっかりと堪能し、海苔と納豆と卵と梅干しと焼魚、それからご飯と味噌汁の朝食。ふりかけも5種類しっかり揃ってる。いつも思うのだけれど、お宿の朝ごはんというものはこんなに飯の友ばかり並べてどういうつもりなのだろう。この飯友たちを消費しきるのに、ご飯を何膳食べればよいのか。おまけにふりかけ。5種類。何だこれは。米食い大会か。わんこライスか。あと何升炊きなのかわからんけど見たことないようなデカい炊飯器にたんまり米が詰まっているせいで真ん中より下の部分が自重で潰れて米の密度が偉いことになってる。半殺しの餅みたいになってる。あのまま炊飯器のサイズを増していけばそのうち米のブラックホールができるんじゃないかってくらい自分の重さで潰れてる。炊きたての白米のブラックホール化。ほかほかの湯気すらも炊飯器から逃れることはできない。だから部屋の湿度も変わらないし壁や棚に蒸気が当たる心配もないし蓋を開けても水滴も垂れない。最近の炊飯器は便利だな。

 

西の河原公園を散歩し、足湯に浸かりながら大学のサークルの新歓旅行のまだ人間関係が出来上がっていない様を仏のような笑顔で見つめ、美味くてボリュームのある蕎麦と舞茸の天ぷらを食べ、共同浴場を三軒ハシゴしていたらもう帰りのバスの時間。渋滞に巻き込まれつつ予定より一時間遅れで帰宅。しかしあれだね、旅先から帰ってくるときの、車窓の景色がだんだん日常風景に変わっていく感覚、あの寂しさと倦怠感と安心感の混ざった感じ、あれはどういうふうに対応したらよいのだろうね。あれをどうしていいかいまだにわからなくて、いつもなんだかオタオタしてしまうのだ。

 

旅というとどうしても興奮して疲れてしまうタチなのだけれど、あのホテルの雰囲気や温泉のおかげで存分にリラックスすることができた。仕事のことを完全に忘れられた二日間だった。重たすぎてかわりばんこに背負っていた彼女の大きなリュックの中には仕事がみっしりと詰まっていたにもかかわらず、それを背負いながらも仕事を忘れられたわけであるから、流石は草津、温泉番付東の正横綱の面目躍如といったところか。いいなあ温泉は。どうせ仕事してればまたすぐ削られてしまうわけだし、現に草津からそう経ってないのにもう削られてきちゃってるし、また温泉に行きたいものだ。なるべく人がいないとこへ行こう。休みがとれたら。

 

朝のこと

恐ろしい朝だったので忘れないうちに記録。

 

悪夢を見た。はっきりとは覚えていないけれど、やたらと長い夢だった。長いだけあって単純な話ではなく、群像劇というか、いくつものエピソードに分割されており、登場人物も老若男女様々で、しかもそれらはシームレスかつ脈絡もなく連結されていて、登場する男性はすべて俺なのだった。現実の俺とは見た目も名前も境遇も何もかもが異なる別人なのだけれど、その夢の中では誰も彼もが俺なのだ。

エピソードは全て、男女の揉め事だった。男とは様々な俺で、女性はその俺と関係のある、しかし現実の俺には見ず知らずの、そういう誰かだった。すべてのエピソードにおいて、俺と女性の関係は終わりかけていた。どちらかが何かを言い出せば終わる空気の中で無言で過ごす話もあれば、泣きわめいて暴れる女性をなだめ続ける話もあった。女性が決定打を撃とうとしているのを察知して、それを言わせぬよう、ひたすら話を反らし続ける俺もいた。一番はっきり覚えているのは、目が覚める直前に見ていた夢だ。その夢の中で、俺は汚い初老の男性だった。不摂生の果てに獲得した色艶の悪い萎びた身体、禿げあがった頭、無精髭とはみ出した鼻毛。築年数の推定も難しいオンボロのアパート。万年床の隣には一年を通して片付けたことのないコタツがある。俺は下着のシャツとトランクスだけを身に着け、コタツに足を入れている。隣には女性が座っている。加齢のせいか、姿勢が悪く口角も下がり、陰気な雰囲気を全身に纏っている。夢の中の俺と俺の部屋に良く似合った女性だ。俺は女性にも、この部屋にもうんざりしている。女性も俺と全く同じ気持ちでいる。夢なので俺にはそれがわかっている。倦怠感は昨日今日始まったものではない。いつからなのかわからないくらいには昔からそうなのだ。俺はずっと、変化を望んでいる。この女、俺にうんざりしているこの女がそのことを口に出してくれればいいと思っている。あんたなんかうんざりだ、もうこんなのは御免だ、もう絶えられない、そう言ってこの部屋から出ていってくれればいいと思っている。そう思いながら、長い長い時間をこの部屋で過ごしている。

ならば自分から別れを告げればいいと思うだろうが、俺にはそれが出来ない。相手を傷つけたくないからだ。優しさではない。相手を傷つけることによって生ずるストレスに耐えきれないのだ。いや、それだけではない。俺は変化を恐れている。目の前のくたびれた女性と過ごした時間、うんざりしながら過ごした時間に慣れきってしまっているから、そうでない時間を過ごすことが怖いのだ。怖くて怖くてたまらなくて、自分でスイッチを押すことが出来ないのだ。そんな恐ろしいことをするくらいならこの倦んだ空間に閉じこもり続けるほうがマシだと、心の奥底ではそう思っているのだ。

女は俺の隣で顔を伏せて座っている。時折、ほんの少し顔を上げて、諦めと僅かばかりの期待の混ざった眼で俺を見る。女は俺とまったく同じ気持ちでいる。夢だから俺にはわかってしまう。俺たちは二人、床下収納の中の忘れられた食材のように、この空間の中で腐っていく。

 

目が覚めた。肩がガチガチに張っている。胃に水銀を飲んだような重たさと、キリキリとした痛みを感じる。寝ぼけた頭で考える。あれのせいだ、いまの彼女と出会う前、セフレみたいな恋人みたいなグズグズネトネトした関係にあった、終わり方がグッチャグチャだったあの女性のせいだ、寝てる間、脳が記憶を整理してるときに何かの切欠で思い出してしまって、それであんな夢を見たんだ、バチが当たったみたいなもんだ…このあたりでもう少し頭が覚醒する。そして気づく。そんな女性は存在しない。いま思い出していたこの記憶は、存在しなかったことの記憶である。俺はいま、ありもしないことを本当のことのように思い出していた。ほんの少しの間ではあるが、自分の記憶が改竄されていた。

 

刹那、全身の毛穴が逆立ち、同時に冷たい汗が吹き出る。恐くてたまらなくなり、毛布にもぐる。隣で寝ている恋人に抱きつき、お腹のあたりに顔を埋める。頭のほうから、にゃ、と寝ぼけた声がする。悪夢を見た、めっちゃ怖かった、そんで起きたら今度は記憶がおかしくなっててめちゃくちゃ怖かった、あれは反則だ、悪夢から覚めたらもっと恐いことが待ってるっていくらなんでもそれはルール違反だ、そんなことを呟きながら俺は彼女にしがみついていた。体温を感じていた。呼吸する音を、呼吸にあわせて拡張と縮小を繰り返す胴体の運動を感じていた。過去の記憶がすべて嘘でもこの感覚は疑う余地なく本当だ。そう全身に信じ込ませるには、もう少し時間が必要だった。

日記

金曜日。疲れて頭も回らなくなっていたので残りの仕事は来週にまわすことにして、少し早めの退勤。土日はお天気悪そうだし、桜を見るなら今日だよなあ、ということで少し遠回りして帰ることにする。ニューオータニの脇道を抜け、四谷のお堀沿いの土手を目指す。時刻は六時、夕方と夜の境目、世界がブルーグレーに染まる頃合い。土手の上から新宿方面を眺める。ブルーとグレーと薄桃色の混じった花びらが霞のように視界を遮る。その向こうには四谷の駅が、さらに遠くにドコモタワーが煙っている。タワーの奥はまだほのかに夕焼けの橙が残っている。風が吹くたび、花霞がさわさわと揺れる。印象派の絵画のような風景。


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 僕の撮る写真はいつだってピントが甘い。

 

週末は雨。たまった疲れを落としたいのにこんこんと眠り続けることが出来ずしんどい。どうしても目が覚めてしまう。眠たいのに起きてしまう。なんだろな。歳だろか。仕方がないので洗濯機を回す。窓を開けると当然のように雨。浴室乾燥機を起動させ、風呂場に濡れた洋服を詰め込んでいく。これで長風呂も出来なくなった。仕方がないので部屋を掃除。増設した本棚がもう一杯になってしまった。もう置くとこないぞ。困った。片付けて掃除機かけてハタキをかけて、録画していたブルース・ブラザーズを見ながらなんとなくツイッターを眺め、ブルース・ブラザーズのバックバンドであるMG'sと清志郎がアルバムを作ってると知り、YouTube清志郎を聴く。リンクを転々とするうち、いくつかの動画が見れなくなっていることに気がつく。すべては権利者のさじ加減なのだとわかってはいてもやはり悲しい。動画は永遠ではないのだ。そういえばウチのビデオテープもそろそろ見れなくなってもおかしくないな、今のうちにHDDにコピーしとかなくちゃな。思い立った勢いのままテレビ台を動かし、ホコリと格闘しながらビデオデッキとBDレコーダーを接続。クローゼットの奥からビデオテープを引っ張りだす。ほんで98年の豊洲フジロックのやつとか99年のライジングサン初回のやつとか再生&ダビングをやりつつ鯖とトマトとココナッツミルクのカレー作って食べたり在りし日のミッシェルとブランキーのカッコよさに撃たれたりしていたらあっという間に深夜。でも刺激物ばっか摂取してたから寝られない。疲労が抜けないまま月曜日を迎えることがほぼ確定。ああ、なんとか乗り切らなくては。

風呂

好評につき繁忙期は上映期間を延長してお届け中。

 

ここ最近は風呂が好きで、忙しくてもシャワーではなく湯船につかるようにしている。雑に浴槽を洗い、蛇口をひねり、お湯を張る。部屋に戻る。ブザーが準備完了を知らせる。あとは入るだけなのだけれど、ここで悩む。手ぶらで向かうべきか、漫画の一冊も持って入るか?

 

手ぶらはハイリスクハイリターンだ。何も考えずにボーッとすることができれば最高。心の底からどうでもいいことをぼんやり思い浮かべるのも良い。酷いのは仕事のことを考えてしまうとき。ちょっと思い出すくらいならまだしも、何かを思いついてしまったりするともういけない。明日まで忘れぬようにしなくては、せめて風呂から出てメモをするまでは…となって風呂どころではなくなってしまう。そっから連想ゲームが繋がって頭が高速で回りだしたりすると事態はさらに悪化する。風呂がリラックスタイムではなくなってしまう。なんでこの壁はホワイトボードになってないんだ、この風呂場が会議室ならいいのに、みたいなことを考え始める。

それでもそれが明日の仕事に役立つのなら百歩譲って良しとしよう。最悪なのは、仕事ではない、そもそも自分の問題ですらないことの問題解決が始まってしまうパターンだ。近所のめっちゃ美味いラーメン屋、いつ行っても常連のジジイが泥酔して絡んでくるあの店、あそこからあの爺さんを叩き出すにはどうしたらいいか、しかし注意しない時点で店主はあの爺さんの存在を、というか毎日安くない金を落としてくれる常連を尊重する判断を下しているわけで、たまにしか行かない客である自分がその判断に口出しする権利なんてどこにもないんだけど、でもあの爺さんがいなかったら俺の来店頻度はたぶん倍くらいにはなるだろうし、そういう潜在的な常連客候補はどれくらいいるのだろうか、それと客単価と掛け算して爺さんからの収益と相殺できたりしないだろうか、しかしそんなことをいくら考えたって爺さんはいなくなるわけでもなく、ただ俺の優雅なバスタイムが台無しになるだけなのである。うん、やっぱり最悪だ。

 

そこいくと漫画はいい。ぼんやりとはできないけれど、気分や回転をちょうどいい感じにしてくれる。大切なのはチョイスだ。かき乱されすぎてもいけないし、スカスカでもいけない。初見のやつだと集中しすぎてしまうし、何度も読んでるやつでは興を削ぐ。「風呂で読むのにちょうどいい一冊」を選び出すのはなかなか難しいことなのだ。ちなみにこれまでに読んだなかでいちばんちょうどよかった漫画は、買ったときに一度読んだきりの志村貴子の「こいいじ」でした。感情の揺れが日常に溶け込んでいるあの漫画を、知らないわけではないが覚えてもいない状態で、お湯に浸かりながら読む。なんとも曖昧で、ぼんやりとして、本当に至福のひとときだった。

 

 

東京では桜が満開になったという。いまの通勤の行き帰りの道には桜がないから、まだ今年の桜を見れていない。美味しい日本酒も取り寄せたことだし、週末まではなんとか持ってほしいな。

 

年度末

忙しい。忙しいって書いた瞬間、忙し自慢するひとってカッコ悪いよね、みたいな第三者目線が頭をもたげてくるわけだけれど、そんな自意識過剰を乗り越えて書いちゃうくらい忙しい。もちろん世の中にはもっと忙しいひとはいくらでもいるのだろうけれど、自分としてはこれだけ忙しかったらもうお腹いっぱいだ。忙しいよー。めんどくさいよー。放りだしてキングコング見に行きたいよー。アサリと菜の花とココナツミルクでカレー作りたいよー。抜け出して公園でビール飲みたいよー。

 

今週のはじめ、こりゃめたくそ忙しくなりそうだぞ、とわかった日に、豚汁を作った。これさえあれば遅くに帰ってきても簡単に温かい食事が出来る。一品で満足できるように、具を盛りだくさんにした。向こう3日くらいこれでしのごうと思い、多めに作った。具を多めに作ろう、量も多めに作ろう、多め×多めだから具を山盛りにしよう。計算の結果、部活の合宿みたいな大鍋いっぱいの豚汁が完成した。

 

それから朝に晩に豚汁を食べ続けている。まだ半分もなくならない。こまめに火を入れているおかげか、傷む気配はまだないのだけれど、それ以前に飽きてきた。ねえこれどうしたらいいと思う、と彼女に相談すると、お前は何を言っているのだ、こういうときはカレールー一択だろう、そんなこともわからないのか、まったくインドカレーばかり作っているからそんなことになるんだ、というありがたいお言葉とため息をつくうさぎのスタンプが送られてきた。

 

もたらされた叡智に感謝の言葉を送り、早速カレールーを買いに行く。しばらく見ないうちに、売り場の半分をフレークタイプのカレールーが占拠していた。チョコレートみたいなタイプのやつは棚の下段に追いやられている。時代の移り変わりを感じつつ、フレークタイプを購入。帰宅して大鍋に放り込む。めっちゃ溶けがいい。またしても叡智。カレーに関わると人はみな賢くなるのだろうか。インド人がゼロの概念を発見したのはカレーのおかげなのではなかろうか。いや、ゼロの概念の発見なんかよりカレーの開発のほうが偉大な功績なのではなかろうか。インド人が賢かったからカレーを編み出したのか、カレーのおかげでインド人が賢くなったのか、そもそもカレーはインド人が開発したものなのか、考えているとわけがわからなくなってくる。あれ、俺の叡智はどこにいったのかな。

 

めでたくカレーになった豚汁を食べる。美味い。味噌の風味は消えているが和風の出汁の香りと旨味は顕在。これあれだ、蕎麦屋だ。蕎麦屋のカレーだ。蕎麦屋カレーを食べながらぼんやりとテレビを見る。こういうときは新しいものじゃなく、すでに見たものがいい。集中力を発揮したくない。カルテットを選んで流す。カルテットを流し見って物凄い贅沢をしてるな、と思う。しかしあれだな、やっぱ真紀さんって怖いな。真紀さんて、どことなくサイコパスっぽい感じがする。クドカンに対する共感性のなさとか、有朱ちゃんの死体を迷いなく遺棄しようとする感じとか。ほんとにサイコパスだ、というわけではなく、そういう資質があるように見える、というくらいだけれども。大事なもののためなら他人の迷惑を顧みない、っていうのかな。ベンジャミンさん追い出したみたいな。するっと万引きできちゃうタイプ。いざとなったら人を殺せる、もしかしたらそれは誰もがそうなのかもしれないけれど、そのハードルが低いタイプの人間。

カルテットで言えば、ヤバい人間はもうひとりいる。言うまでもなく有朱ちゃんである。真紀さんより有朱ちゃんのほうがずーっとサイコパスっぽい。サイコパスって言葉はなんかしっくりこないな、えーと、「言葉が通じないひと」ってほうがいいかな。有朱ちゃんには言葉が届かないし、有朱ちゃんから本当の言葉は出てこない。坂元さんの作品で「言葉が通じないひと」といえば、すぐに思い出すのは「それでも、生きてゆく」の文哉である。坂元さんは「文哉と洋貴の会話のシーン何度も書き直したけれど、幼女を殺すようなやつに届くような言葉を書けなかった、どうしても文哉が変わるとは思えなかった」というようなことをどこかで書いていた。同じことを有朱ちゃんにも感じる。劇中、ついぞ彼女に届く言葉は発せられなかった。

真紀さんがほんとにそういう人間だとして、真紀さんと有朱ちゃんの差はなんなのかな、と思った。言葉が届く真紀さんと、届かない有朱ちゃん。なんだろう。欲求なのかな。あるいは憧れ。有朱ちゃんは金持ちに、成り上がることに憧れた。真紀さんは普通の幸せに憧れた。その違いなのかな。

 

蕎麦屋カレーを食べながら、ぼんやりとそんなことを考えていた。

 

風呂に入って床につく。まだしばらく忙しい日々が続く。普段だらだらしているから、忙しさに慣れていない。多忙をマネジメントするスキルがない。クーリンチェもキングコングもいつ見に行けるやら。桜も咲いてしまうというのに。

ああ。はよ終わらんかなあ。

 

アーの湯、赤ちゃん、玉田企画

三連休だった。

 

土曜日だけどいつもと同じ時間に起床。風呂に入り、散髪に行く。安床でいつもと同じオーダーをする。それでもいつもちょっとずつ違った仕上がりになるので人間の仕事という感じがある。きょうの美容師さんはなかなかよい塩梅に仕上げてくれた。

 

帰宅して軽くゼルダやって試練の祠を2つほど潰して休日出勤の彼女をやさしく起こし、普通に起こし、強めに起こし、起きたところでミッションクリアで家を出る。地下鉄地下鉄JR、電車を乗りつぎ蒲田に到着。ディデアンでスリランカカレーのビュッフェ。

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カレーが6種類。ナス、バナナの葉、フィッシュ、インゲン、オクラ、豆、チキン。それからサンボルが4種類。普通のポリサンボル、辛いチリサンボル、キャベツのサンボル、オニオンのサンボル。他にも副菜がいくつか。ご飯は雑穀米とスパイスライス。とりあえず全種類を皿に乗せ、まずは個々の味を確かめ、ちょっとずつ混ぜ合わせていき、最終的にはすべて混ぜ合わせて渾然一体となった味を楽しむ。しみじみと美味い。ビュッフェなので仕方ないのだけれど、いくつかのカレーは冷めてしまっていて、本調子ではないのだろうなあ、という感じ。フィッシュカレーの魚臭さが苦手な感じだったので、二回目はフィッシュカレー抜きで。ついでにチキンカレーも抜いて、ベジタリアンな一皿に。美味い。よくわからないけど身体に良さそうな、アーユルヴェーダな風情がある。ところでアーユルヴェーダって何のことなのだろう。調べれば一発でわかるのだろうけれど、簡単にわかってしまうには惜しい言葉だと思うので調べないままここまで来ている。

 

バスに揺られて蒲田温泉へ。コントユニット「明日のアー」主催のイベント「アーの湯」を見に来た。

 

コント、浪曲、何でもレンジでチンする会、高速紙芝居、ドラえもん好きが言われるとキレる言葉、弾き語り、かっこいいポーズ、絵描き歌、有毒動物の危険性について、朗読、提案、いなり寿司のストリップ、こういう演目を、銭湯の宴会場で、ビールと釜飯をやっつけつつ見る。開演は一時、終演は八時。要するにあれです、宴会芸のフェスです。やってることはとても知性を感じる芸ばかり(馬鹿にいなり寿司のストリップはできない)なのに、見ているとどんどんIQが下がっていくこの不思議よ。AC部の高速紙芝居とロロ島田桃子さんの朗読、それに玉川大福さんの浪曲、このあたりちょっと芸のレベルが別格でした。ネタはたいそうくだらないのだけれど、そのネタと芸の落差がたまらなかった。七時間公演のラストはダンシングクイーンに合わせてみんなで盆踊り。謎の一体感に包まれて大団円。終演後も宴会場に居残ってしばし飲み続け、黒湯の温泉に浸かって終電で帰宅。よいイベントでした。

 

日曜日。子どもの産まれた友人の家で出産祝いの集い。嗚呼、生後三ヶ月の赤ちゃんの可愛さよ。順繰りに赤ちゃんを抱っこしつつ近況報告をする。学生時代も含めればもう十数年の付き合い。十数年の間にそれぞれに様々がありながら、それでも仲の良い友人関係は代わらずに続いている。よく晴れた日曜の午後、集まって赤ちゃんを愛でている。なんだろう、この普通さ。圧倒的な普通さ。あまりにも普通で、普通に幸せで、信じられない気持ちになる。こんなふうになるなんて、思ってもみなかった。こんなふうな幸せな一日を過ごすことがあって、そのことを幸せに思う、そんなことが実際に起こるなんて、想像もできなかった。帰りがけ、駅までの道すがら、そんなことを話したらみんなおんなじように思っていたようで、なんだか少しホッとした。

 

月曜日。三連休もいよいよ終わり。イベント続きの土日に疲れた感じもしつつ、小竹向原のアトリエ春風舎へ。玉田企画「少年期の脳みそ」、最終日にすべり込み。すごく良かった。部活とかサークルとか先輩後輩とか、幼なじみとか長過ぎる春とか、そういうなんとなく、何かしらのきっかけがあれば簡単になくなってしまうような人間関係。その初々しさ、不穏さ、儚さ。ダブルスの二人は部活を引退すれば疎遠になるだろう。同棲する二人はいつか「私たちこれからどうするの?」という言葉を発するだろう。大学生と高校生のカップルは就職か進学かどちらかがきっかけとなって別れるだろう。すべての関わりが「このままではいられない」ような種類のもので出来ているから、実際に為されているのがどんなにコミカルなやり取りであろうとも、舞台の上には常に終わりの気配が漂っている。それがたまらない。作中では関係の変化は描かれないのだけれど、だからこそ、変わる前の最後の瞬間を切り取ったような美しさを感じる。咲き誇る朝顔のような美しさ、というとちょっと言い過ぎだろうか。笑ってやがて切なくなる、ではなく、笑いと切なさが常に同居するような、そんな作品でした。

 

コンテンツの摂取のしすぎでちょっとグロッキー。ぐったりと疲れたけれど、よい三連休だった。

 

 

寝れない

ここ最近は寝つきが悪い。繁忙期の仕事のせいか、漂う春の気配のせいか。それともゼルダのせいだろうか。でもな、言うほどやれてないんだよな、ゼルダ。画面の中のハイラルを歩き回るのと、温み始めた空気を感じながら夜の住宅街をそぞろ歩くのと、時間があったらやりたいのはどちらかといえば、後者なのだよな。でも時間がないからどちらも出来ずにいる。勿体ないことだ。勿体ないお化けが出てしまう。しかしあれだな、「勿」って字は睫毛の長いひとの閉じた右目に似ているな。

 

寝つきは悪いけれど、生活全般が乱れているかというとそんなことはなく、食事なんかは結構ちゃんとしている。今週は野菜炒めにハマってそればかり作っていた。ニンニクのスライス、あればパクチーの根と茎のみじん切り、これを多めの油で炒めて香りを出す。豚コマを炒める。火が通りきる前に細切りにしたピーマンとエリンギを入れる。油をなじませ、少量の酒をふり、蓋をする。軽く蒸すようなイメージ。ものの一、二分、肉の色が変わるくらいで蓋を開ける。ここから一気に味付け。醤油、ナンプラーオイスターソース水溶き片栗粉を入れ、全体を馴染ませれば完成。

この手順だと、最後の最後までフライパンに塩分を加えないので、野菜から水が出ない。つまり浸透圧である。化学である。化学なのでピーマンがシャキシャキでめちゃくちゃ美味い。毎日食べてもまったく飽きない。化学は偉大である。

 

今週の僕は化学ばかりを食べているわけなので、金曜くらいの僕はもう化学の子であると言っても過言ではないのではないか。化学の子、要するに鉄腕である。鉄人ではない。衣笠ではなくアトムのほうだ。カープではなくアトムズだ。山下達郎のアトムの子ってカラオケで歌うと同じメロディの繰り返しばかりで飽きるよね、特に最後の「フィッフィ、フィィリリ」の繰り返しのとこ。そういえば山下達郎のLIVE、先行申込に気がつかなかった。こないだのcero野音もそうだった。めっちゃ悔しい。申し込んで落ちていたらもっと悔しかっただろうか。関与度上がると悔しさも増しそうだな。フジロックは何日に行けばよいのだろう。小沢健二が何日に出るのか、ということなのだけれど。昼だけでなく夜もステージがあるとか、だとすると一日券で朝までコースか。果たして体力持つのだろうか。いまこそ化学の身体が欲しい。機械の身体が欲しい。できればネジ以外のやつ。俺の体の筋肉はどれをとっても機械だぜ。そういえばアトムはラララ科学の子だからアトムの子供は科学の孫になるわけで、孫と言えば大泉逸郎だけれど、科学の大泉逸郎は科学の孫を可愛がるのだろうか。「なんでこんなに可愛いのかよ」というテーマで科学的な研究発表をするのだろうか。これはなんの話だろうか。

 

明日も早いのだからこんなことを書いてないでとっとと眠ればいいのだけれど、眠れないからこんなことをつれつれと書いているわけで、鶏が先か卵が先かみたいな、要するに親子丼みたいな感じなわけだ。親子丼かあ。食べてないなあ。めっちゃ美味い親子丼を出す店、世の中に多すぎやしませんかね。もはやありがたみがないレベル。

 

眠気こないなー。眠乞いでもやってみようか。雨乞いみたいな。火を焚けばよいのか。カモミールとかラベンダーとか燃せばいいのかな。でも火を焚いたまま寝るなんてそんなの危険すぎる。そうすると火を使わないやつだ。アースノーマットみたいな。アースノーマット置いとけばいいのかな。ベープじゃ駄目かな。どう?駄目?

 

とりあえずもう寝る体制に入ろう。布団の中のスタートラインに並ぼう。スタートラインって書いた瞬間、頭の中で海援隊が歌いだした。これは子守唄になるだろうか。武田鉄矢は人を眠りに誘うことができるのだろうか。向いてはいないような気がする、でも向き不向きとできるできないとはイコールではないからな。鉄矢、向いてないことも努力で克服しそうだしな。刑事物語でアクションやったみたいに。

 

ああ、寝たいなあ。