bronson69の日記

いつか読み返して楽しむための文章。

夏の亀、冬の熊

暑い。だるい。間違いない。毎日毎日ぼくらは鉄板の上で焼かれて嫌んなっている。もちろん実際は焼かれてはいない、焼かれてはいないのだけれども、これだけ暑いのならばそれはもう鉄板の上で焼かれているのと同じことではないだろうか。そして何より重要なのは、「嫌んなっている」という事実だ。何を嫌んなっているのか。全てである。暑さから端を発して、いまや全てが嫌んなってしまっている。要するに夏バテだ。肉体的な消耗を経て、もう精神的にもバテてしまっている。やる気が起こらない。引きこもりたい気分で満ち満ちている。引きこもりたい。狭い空間に引きこもって、丸まったまま夏をやり過ごしてしまいたい。部屋ではダメだ。まだ広すぎる。もっとみっしりした空間がいい。亀がいい。亀になりたい。亀になって、自分の甲羅に引きこもりたい。頭と手足を甲羅に引っ込め、もっと深く深く引っ込め、そのまま奥へと入り込み、奥へ奥へと進んでいって、奥の奥のどんづまりのところで一枚の扉を見つける。扉には何か文字が書いてある。なんと書いてあるかはわからない。「この扉をくぐる者、一切の望みを捨てよ」かもしれないし、「当軒は注文の多い料理店ですからどうかそこはご承知ください」かもしれない。ただ単に「使用中」とだけ書いてあるかもしれず、もしかしたら居住者の名前を記した表札が貼り付けてあるのかもしれない。何れにせよ、文字を読んだぼくは戸惑う。扉に対する態度を決めあぐねる。礼儀正しくノックをするか、隠れて様子を伺うか、開かぬように釘で打ちつけるか。迷いながら扉を見つめ、向こう側の気配を探る。想像する。開けた先の景色を想像し、その様々のどれもが想像の範囲内であることに落胆する。目をつむり、扉に背を当て、思いもよらない何かについて思いを馳せる。そうするうちに、思いはぐにゃぐにゃと形を変え、ひとりでにどこかへ向かって転がりはじめる。空想と夢の境目が曖昧になっていく。真夏の夜の夢である。

 

相変わらず部屋探しを続けている。スペックで検索し、スペックで比較し、相対的に優位な部屋を抽出する一連の作業を繰り返しながら、恋に落ちるのを待っている。結局、相対評価では決められないのだ。もっと探せばもっとよいスペックの部屋が見つかるかも、と思い続けることになってしまう。何しろ選択肢は無限だ。通勤圏内にあるすべての部屋が居室として立ち上がってくる。ならばもう恋しかない。好きになるしかない。理屈ではないところに行きつかなければならない。部屋を探すときはいつもそうだ。熊じゃなくてよかったな、と思う。熊だったらどうやって巣穴を探しただろう。冬眠のための巣穴。大きな樹のうろ、岩と地面の隙間、誰かが掘って使い捨てた穴。いくつもいくつも候補を巡って、しかし決めきれず、秋も深まりいい加減に冬眠せなあかんぞ、というころになって相対的に高評価の穴にいくも既に別の熊が寝ていたりして、雪の中をさまよう羽目になるのかもしれない。そうなってしまったら、かまくらを作ることにしよう。大きな大きなドーム型の雪山を作り、水をかけ、一晩待つ。雪山が凍りつき、ガチガチに固まる。それを掘り進めていく。入り口は小さく低く、室内は広く高く。壁には小さく神棚をつくり、みかんやどんぐりをお供えする。小さな入り口から大きな身体をねじこんで、壊れた部分は内側から補修し、暖かな室内で眠りにつく。もしも熊になることがあったら、そういう冬眠をしたいと思う。熊は冷凍都市での暮らし方を知っている。暖かい場所を確保して、あとはたっぷり眠ればよいのだ。

海の続き、備忘録

土曜の海の続き。結局、海にいたのは8時すぎから12時の手前まで。3時間半もぼんやりと海を見ていたことになる。2.5リットルのビール、サングリアの小びんを一本、それとブルボンのおいしいココナッツミルク。それらをすべて飲み干し、そのほとんどを汗で失い、おおよそプラスマイナスゼロの状態で浜辺を後にした。葛西臨海公園駅からバスで葛西駅に移動し歩くこと5分、前から来てみたかったインド料理のお店「レカ」へ。線路沿いの住宅街の一角。店の向かいには駐車場と謎の鳥居。

 
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鳥居と参道と灯籠があり、社がない。バカには見えない神社なのか。それともその昔、悪い大工が「徳の高い神様にしか見えない最高級の神社ですよ、神さまにはもちろん見えてますよね」などと甘言を弄してご利益だけせしめようとしたのか。事情はわからないが、とにかく鳥居と参道と灯籠と、それから美味いインド料理屋だけがここにはあるのだ。

 
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美味いインド料理屋は美味いだけでなく親切なので、遠方のお客様向けに、4種の日替わりカレーとチャパティに加えてビリヤニまでも楽しめるスペシャルセットがある。このビリヤニがめちゃくちゃ美味い。カレーももちろん美味しいのだけれど、でも僕がもう一度この店に行くときは、ビリヤニを単品で頼みたい。そのくらい美味しい。あとチャパティも美味しかった。半分くらい、カレーをつけずにチャパティだけで食べてしまった。この店は炭水化物のクオリティが非常に高い。大満足で食事を終え、店の片隅の物販コーナーでちょうどなくなりそうだったホールスパイスをいくつか購入し、上機嫌で帰路につく。海辺の日差しと本場のカレーでたっぷりと汗をかいたので、こりゃあとは銭湯だな昼風呂だな、きっちり仕上がったら鰹で日本酒でもキメたろかな、そんな悪だくみをしながら帰宅、気づいたら倒れて爆睡、起きたら夜で外は豪雨。新宿は豪雨。銭湯は後から考えることにして、とりあえず服を着替える。日に焼けた腕がむず痒い。しかし腕なんぞ問題にならんレベルで足の甲がむず痒い。見るとサンダルのベルトの型にくっきりと日焼け。そういえば足の甲には日焼け止めを塗り忘れていた。手足も顔も首筋もバッチリだと思っていたのに。いまなら耳なし芳一の体にお経を書いた和尚様の気持ちがわかる。そっかー、耳かー。耳なー。だよなー。あー。

 

あと備忘録的にいくつか最近あったことを。ダイアログ・イン・ザ・ダークに行ってきた。真っ暗闇の中を、初対面の数名でチームを組んで、視覚障害者のガイドに従って進む、という体験型エンタテインメント(?)。なんかちょっと意識高い感じというか、研修みたいな、「気づき」を得て帰りましょうね、みたいな空気を漂わせているやつなのだけれど、そういうのは置いといて、エンタテインメントとしてとても面白かった。ドラクエやってるような気持ち。たまらないワクワクと冒険心。視覚がまったく役に立たない世界を、白杖の触覚と声による情報共有だけで進んでいく。丸木橋を渡るだけですげえ楽しいのだ。震えるほどの感動はないし、世界観が変わることもなく、新たな気づきといえば「暗闇は楽しい」くらいのものだったのだけれど、それで充分!と胸を張って言えるくらいには楽しかった。

体験の最後、少しだけ明るい部屋があった。大きなテーブルとイスがあり、腰を下ろした我々には丸いカードとペンが配布された。今回のワークショップのテーマは「出発」でした、出発という言葉でみなさんはどんなことをイメージしますか、頭に浮かんだ言葉をカードに書いてみてください。ガイドさんが言った。僕は少し悩んで、遅刻、と書き、少し書き足して、遅刻寸前、とした。遅れそうになることはままあるが、本当に遅れてしまうことはあんまりないのだ。ピチカート・ファイヴの歌に出てくるあの言葉、飛行機に間に合えばそれはそれでいいんじゃない、あのフレーズの通りにこれまでを過ごしている。いつもギリギリではあるけれど、どうにかこうにか間に合い続けているのだから、それはそれで、いいんじゃない。

 

浅草でやってたナカゴー「ていで」の初日を見た。七時半開場、仕事を終えて劇場付近に着いたのがちょうど七時半、お腹はすいているけれどしっかりした食事をとるほどの時間はない、さてどうしたものかと考えながら歩いていると、劇場の並びにかなり年季の入ったラーメン屋を発見。半オープンエアーのその佇まいに押されつつも意を決して食券を購入。冷やし中華は可もなく不可もないお味、しかし冷水機から汲んだ水は少量を口にしただけで脳が反射的に拒否する味だった。飲まれることを拒否する水。岡本太郎イズムだろうか。そういえばカウンターの椅子も傾いてグラついていたな、あれはいずれ座ることを拒否する椅子になるのだろうな。お芝居は、うん、とても面白かった。けれど、何ていうか、普通に面白かった、という感じ。なにこれこんなもの見たことない、なんだかすごいものを見てしまった、みたいな感じにはならなかった。相性なのか、集中力か、読解力か、それとも初見で文脈が共有できていないからなのか。なんだかわからないけれど、きっちり味わえていない感じがしてとても悔しい。多くのひとが味わっている美味しさを自分だけ理解できてないみたいなこの感じがとてもとても悔しい。あの水のせいだろうか。あの水を含んでしまったせいで、味覚が狂ってしまったのだろうか。うーむ。別の公演も見てみたいなあ。

 

まだ何かあったような気もするけれど、7月の終わりは、とりあえずこんな感じだった。

 

くもりガラスの夏

土曜日。フジロックに向かう彼女を見送り朝6時、部屋にひとり。二度寝する感じでもなく、何をしようか酒でも飲むかと考えて、唐突に気がつく。今日だった。年に一度くらい、何があったというわけでもなくただ海が見たくなることがあるのだけれど、今日がその日だった。気がついたら居ても立ってもいられなくなり、洗濯するつもりだった青いアロハを引っ張り出す。くしゃくしゃのアロハに袖を通し、紺色のステテコを履く。敷物とモバイルバッテリーとタオルと財布、「summer,2013」とプリントされたくたくたのトートバッグに放り込み、鍵の横にあった古い古い日焼け止めも投げ込んで、駅までおんぼろの赤い自転車を漕ぐ。早朝の光。早朝の空気。心が膨れ上がっていく。どこの海に行こうか。人のいないところへ行こう。せっかくの休みなんだから。

 

空いた電車に揺られること三十分、葛西臨海公園NEWDAYSでは生ビールを280円で売っている。せっかくなのでそれを一杯、あとロング缶を何本かとサングリア、それにブルボンのおいしいココナツミルク。よく冷えた生ビールを飲みながら浜辺へ向かう。まだ水族館も開いてない時間、公園には犬の散歩とランナーくらい、よこしまな思いを抱いているのは僕だけかな、それにしてもビールが美味い、心なしか酔うのも早い、寝起きでなんも飲んでないから吸収効率がいいのかな。いまの俺はスポンジか、はたまた海綿脱脂綿、水分そそげばなんでも吸うぞ、矢でも鉄砲でも持ってこい、できればビールも持ってこい、あとは冷やしたキュウリなんかいいな、気ぃ使わないでいいからね、あったらでいいからね。

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海に来ていつも思うのは、海よりも空のほうが大きいのだということ。汐風、海の匂い、遠くに見える大型船、それだけでは海じゃなくて、どこまでも広い球形の空、綿のような低い雲と膜のような高い雲、強くなったり優しくなったりする光、そういう全部がひっくるめて海なのだということ。ひとのいない浜辺、イヤホンから流れる音楽、冷たさを保ったビール、遠くにはウィンドサーフィンの群体が行進する、ベンチに寝転んで空を見る、高い雲から低い雲に濃い灰色が降りているのが見える、あれはダウンバーストだろうか、それとも雲の上に夕立ちが降っているのか、もしかしたら上昇気流かもしれない、時間とともに気温は上昇していく、ロードショーは続く、真っ黒い鳩は石の上に留まる、海の真逆を向いて留まる。


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写真を撮ると音楽が止まる。イヤホンを外し、波の音を聴く。遠くに羽田を立つ飛行機の音がする。雲の中を飛ぶ飛行機の音。姿は見えず音だけが聴こえる。音をたよりに雲の真ん中を見つめていると、遠くの雲の切れ間からひゅっと飛行機が顔を出す。飛行機は音よりも遠くを飛んでいる。早く、早く、早く遠くまで行かなくちゃ。飛行する君と僕のために。

 

 太陽が高く登る時間になっても人はほんとに疎らで、いるのは親子連れのファミリーばかり。水泳帽のおじいさんが沖合を精力的に泳いでいる。幼子は波打ち際で遊んでいる。泳ぐ準備なぞしてこなかったであろう夫婦の父親が、膝をまくり、娘を抱いて海へ入っていく。膝丈のところでほんの一瞬躊躇して、しかし迷いはなく、そのまま服を濡らして海へ行く。幼い娘の服を濡らさぬよう、けれどなるたけ海を味わえるよう、注意深く海と娘を繋げていく。母親は浜辺からそれを見ている。笑っている。娘はなにを見ているのか、僕のところからはわからない。父親は胸まで海につかっている。風が微かに吹いている。縮緬の波が水平線まで続いている。遥か遠くにゆっくりと鳥が飛ぶ。雲の切れ間から太陽が顔を出す。直射日光が肌を焼く。高く高くゲイラカイトが上がっている。どこか遠くに白煙のようなものが見え、ヘリコプターが離着陸を繰り返す。視界の隅で魚が跳ねる。海と空とその間と、見えるすべてが騒がしく、それでいて平穏である。

 

物心ついてからずっと、世界に違和感を感じていた。あらゆるものが奇妙なかたちに見え、すべてに慣れることがなかった。夢なのだと思っていた。この世界のすべてが、空も海も友人も家族も自分も、すべてが起きたら忘れてしまうような荒唐無稽な夢で、夢だからあり得ないようなかたちをしているのだと思っていた。夢を見ている自分もまた、いまの自分からは想像もつかない得体のしれない何かなのだと思っていた。いまここにいる自分と夢を見ている自分、それらはまったく結びつかないもので、お互いに想像することすらできない別の世界の存在なのだと思っていた。そうでなければこの違和感は説明がつかない、そう思いながら、エイリアンの眼で世界を見ていた。

 

海を見ていたらなぜだか急にそのことを思い出した。思い出したら、エイリアンの眼まで蘇ってきた。世界が初めて見るもののように思えた。それでも風は心地よく、空と海とはどこまでも広く、サングリアは甘く鼻腔を擽った。どうでもいいや、と思った。ここは気持ちいい。だから何でも構わない。もう少しだけお酒を飲んで、ベンチに身体を横たえて、空だけを見て、それから目をつむるなり、本を読むなりして、葛西へ行ってカレーを食べて。

 

目を覚ます。身体を起こし、あたりを見回す。寝ていたのはつかの間のことのようだった。霞がかかったように景色がかそけく見える。いやにいい具合に視界がぼやけるな、と思ったら、メガネがベタベタに汚れているだけだった。レンズを拭いたら、海辺の景色がクリアに見えた。メガネのせいで過剰に夏に見えていたのかな、と思ったけれどそんなことはないようだった。くもりガラスの向こう側、夏はきちんと夏だった。

 

 

 

土用の丑イヴ

きょうも暑かった。暑いだけでなく、やたらと汗をかいた一日だった。特によく動いたというわけでもなく、運動量の増加といえば財布を忘れて駅から家まで余計に往復したことくらいで、後はいつもどおりのホワイトカラーなのになんだかしらんがひとり汗だくになって仕事をしていた。更年期障害だろうか。これが噂のホットフラッシュってやつなのだろうか。SEX AND THE CITYでサマンサが大汗かいてたアレだ。サマンサのは更年期だったか、それとも乳がんだか子宮頸がんだかの後遺症だったか。だったら何も切除してない男性である俺が軽々しくホットフラッシュなんて言っちゃいけないのかな。なんか後ろめたい気持ちだ。後ろめたくて冷や汗が出る。ひゃー。

 

明日は土用の丑の日。丑の日といえばうなぎだけれど、本当は「う」のつくものならなんだっていいらしい。うのつくもの。うなぎ。雲丹。牛。馬。瓜。梅。兎。烏骨鶏。ウールガイ。「う」がつけばいいのなら、UberEatsで配達してもらえば何でもアリになるのか。それならいっそ「うまいもの」でいいんじゃないか。全国のデパートの催事場はいっせいに全国うまいもの市を開催するべきだ。「丑の日にうまいものを食べよう」これだ。これでいいじゃないか。「う」のつくもの、「う」のつくもの、う、う、としばらく考えていたのだけど、ぐるぐる巡って最終的には「宇宙船のウ」に行き着いてしまう。やっぱ「ウ」っていったら宇宙船のウですよね。あとなぜかウンジャマラミーが頭から離れない。学生時代、溜まり場だった友達の家で徹夜でクリアしたのを思いだす。ウンジャマラミーでめっちゃ盛り上がって、そのままの勢いでパラッパラッパー買いにいって、でもパラッパはまったく盛り上がらず、完全に蛇足で、そのまま静かに解散したのだった。あのときのパラッパ、どうしてるかなあ。まだタマネギ先生のとこでパンチだキックだってやってんのかなあ。

 

あと初デートサイゼリヤ問題で思ったことなんですけども、あの、エスコートってのはひとりで食事のお店を決めちゃうことなんですかね、ふたりで食べたいものについて話しながらお店決めてくのは婚活のお作法としてはナシなんですかね。絶対に後者のほうが楽しいと思うんですけれども。もしそれで選んだお店がなんか微妙だったとしたら、そのときは「そのお店がいかに微妙か」で盛り上がればいいし、何よりそういう小さな失敗を共有して笑い話にするのってなんていうかとってもイイと思うんですよね、僕は。

 

なんだろ、なんか変だな。言葉使いがしっくりこないな。暑くてチューニングおかしくなってんのかな。はあ。きょうは夜んなっても暑いなー。寝れねーなー。

カレーばかりの土曜日

梅雨もあけ、気がつけば7月も後半戦。太陽がグッと顔を近づけてきて、ツッコめる間柄だったらいや近い近い!近いから!ってひたいを押しのけるくらいの距離感になってる。ツッコめない間柄だったらエッ何コイツってなりつつなるべく自然に距離をとり、偶然なのか意図的なのか、横目で様子を伺う。動けるくらいの満員電車で起こりがちな現象。太陽の側としては、この距離感についてどう思っているのだろうか。わかっててわざとやってるのか、それとも俺だってくっつきたかねえど後ろがめっちゃ押してくるからさ、みたいな不可抗力的なやつなのか。不可抗力にしてもこの態度はふてぶてしすぎやしないか。もっとこう、あっすいませんすいません、体あたってますよね、でも僕も押されちゃってこらえきれなくて、ほんとすいません、あっあっすごい、押されてる、すごいグイグイくる、後ろグイグイくる、なんだろ牛なのかな、ってそんなわけないですよねハハハ、すいませんすいません…みたいな感じだったら、ダメだ更に腹立ってきたな。太陽め。

 

土曜日。昼すぎ、空腹で起床。疲労困憊な彼女は昼食よりも睡眠をチョイスしたので、ひとりでランチにいく。どこにするかしばし考え、近所なのにいったことのないネパール料理の有名店へ。ダルバートな気分だったのだけれどランチメニューにはダルバートはなく、仕方ないのでネパールセットというやつを注文。
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白米、サラダ、ダルスープ、大根と鳥肉のタルカリ、アチャール。要するにサラダのついたダルバートでした。スパイシーかつ塩分も強め、でもシンプルで優しい味わい。東北の家庭料理のよう。ほっこりと美味い。インドやらネパールやらスリランカやら、スパイス料理を食べ進めていくと、「スパイシー」って言葉の意味合いが変わる。「辛い」って意味では使えない言葉になる。だってほとんどのスパイスは辛くないんだもの。辛いのは、チリとグリーンチリ、あとはブラックペッパーくらいのもので、あとは香りや深みを出すやつばかり。だからまったく辛くない「スパイシー」もある。クミンシードとコリアンダーパウダー使った炒め物とかがそんな感じ。

 

しっかり食べてお腹も膨れ(南アジア料理のお店、ワンプレートの量が凄すぎると思いませんか、なんでああも大盛りがデフォなんだろう)、帰宅途中に新規オープンの業務スーパーを発見。昨日オープンでセール中とのこと、見てみると大特価が爆発。特に肉。逆上して黒毛和牛のステーキと豚バラ肉のデカい塊を購入。ついでに寄り道もう一軒、パン屋で彼女のランチを物色。芸術劇場に支店のあるあのパン屋です。名物のハンバーガーはなかったけれど、最近ハンバーガーよりもお気に入りのバインミーを購入。甘辛いチキンのやつと、オムレツのやつ。オムレツのバインミー、この店でしか見たことがないけれど、これがめっぽう美味いのだ。大荷物ぶら下げて汗だくになって帰宅。彼女はまだスヤスヤだったので、枕元にバインミーふたつを御供えする。なんとなく手を合わせお参りする。音を立てずに、静かに二拝二拍手一拝。祀られてるなど気づきもせずに彼女はすややと眠っている。これからも眠っている隙を突いてこっそりと祀っていこうと思う。信仰を集め、少しずつ神に近づけていこうと思う。本人の預かり知らぬところで霊験あらたかにしてやろうと思う。そのうち、動物がやたらと言うことを聞いたり、機嫌の良し悪しと天候が連動したりするようになったりしたらいいと思う。そんなふうに僕は思う。

 

目覚めた彼女とバインミーを食べる。よく冷えた桃とハーゲンダッツのバニラをつまみに、キンキンに冷やした季の美をロックで飲む。飲みながら録画していた「ぼくらの勇気 未満都市」のスペシャルを見る。脚本のあまりのアレさに心までキンキンに冷えていく。「ぼくらの勇気」とはあの脚本にGOを出したことだろうし、「未満都市」とは作品のレベルのことなのだろう。そのまま流れで「ハロー張りネズミ」を見る。なるほど、これは確かにとんねるずだ。80年代後半から90年代初めにかけてのあの感じだ。でもなんだろう、やりたいことはわかる気がするけれど、魔法がかかってる感じがしない。「まほろ」や「リバースエッジ」は上手くいってたと思うんだけど、なんなんだろな。ただエンディングのSOIL&PIMP SESSIONS+野田洋次郎の歌はめちゃくちゃかっこよかった。あまりに良すぎて歌のとこだけだけ3回見てしまった。あとちょっと太った瑛太ハイキングウォーキングのQ太郎にそっくりだと思うんだけどどうですかね。「わにとかげぎす」も見た。悪くない。でも有田哲平、コミュ障な感じがまるでしない。受け答えにしても振る舞いにしても堂々としてて、オドオドしたところがないんだもん。間が良すぎるせいだと思う。誰かと有田哲平が会話するシーン、有田の間が良いせいで、変な空気にならないのだ。普通にモテるひとの会話じゃん、と思ってしまう。しばらく見てたら印象変わるのかなあ。これで「悦っちゃん」も微妙だったら、今クールは「やすらぎの郷」一択になってしまう。それはそれで楽でよいのだけれど。

 

そうこうしてると夜も遅い時間になり、晩ごはんは西早稲田スリランカ料理のお店へ。自転車ギコギコ漕いでいく。戸山公園の急坂を一気に下る。切り裂く夜風が心地よい。店について、彼女はワンプレートを、僕はバナナリーフ包みをオーダー。

 

これが
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 こうなるので

 
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こうするわけです。

 
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パイナップルカレーの甘みと酸味、ゴーヤのカレーの苦味、ココナツポリヤルのココナツ感とカツオ節感、豆のカレーにビーツのカレーにチキンカレー、それらが渾然一体となってじんわりと辛くたいへん喜ばしい感じ。良く言えば食べやすい、でも個人的にはもう少しクセがあるほうが好みかな。大阪や蒲田ではフィッシュカレー(けっこう魚臭いやつ)も合盛りされていたので、その差なのかな。今度食べるときはフィッシュカレーを別に頼んでみようっと。そっからまた自転車ギコギコ汗かいて自宅に戻り、明日のためにポークビンダルーの仕込みをして、深夜の銭湯へ。温冷交互浴を繰り返し、最後は水風呂でキンキンになって締め。冷たい冷たい魚になって、夏の夜の蕩けた空気を泳いで帰る。部屋のベッドでディープリラックスに包まれつつ、ゴッドタンを見ながら眠る。

 

幸福か不幸か、損か得か、それはわりとどうでもよくて、そんなことより味わい深いかどうかのほうがずっと大事だと思っている。幸福にも不幸にも同じように趣きがあり、風情がある。わたしがここにいることの面白さを思う。私が観測するから世界が存在するのだ、という独我論的な世界観と、認識などとは一切関係なく世界は存在するのだ、という現象学的な世界観と、その双方を本当らしく思う。わたしが認識するから世界は存在し、その世界の中にわたしがいる。世界の外側と内側と、その双方にわたしがいる。まるでクラインの壺のような位置にわたしがいる。そのことを無意識の片隅に沈めて日々を暮らす。毎日キョロキョロとあたりを見回し、あるいは胸のうちを見つめ、初めて見るものであるかのように世界や感情を眺める。そういう面白さに支えられている。

 

きょうは昨日仕込んでおいた豚肉でポークビンダルーを作る。それから洗濯をして、たぶん昼寝をする。通販で買ったアロハシャツを受け取って、遅めのお昼でポークビンダルーを食べて、それから先はどうすっかな、物件でも探しに行こうかな。

飽きたら終わり

引っ越したい。そう思って賃貸サイトを見ていたら、小田急線に条件の合う部屋を見つけた。小田急線。これまで関わりのなかった路線。思い入れも知識も全く無い路線。京急田園都市線と同じくらい知らない路線。これも何かのご縁、以後お見知りおきを、ということで内見に行った。古いが部屋数の多い、駅チカの物件。行ってみたら相応に古く、図面のとおりに部屋があり、駅はマンションの目の前だった。可もなければ不可もなく、何よりトキメキのない部屋だった。トキメキのない新居なんて、ワインビネガーのないポークビンダルーのようなものだ。この時点でテンションはだいぶ下がっていたのだけれど、せっかくだから街を見てみることにした。東北沢。代々木上原と下北沢に挟まれた、各駅停車しか止まらない街。駅の周りをぐるりと歩き、メインストリートをふらふらと歩き、この街には何も無いということがわかった。ここには何も無い。駅の他には、ローソンと郵便局がひとつずつあるだけ。昼時なのにご飯を食べるお店もない。そもそも通行人がいない。週末だというのに。ここは隠れ里か。平家の隠れ里か。隠れキリシタンの住む隠れ里なのか。ぼのぼのの「なにもしないをしてるんだよ」を思い出した。なにもないがある街、東北沢。暮らすイメージが全く湧かない。焼けつく太陽。無人の街。汗だくになって歩く僕ら。まるでゾンビ映画みたいだ。しかもこの街にはゾンビすらいないのだ。恐るべし小田急線。このままでは干上がって本当にゾンビになりそうだったので、代々木上原方面に移動する。歩く途中、大きなモスクを見つける。トルコブルーの色彩が美しい。しげしげと眺めていると、見学デキマスヨ、と声をかけてもらう。二階ノ礼拝堂ヲゼヒ見テクダサイ。お言葉に甘え二階へ。入室前に注意書きを読む。モスクに入るのは初めてなので、失礼のないように念入りに読む。いざ入室すると、広い礼拝堂の真ん中に人影。礼拝中かな、邪魔してしまったかな、と思ったが、おじさんが扇風機にあたりながら寝っ転がってスマホをいじってるだけのようだった。なんだそれは。ヒマで仕方ない海の家か。焼きそば食いてえな。畜生。そうだ俺は腹が減っているのだ。モスクを出て上原へ向かう。上原には確かロケ弁で有名な金兵衛の直営店があったはずだ。ひさびさに銀だらの西京焼き弁当を食べたいぞ。銀だら、銀だら、その一心で駅を通り過ぎる。小洒落たカフェを尻目にただただ弁当の直売所を目指す。気分はやたらとストイック。久住昌之の漫画の主人公みたいな感じ。で、久住昌之の漫画なのでオチがつく。金兵衛は目の前で閉店。なんとなくそんな気はしていた。時間的にもう夕方だし。仕方ない。気を取り直してお店を探す。あてもなく商店街を歩く。開いているお店はない。そのまま歩くと代々木八幡駅に到着。開いていたスパゲティ屋さんに飛び込む。古いが清潔。夕方のアイドルタイムなのにそこそこお客さんがいる。老夫婦やファミリー。男性の一人客もいる。店員は三人。みなコック服とコック帽をピシッと着こなしている。調理の作業分担も完璧。所作に無駄がなく動きが美しい。これはきっと美味いぞ、美味いに決まってるぞ。そう話していたら、やっぱり美味い。

 

出来事はもう少し続くんだけど、なんだろ、急に飽きた。だからこの話はこれで終わり。

 

「自分の人生を生きよう」みたいな言葉を見かけるといつも思うこと。

言わんとしてることはわかるし、正しいと思う。他者の欲望、他者の怒り、他者の悲しみ、他者の規範、そういうものに振り回されず、自分の選択の結果、自分で紡いだと思える生を送りたいですね。それはまったくその通りで、賛同しかない。

で、それはそれとして、思うことがある。

誰にどう影響され、あるいは支配されるのであっても、わたしの人生はわたしの人生でしかあり得ない。わたしは、どうやっても、わたし以外の人生を生きることはできない。どんな紆余曲折があろうが、親の言いなりだろうが、世間体だけを気にしていようが、それはそういうわたしの人生である。

 

ああもういいや。これも投げ出す。眠る。

気が向いたら何か書くかも

 

 

 

梅雨晴れの土曜日

土曜日。東京は心地よい晴れ。梅雨の中休み。久しぶりにシンプルな日記。

 

昼過ぎにのそのそと起きて洗濯をする。徹夜で原稿仕事をしていたらしい彼女は床で布団をかぶって眠っている。暑がりの僕にあわせて部屋の温度は幾分低めに設定されており、それによってタオルケットではなく羽毛布団を選択したものと思われる。すまんなあ、苦労かけるなあ、でも暑いと寝汗でかゆくなって寝てるうちにボリボリかいちゃってお肌ヒリヒリなんねんすまんなあすまんなあ、と心で謝罪し、彼女のTシャツをやや丁寧に洗濯する。まだ洗濯機が回転を止めないうちに彼女は目を覚まし、超超超近未来に目覚ましをセットしてまた眠る。カップラーメンが二つできるくらいの時間で枕の下のスマホが重低音を鳴らし、3バースめが終わるところで彼女はそれを止め、また眠り、低音が響き、3バースめで止め、それが3セットほど繰り返される。要するにフリースタイルバトルのカラオケである。3バースめが終わり、どちらかに勝敗が決したところで彼女は起きる。起きて呆然としている。ボーッとしている、といのとも少し違う。仕事の進捗を確認しているのか、待合せまでの時間を逆算しているのか、それともシンプルに再起動中なのか。僕にはわからない。わからないが、呆然としている。呆然が終わると、絶望が始まる。たぶん働きたくないのだと思う。そうだとしたらその気持ちは大変によくわかる。呆然と絶望のと、再起動が終了し、あるいは健全な諦めが訪れ、そこからの彼女は早い。気持ちを立て直し、歯磨き洗面、着替、メイク、仕事道具の確認と支度を整えていく。僕はベッドに座ってそれを眺めている。洗濯が終わるのを待っている。

 

洗濯物を干し終わるまで待ってもらい(洗濯機とのマッチレースに彼女は勝ったのだ)、彼女といっしょに部屋を出る。タクシーに乗り込む彼女を見送り、赤坂へ。ビックカメラの酒販コーナーでジンを眺める。去年の夏、やたらとジンを飲んでいた時期があり、それからというもの、プレミアムジンに目がないのだ。ニッカが出したカフェジンというやつを買おうと思っていたのだけれど、同じく国産プレミアムジンの季の美ってやつも気になってしまい、決めきれずに買わずに退散。「買うかどうか」ならあまり悩まずに買ってしまうのだけれど、「どちらを買うか」だといつも決めきれずに悩んでしまう。お金があれば両方買うのだけど。お金はたくさんのことを解決する。畜生、金が欲しいぜ。そのまま何も買わずに銀座線で日本橋へ。高島屋のオーボンヴュータンでケークアングレを購入。珍しくいろんなケークが残っていたので、ついでにショコラオランジュも購入。徒歩で東京駅に移動し、改札をくぐってはせがわ酒店へ。赤武酒造の日本酒を購入。震災後、地元に移転してきたという蔵のお酒。日本酒にはまったく詳しくないのだけれど、やはり地元の水で仕込んだ酒というのは気持ちが乗っかるものだ。それから毎日が駅弁大会な駅弁屋さんを眺め、かきめしやますのすし、牛肉どまんなかなどの有名どころに混じってジャマイカ弁当なるものが売られているのを発見し即座に購入。ジャークチキン(独特のソースにつけて焼いたチキン。美味い。)、スマンプアンドゴー(タラとトウモロコシ粉のフリッター。美味い。)、ライスアンドピース(ココナツミルクで炊いた豆ご飯。美味い。)など、妙に本格的な内容。これはいったいどこの駅弁なのだろう?と思っていたら、レジでジャワティーホワイトを渡される。どうやらこれはジャワティーのコラボ弁当で、「ジャワティーは世界のどんな料理にも合うぞ!」ということを証明するため、いろんな国の弁当を出しているらしい。ジャワティーの担当者は馬鹿なのか。しかしこういう企画は嫌いじゃない。新宿へ戻ると仕事が終わった彼女から連絡。お腹すいた、何食べたい?うーんと、ビリヤニ。というわけて紀尾井町のエリックサウスへ。ミントチキンティッカ、オクラとトマトのカレー、チキンとたまごのカレー、バスマティライス、マトンビリヤニ、それにデザートのマンゴークルフィとココナツケーキ。完璧。エリックサウスはいつ行っても安定して美味しいから偉い。その割に混んでないし。謎。店を出て弁慶橋を渡る。やっと涼しくなった空気と青くライトアップされたお堀端の並木がぴったりですごくよかった。駅で彼女を見送り僕も帰宅。家でジャワティーホワイト飲んだらあまりに美味しくて興奮しながらネットでケース買い。ちょっと買いすぎたかなあ、置く場所ねえなあ、と思いながらの就寝。

 

明日は大事なお呼ばれの会。赤武のお酒とオーボンヴュータンのケークは喜んでもらえるだろうか。楽しい会になるといいなあ。遅刻しないように、早く寝ないとな。寝れないなあ。