bronson69の日記

いつか読み返して楽しむための文章。

忘れることと巡り合わせと

11月になった。街路樹のイチョウが黄色く色づいている。見上げると、青空とイチョウの境界線がくっきりと分かれて見える。建物の、光の当たる面はいつもより白く明るく見え、影になった面はひときわ暗く見える。コントラストが鮮やかになっている。冬の光である。

 

引越しを来週にひかえ、部屋には少しずつ段ボール箱が増えている。どこにこんなにたくさんの荷物があったのだろう。ここに越してきたときには荷物も少なく、広めのワンルームは閑散としていたのに。いつのまにか部屋の広さに見合うくらいモノが増えていた。暮らしというのは部屋にあわせて営まれるものなのだろうか。四角い箱に入れて育てたメロンが四角くなるように、部屋のかたちにあわせて暮らしのかたちも変わるのだろうか。生まれたときから三鷹天命反転住宅で育った子どもはどんなかたちになるのだろうか。いつか自分が子どもを育てることがあったら、何か一つ、しょうもない嘘を信じ込ませてみたいと思う。夜のコンビニは深夜料金を取られるとか、「右」という概念を隠蔽するため「左」と「左じゃないほう」ですべてを済ます、とか。そんでいつか我が子になんでそんなことしたの?と聞かれ、なんでだったかなあ、もう忘れたわ、と答えたい。いろんなことをして、どんどん忘れていって、なんかあんま覚えてねえけどめっちゃ楽しかったなあ、とだけ思いたい。

 

サンモールは今の家から歩いて3分の近さなのだけれど、中に入ったのは今回のロロが初めてだった。父母姉僕弟君。愛と忘却とその悲しみについて、みたいなお話で、いまの僕にはあんまり刺さらなかった。父母〜が「忘れることは悲しい、けれど忘れたって消えないから!」な強い気持ち強い愛の美しさだとすると、こないだの「BGM」は「忘れることも変化することも仕方ない」と受け入れる一方、過去は過去で消えることなく(当たり前だ、起こったことはなかったことになんてならないのだ、誰が忘れようが忘れまいが)存在し続け、知らぬ間に誰かに(あるいは自分に)影響を与えたり与えなかったりする、そういう現実を描いていた。忘れることは、少しさみしいけれども、悲しいことではない。忘れられることは、過去の価値を毀損しない。忘れることを悲しむよりも、思い出すときのあの素敵さを楽しみたい。いまの僕はそういうモードなので、そういう感想になってしまう。数年前の自分だったらぶっ刺さってたんだろうな、これは。

 

引っ越す前に飲もうよ、つって友達夫婦と場末のイタリアンに行った。ロロとiTとストレンジャー・シングスとブレードランナーと、荷造りと照明とカーテンの話をした。赤海老の魚醤漬けに齧りつき、焼酎の代わりにリモンチェッロを使ったホッピーを飲んだ。思いついてひゅっと飲める距離に友達がいる、というのはずいぶんとありがたいことだったんだな、と改めて思った。二年前、ひとりきりでここに越してきたとき、彼らが居てくれて本当にありがたかった。そもそも彼らが居なければここに越してくることもなかっただろうし、そうなればいまの恋人と出会うこともなく、こつやって二人で住むために引っ越すこともなかった。大袈裟に言えば奇跡、ロマンチックに言えば運命。でもまあ、巡り合わせ、くらいが丁度いい気がする。いろいろあって、いろいろな平行世界があり得たけれどいまのこの現実はこのようになっていて、そのような世界のことを僕はとてもとても気に入っている。そんなようなことと幾ばくかの感謝が伝わっていればいいなと思う。飲んでたときにそう言えばよかったのだけれど、飲むとどうしても酔っぱらってしまうので、そういうことは忘れてしまうのだ。次に会うときまで覚えていられるだろうか。わからない。それも巡り合わせなのだと思う。

あのころの未来に僕らは

もう10月も終わり。ここ最近は秋雨前線と台風のせいで雨が続き、昼間でも底冷えがする。今日なんかは吐く息も白く、いくらなんでも10月にそこまで寒いか、と思ったがよく考えてみると雨で湿度が高いだけだった。そういえば、僕は子どものころ冬になると昼間でも氷点下を下回るような土地に住んでおり、そのころの僕は吐く息の白は氷の色だと思っていた。真冬の白い息はウルトラマンに出てくるペギラやウーの吐くような冷凍光線なのだと信じて疑わなかった。一方で雪合戦(というか背後からの雪のぶっかけ合戦、あるいは背中に入れ合戦)により冷えた指先に息を吐きかけて温めることも普通にやっていたわけで、そのあたりの矛盾についてはどのように捉えていたのか、いまの僕には知る由もない。そもそも矛盾に気がついていたのかどうか、それも危うい。息が冷凍光線である世界と、息を吐きかけて指先を温める世界。そういう背中合わせの世界を同時に生きていた。あのころ流れていたのは、そういう時間だった。

 

ストレンジャー・シングスのシーズン1とシーズン2をほぼ通しで見た。部屋の電気を消し、彼女とふたりテレビの正面に並んで座り、食い入るように集中して見た。家のテレビをこんなに集中して見たのは久しぶりのことだった。スピルバーグであり、スティーブン・キングであり、ジョン・ヒューズでもデ・パルマでもあった。E.Tだったし「未知との遭遇」だったし「アビス」だったし「霧」だったしサイレントヒルだったしバイオハザードだった。現実世界とレイヤーを重ねるように邪悪な世界が存在する、というモチーフは「ねじまき鳥クロニクル」や「海辺のカフカ」と共通するようにも思えた。でもまあそういう話はどうでもよくて、ただ年をとると物事の類似点がやたらと目につくようになるということの証明でしかなく、何よりグッときたのは、作品に「あのころ」の空気が満ち満ちていることである。あのころとは、万人に共通するであろういたいけで切実な少年時代のことであり、オカルティックなものがまだ信じられていた80'sのことでもある。いまとなっては信じられないことだけれど、あのころの僕らは世界のどこかに手を触れることなくスプーンを曲げられる人間が本当にいるのだろうと思っていた。星空のどこかには我々とコミュニケーション可能なタイプの宇宙人がいるのだろうと思っていたし、もしかしたら1999年に世界が滅びるかもしれないと本気で思っていた。あのころ、サイエンス・フィクションはただのフィクションではなかった。サイエンスとは、可能性のことだった。きょう明日、ここでは起こらないだろうけれど、いつかどこかで起こるかもしれないお話、それがSFだった。すごくふしぎなお話ではなく、すこしふしぎなお話。もしかしたら本当に起こるかもしれない、そう思えるくらい、すこしだけふしぎなお話。それがSFだった。僕はあのころ、そんなふうに物語を摂取し、小さな胸を高鳴らせていたのだ。画面の中の彼らと同じように。そのころのことがなんだかとても貴く思えた。二重のノスタルジーに打ち震えていた。

 

そういえば、スケールはだいぶ異なる話なのだけれど、来月からほんの少しストレンジャーになることになった。ようやく引っ越し先を決めたのだ。とはいえ異世界だの西海岸だのに行くわけではなく、ただ2つ隣の区に移るだけ。転校も転勤も発生せず、ただ見慣れぬ街へ行くだけである。借りたのは、古いけれど広くて清潔なマンションの一室。一階だけれど日当たりがよく、各部屋に大きな収納があり、キッチンにはオーブンがついている。近所には、深夜まで開いている書店と、たくさんの柱時計が様々な時刻を指す古めかしい喫茶店と、遠方から人が訪れる有名なケーキ屋さんがあり、それらのどこからも見える大きな大きなケヤキの木がある。すぐ近くに露天風呂のある銭湯があり、少々歩けばサウナと水風呂のある銭湯がある。地図によると大きな公園や神社もあるので、散歩が捗ってしまいそうだ。何はともあれ、街に慣れるまでのあいだ、知らない街の知らない景色を存分に楽しみたいと思う。知らない街が自分の街に変わっていく感覚を存分に味わいたいと思う。あのころの未来にこんなふうに立ってるなんて、あのころは思ってもみなかった。そんな驚きと幸福をあらためて噛みしめながら、初冬の街を歩きたいと思う。寒空に冷えきった彼女の手をぎゅっと握って、目に見えるすべてが優しさであるような時間の中を、あてもなく、ただふらふらと歩き続けていたいと思う。ずっとそんなふうにいられたらいいなと、そんなふうに思っている。

 

 

 

秋の夜長

なんだか最近よくわからなくなってきた。備忘録のことである。忘れるのに備えておくべきことなんてそんなに無いんじゃなかろうか。お芝居をふたつと映画をひとつ見た、半年見ていたドラマが終わった。それは果たして備忘しておきたいことなのだろうか。よくわからない。忘れてしまうならそれはそれで構わないとも思うし、覚えておけるならそれも悪くないと思う。当てはまる言葉を探すことも言語化せずにそのままそっとしておくことも、どちらも好ましく感じる。だからまあ、なんだってかまわないのかもしれない。のほほんとつるるんとただへらへらとしておけばそれでよいのかもしれない。わからないならわからないままでわからないなあと思っておけばよいのかもしれない。そんな気がする。

 

月の綺麗な夜があった。月を見上げて歩きながら、今夜は月が綺麗だね、と言った。たしか誕生日の何日か後だった。誕生日には公園にいった。行きたいところはありますか、と聞かれ、芝生のあるところに行きたい、日の高いうちに芝生にいって、日陰と日向のちょうどいい境目に寝転がりたい、と答え、それでその通りにしたのだった。寝転がり、焼酎のお湯割りに魚粉を入れた出汁割りを飲んだ。この飲み方は最近よく行く飲み屋で覚えたのだが、なかなか再現が難しい。たぶん魚粉を奮発しすぎている。もっと化学調味料を入れるべきなのだ。こんど味の素を買いに行かなくては。しかし秋の屋外はなんて心地よいのだろう。多摩川の川原で飲んだのも最高だった。昼過ぎから暗くなるまで、川と電車とコウモリとビール。二次会含めてたっぷり八時間。何を話したのか、まるで覚えていない。ただカップルが幸せそうで嬉しかった。その前日にも別のカップルと飲んでいて、そちらも大変に幸せそうで最高だった。彼らはみなこの一年に付き合いだしたカップルで、彼らがこんなふうになるなんて、一年前には思いもよらなかった。それは僕自身にも言えることで、そうしてみるとこの一年というのは、思いもよらない素晴らしいことが次々に起こった一年だったということになる。たぶん、今回はたまたまぼくの目の届く範囲でそれが起こったということで、いつだって素晴らしいことは起こっているのだろう。例えばケーキ。伊勢丹のマ・パティスリー、高島屋のパティシェリア。新宿にいながらにしていろんな名店のケーキを楽しめる。パティシェリアで食べたあのケーキ、なんだっけな、もう思い出せないな、店名を冠したあのケーキは本当に美味しかった。甘いものといえば、人形町柳家にも行った。パリッとした皮が美味しいたい焼きの名店。赤子のころ一年だけこのあたりに住んでいたことがあるらしいのだけれど、もちろん記憶はない。やたらと回転の早い行列に並び、路上でアツアツのたい焼きとキンキンのアイス最中を交互に食べ、そのまま水天宮にいき、何人かの顔を思い浮かべつつ安産を祈願する。なるべく母子ともに健康でありますように。そのまま夕暮れの日本橋を歩く。ここ最近は夜の散歩が楽しい。涼しくて気持ちよくていくらでも歩ける気がする。最寄り駅まで彼女を送っていくはずが、もう少し歩きたくなってしまい、次の次の次の駅まで歩いてしまったりする。寝静まった街の見慣れない風景、頬をくすぐる夜風、見上げれば丸く光る月。月が綺麗なので月が綺麗だねと言えば月が綺麗だねと返ってくる。いつまでもいつまでも二人でいたい。いつまでもいつまでも歩き続けていたい。方向も時間も何も気にせず、膝が笑うくらいになるまで歩いていたい。そんでガタガタ震える膝のことで何か冗談でも言って笑いあいたい。そんなふうに思う秋の夜長である。

盛岡へ

最近の僕なんかは出来事は記録に残さずただ思い出せない記憶の海に沈んで消えていくほうが美しいんじゃないかって気持ちとそれでもぜんぶ忘れてしまったあとに思い出すあの素敵さを思うと記録残しとくのも大事だよなって気持ちの狭間でゆらゆらしちゃっていろんなことがあったんだけども結局薬局なんにも書かずに日々は過ぎていってしまうから困ったものだ。めっきり秋。踏切と遮断機。季節の変わり目。体調を崩しがちなシーズンですが皆さんにおかれましてはお元気ですか。普段文字を読んでも音声は再生されないタイプなのにお元気ですかって書くときだけは井上陽水の声で再生されてしまうのはいつになったら収まるのだろう。あのCMは昭和が平成に変わるときのころのやつだから、かれこれ30年近く症状が続いていることになる。これはもう立派な呪いと言えるのではなかろうか。広告は呪。記憶は呪い。

 

そういえばこのあいだ盛岡へ行ってきた。何をしに行ったのかというと、好きなひとに自分の好きな風景を見せたかったのだ。
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目的は存分に達したので大変に満足。予定外の楽しみもたくさんあった。朝市(盛岡にはほぼ毎日やってる朝市があるのだ)にひさびさに行ったら青唐辛子が馬鹿みたいに安くて頭に血が上り爆買いキメてしまったり、久々の福田パンで頭に血が上りただでさえデカいコッペパンを八個も購入し一日ずっとコッペパンを食べ続ける羽目になったり、平安時代から残る浄土庭園眺めてチルアウトしてたらすぐとなりで石川さゆりの野外コンサートが始まって爆音で漏れ聴こえる津軽海峡冬景色と静かな風景とのギャップに感受性がバッファオーバーフローしたり。ほんと、楽しかった。

 

この旅行のことも、きっといつかはひとまず忘れてしまうのだろうし、そうなってからなんかのきっかけでポツリポツリと思い出すのはたいそう素敵じゃないかと思うので、いつかやってくるその日を楽しみにしている。そのときはあまりヒントが多すぎないほうがきっと楽しい。だからこの日記にも説明はあまり書かない。ただ写真が並んでいるくらいでちょうどいいのだと思う。ふたりで写真を見て、そのときの服装とか、食べたものの味とか、歩いた道とか乗ったバスとか、そういう細かいひとつひとつについて、ああでもないこうでもないとほじくり返すのが楽しいんじゃないかと思う。いつか、そんなに近くではない未来にそういう日が訪れるのを心から楽しみにしている。

 

 

 

 

ロロ「BGM」

土曜の夜。下北沢スズナリ。

 

キュートで、ポップで、大人だった。三浦直之が描き続ける「一度生まれた『好き』の気持ちは、永遠に死なない」というモチーフは、今回は過去完了進行形ではなく、過去形で表現されていた。「あの頃から好きだった、もしかしたら今でも心の何処かで好きなまんまでいる」から「あの頃は好きだった」になっていた。いわゆる「いい思い出」というやつだ。我々の多くがそうであるように、舞台の上の彼らにとっても、思い出は音楽と分かちがたく結びついている。奏でられる音楽は、思い出と結びついて、自分の背中を押してくれたりするし、誰かの背中を押したりもする。そうやっていつかの「好き」の気持ちは生き続ける。既に終わってしまった恋は、カチカチの化石になって、それでも優しい熱を放ち、誰かの心をあたためてくれる。

特別な思い出は、「好き」の気持ちにだけ宿るものではない。 仲良しの友達と過ごしているときの、どうってことなくてグダグダでめちゃくちゃ楽しいあの空気感、そのときはなんにも特別じゃないのに、きっといつかきょうのことを思い出してめちゃくちゃ特別だったなって思うような時間、なんてことなくてさりげなくて思い出そうとすると思い出せない数々の出来事、小沢健二が「さよならなんて云えないよ」で「本当はわかってる 二度と戻らない美しい日にいると そして静かに心は離れていくと」と歌ってる「美しい日」のこと、そういういつか本当に大切な思い出になるであろう時間が、舞台の上にはっきりと現出していて、何度か泣きそうになってしまった。

 

この日は大学時代からずっとつるんでる友人が一緒だった。終演後、飲みに行って、自分たちの「あのころ」の話をしたのだけれど、あまりにも思い出せなくて、そのことに笑った。そういえばあのころの僕らは「後から思い出せないようなくだらないことばかりを過ごしたい、くだらないことでゲラゲラ笑ってそれだけで消えてく毎日だったらいい」なんて話をしていた。現実にそうなってみると、ふはは、それも良し悪しだねえ、そんな話をしながら、台風の近づいてくる新宿で、ダラダラと飲んでいた。

 

 

小沢健二「フクロウの声が聞こえる」

まとまらないけど、徒然と。

 

初めて聴いたのは、「魔法的」ツアーの東京公演。まるでアッパーな賛美歌のような、祝祭的で神聖でどこまでも優しい歌に、棒立ちになってただただ涙していた。なんとか音源で聴きたい、と思っていたら、たったの一年三ヶ月で発売の運びとなり、しかもSEKAI NO OWARIとのコラボまで発表され、自分がどういう感情を抱いているのか自分でもよくわからなくなり、例えて言うなら味の素を知らないひとに味の素の味を説明しようとしているときのような気持ちでむむむとなっていたら、発売日前日の朝に音源が届けられた。

 

正直に言うと、最初は戸惑いがあった。無声音が強く感じられどこか寂寥感を覚える小沢健二の声と、のぺっとして甘いFukaseの声はあまり相性がよくないように感じられたし、セカオワっぽさの強いアレンジも、なんだかディズニー映画の主題歌のようでチャイルディッシュに聴こえた。ライブで感じた荘厳さが小さくなってしまったように思えた。

 

けれど、何度も何度もリピートしているうちに、ストンと腹落ちした。この曲のFukaseは、りーりーなんだな。小沢健二の愛息子の凛音くん。この歌は、Fukase演ずるりーりーと、健二パパの歌なんだ。「晩ごはんのあとパパが散歩に行こうって言い出すと、チョコレートのスープのある場所まで!と、僕らはすぐ賛成する」歌い出しの歌詞からしてそうでしかあり得ない。なんで気がつかなかったのだろう。そうだとすると、何故セカオワなのか、何故Fukaseなのか、全部がはっきりと理解できる。この曲が父と子のデュエットであるから、子どものような声を持つFukaseが必要だったのであり、この曲が優しいフェアリーテイルであるから、そのような世界感を保ち続けているセカオワが必要だったのだ。

 

この曲はフェアリーテイルである、とはどういうことか。それは、この曲が我が子に向けた世界のガイドブックになっている、ということだ。世界がどういう場所であるかを伝え、世界が生きるに値する場所であることを伝え、これから世界に出ていく我が子に最大限の祝福と勇気を与えること。

ヴィトゲンシュタイン曰く、世界とは可能世界の総体である。同じことを岡崎京子は「pink」でこう書いている。「この世は何でも起こりうる 何でも起こりうるんだわ きっと どんなひどいことも どんなうつくしいことも」。この世界ではどんなことでも起こり得る。想像を超える悲劇と想像を超える奇跡が同時に起こる。世界とはそういう場所である。世界はありのままに残酷で、ありのままに美しい。

この世界に起きる奇跡の中で最大のもの、それはわたしたちが存在するということである。存在には理由がない。根拠がない。意味もない。私たちは、すべてのものは、ただ存在する。世界は無根拠な存在を承認している。それは途方もない奇跡である。無条件の承認を愛と呼ぶなら、私たちは存在するだけで世界に愛されていることになる。存在が奇跡だと認識するならば、世界は奇跡で溢れていることになる。見えないどこかで鳴いているフクロウ。静かに幹を揺らすプラタナス。チョコレート色の池で音を立てて跳ねる魚。そのすべてが奇跡であり、愛であり、だから世界はありのままで美しく、その美しさはそのまま私たちの美しさでもある。その事実は、私たちを強く強く勇気づける。残酷さや悲しみに耐えるだけの力を与えてくれる。それでもどうしようもなく悲しいことや辛いことがあり、打ちのめされてしまうときは、クマさんを持って眠ればいい。誰もが自分だけの大切なクマを持っている。それは親に与えられるものかもしれないし、自分で見つけ出したものかもしれない。クマさんを抱えて(あるいは抱えられて)しっかりと眠り、しっかりと食事をとる。それさえ出来れば、あとは恐れることなどないのだ。

 

この曲は、小沢健二版の「バナナブレッドのプディング」なのだと思った。大島弓子がバナナブレッドのラストで書いていたあれだ。長いけどまるっと引用。

おかあさん ゆうべ 夢を見ました

まだ生まれてもいない赤ちゃんが わたしに言うのです
男に生まれたほうが生きやすいか
女に生まれたほうが生きやすいかと

わたしはどっちも同じように生きやすいということはないと答えると

お腹にいるだけでも こんなに孤独なのに
生まれてからは どうなるんでしょう
生まれるのがこわい
これ以上ひとりぼっちはいやだ というのです

わたしは言いました。
「まあ生まれてきてごらんなさい」
「最高に素晴らしいことが待ってるから」と

朝起きて考えてみました
わたしが答えた「最高の素晴らしさ」ってなんなのだろう
わたし自身もまだお目にはかかっていないのに

ほんとうになんなのでしょう
わたしは自信たっぷりに子どもに答えていたんです

 

この世界ではどんなことでも起こり得る。世界はどこまでも広く、どこまでも深い。自分の想像の及ばないところにも世界は広がっていて、そこではフクロウが鳴いたり大きな魚が跳ねたりしている。美しいことだけでなく、恐ろしいことも起こるけれど、そのときはクマさんを持って眠ればいい。この曲は祝福の歌なのだ。父から子へ、世界が存在することの素晴らしさを伝え、これから世界に向かって扉が開かれていくことを祝福する。世界と我が子を丸ごと言祝ぐ、神のいない賛美歌。

 

それにしても今夜のMステ、最高だったな。もう何度もリピートして見てる。ボーカル二人のバランスがめっちゃ良くなってる。音源よりMステのほうがずっと好きなんだけどこれはどういうことだ。Mステバージョンで音源出してくれたらもっぺんお金出す。ああ、配信でいいんだけどなあ。やってくれんかなあ。

 

 

夏の終わり

しばらく書いてなかった。ぼやぼやしていたらずいぶん間が空いてしまった。ぼやぼやしすぎて危うく誰かのいい娘になっちゃうところだった。危ない、危ない(福田和子のモノマネで)。最近の若者は福田和子のモノマネでは笑ってくれない。悲しい。しかし人が老いるのは自然の摂理である。人は老いる。死ぬ。そして生まれる。世代は常に更新され続けている。そういうふうにできている。だからまあ、仕方ないことではあるのだ。これから福田和子のモノマネで笑ってくれる人はどんどん減っていく。そのことを受け容れるしかない。悲しいなあ。別に悲しかないけれど、ううん、悲しいなあ。

 

お盆からしばらく、東京はおかしな天気だった。低く垂れこめた濁り雲。湿った空気がひやりともぬるりとも感じられる。肌寒いな、と感じつつ、少し動くと汗が滴る。晩夏であるが、残暑ではない。残暑の暑だけどこかにいってしまい、湿度だけが残っている。残湿である。響きが良くない。粘着質で諦めの悪い感じがして嫌ったらしい。秋になるならさっさと秋になればいい。夏でもなく、秋でもなく、ただべったりとした空気と疲労感だけが漂うこの季節をなんと呼べばいいのだろう。そんなことを考えていたら、8月も終わりの今になって残暑らしい残暑が戻ってきた。去りゆく夏を惜しむような残暑。

 

思い出してつれつれと書いてみる。ドラクエ113DSでプレイ中。一応ラスボス?は倒して、いまはクリア後の世界を楽しんでいる。昔よりかんたんになった気がするのは僕だけだろうか。レベル上げやら資金稼ぎやら、そういう作業をやらなくてもストーリーを進められるようになっている。レベルがかんたんに上がるので、適当にやっていても適正なレベルになってしまう。それゆえギリギリの冒険の切迫感みたいなものはあまり感じられず、堀井雄二のセリフとストーリー、それと過去作品のオマージュを楽しむゲーム、というふうになっている。それで充分に楽しいからそれで構わないのだけれど。この先、裏ボスを何ターンで倒すか、みたいになってくと難易度が上がるのだろうか。鈴本演芸場のさん喬・権太楼特選集は今年も素晴らしかった。やはりメンバーが充実しているときの寄席は最高だ。行ったのが今年も日曜だったので、終演後に上野グルメを楽しめなかったのが心残り。美味しいインド料理やら中華やらとんかつ屋やら上野には良い店がたくさんあるのだけれど、日曜はどこも閉まるのが早いのだ。来年こそは土曜にしよう。「やすらぎの郷」の展開にマジでダメージを受けた。今日び、婦女暴行をあんなふうに描いて許されるのか。若者をしばくかっこいい老人を描く、そのためのダシとして婦女暴行を扱い、またその扱い方も極めて粗雑。被害者は事件のことを伏せたくて被害届も出さなかったというのに、施設の職員も入居者も、噂をガンガンに広めていく。それは良くないことだ、というエクスキューズは一切ない。散々噂話を広めておいて、「今後あの娘にどう接したらいいのかな、知らないふりするしかないわよね」「あたしそういうの嫌だな、みんな知ってるのに知らないふりされるの、わたしだったら辛いな」このやり取りはマジ胸糞だった。みんな知ってるっていうその状況自体がおかしい、とは誰も思わないのか。入居者の老人たちはともかく、若い職員たちまで噂してるのは何なんだ。思えば倉本聰の作中での女性の扱いは昔から本当にひどい。「北の国から」のつららちゃんとかシュウとか。倉本聰はおじいちゃんだからもう仕方ないのだとしても、テレ朝にはこれを止めるスタッフはいなかったのか。とにかく悲しくなってしまった。それに引き換えNHK土曜ドラマ「悦っちゃん」の素晴らしさよ。ロクさんはユースケ・サンタマリアの役者人生でもナンバーワンのハマり役なのではなかろうか。才能豊かなインテリの作詞家であり、ヘラヘラしたお調子者であり、それでいて一本芯の通ったイイ男でもある。これはモテる…こんなもん全盛期のヒュー・グラントやんけ…と思いながら毎週土曜を楽しみにしている。あと門脇麦小雪に似ている。小雪から般若をひいて鳥を足すと門脇麦になるのだと思う。三鷹で観たままごと「わたしの星」もとても良かった。不在を埋めあわせる、ということ。伝えられなかったこと、受けいれてもらえないこと、どうにもならないこと。それら全てを、お芝居という虚構の中で解決する。しかし、高校生のダンスシーンというのはなぜあんなにもグッと来てしまうのだろうか。去年の「魔法」に続いて、この夏もまんまと泣かされてしまった。音楽も振付けも最高だった。良すぎたので10月のフェスティバル・トーキョーのチケットも購入した。ナカゴーもあるしロロもあるし「を待ちながら」もあるし木ノ下歌舞伎もあるし、観劇予定がどんどん入ってくる。やりくりが大変だ。家を探しに下北沢へ行って、旧ヤム邸に並んでカレーを食べたりもした。
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 これが物凄く美味しかった。美味しくて、自由だった。好きなようにスパイス使っていいんだな、と思えた。やや大げさだけれど、カレーの世界観が広がる一皿だった。あとは何をしていたのだっけ。友人との酒の席で醜態をさらして自己嫌悪に陥ったり、青野菜(しし唐、オクラ、ゴーヤ、青唐辛子などなど)を使ったカレー作りにハマったり、石ノ森章太郎佐武と市捕物控」を衝動買いして格好良さに痺れたり、そんな感じだろうか。基本的に朦朧としていた。何しろ真夏のカレーづくりは暑いのだ。玉葱やら大蒜やら生姜やら唐辛子やらの刺激物を強火で炒めるわけなので、キッチンはスパイシーサウナになる。やってるとすぐに汗だくになる。本気で朦朧としてくる。朦朧としてるうち翻弄されてしまう。彼女曰く、僕の部屋にはスパイスの香りが染みついているそうだ。自分では全然わからないんだよなあ。引っ越すとき、余計に敷金とられなければいいのだけれど。

 

 そういえば花火大会にも行った。花火は見たいが人混みは苦手だ、という話をしていたら、ならわたしの地元においでよ、そりゃ少しは人出もあるけれど、東京とくらべたら無みたいなもんだよ、無だよ無、無人の荒野に花火だけが打ちあがってるようなもんだよ、浴衣着るから一緒にいこうよ、と誘われ、ホイホイと誘いにのった。自宅から電車で一時間と少し、千葉の内陸の住宅街。駅の近くで待っていると彼女から連絡。浴衣の着付けに時間がかかってる、それに道路も混んでるから遅れそう、始まるまでに間に合わないかもだから、花火の見えるところで待ってて。それで打ち上げ会場の方へ歩いていくと大きなイトーヨーカドーがあり、その駐車場のはしっこの歩道の縁石のところにたくさんのひとが腰かけていた。一人分のスペースがあったので、僕もそこに腰をおろし、カップルや中学生や親子連れに混じって夜空を見上げた。僕のとなりには、中学生らしい女の子がふたり座っていた。彼女たちは、目線を空に向けることもなく、ヨーカドーで買ったらしいフライドポテトをつまみながら同性の憧れの先輩について話をしていた。先輩がいかに美人か、いかに聡明かを語り、先輩と会話できた放課後のひとときの素晴らしさを確かめあっていた。彼女たちにとっては、花火よりそのひとときの方がよほど輝いているようだった。僕はその声を聞きながら、電線越しに花火を見上げていた。
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それから、素敵な浴衣をきちんと着付けた彼女と合流し、花火を見上げながら住宅街を歩いて会場へ向かった。あ、ここは小学校の同級生のなんとかちゃんの家だよ、その子とはふたりで秘密の祭壇を作ったの、空き地の片隅にこっそり祭壇を作ってふたりでお祈りしたりしてたんだよ、こっちはなんとか君の家だ、ここはあのころはバレエ教室だったんだよ、そういう話をたくさん聞かせてもらった。次々に打ち上がる花火の真下、住宅街の路地裏が赤や青に照らされては消え、彼女の浴衣姿は艶かしく、まるで終わらない夏休みの夢を見ているような、そんな心地だった。

 

2017年の夏の終わりは、だいたいこんな感じで流れていった。