bronson69の日記

いつか読み返して楽しむための文章。

総括(2018年の夏について)

夏の話をする。この夏はひどく鬱屈としていた。全身が鉛の気流に取り巻かれているみたいだった。遊びもしたし、楽しいこともそれなりにあったけれど、それは重たさを緩和する助けにはならなかった。とにかく何もしたくなかった。ここではないどこかへ行ってしまいたかったし、寝室から一歩も外へ出たくなかった。クーラーを強めにきかせた部屋で、ただ毛布にくるまって、不快な刺激をすべて遮断して、なにも思わず、なにも感じず、浮いているのか沈んでいるのかもわからないような状態でゆらゆらと漂っていたかった。けれど実際には、漂うことも引きこもることも何処かへ行くことも叶わなかった。日々諦めとともに朝を迎え、革靴を履いて仕事へ向かい、深夜に汗だくになって帰宅する。ただひたすらにそのルーティンを繰り返していた。同じような毎日をくるくると周回しながら、螺旋階段を降りるように、次第に沈んでいくのを感じていた。

 

振りはらおうとしていたのかどうか、気がつくと買い物ばかりしていた。冷蔵庫、靴、靴箱、洋服、本棚、眼鏡、イヤホン、それからたくさんの本とさらにたくさんの漫画。特に昔の漫画を大人買いすることが多かった。ムヒョとロージーの魔法律相談事務所めだかボックススラムダンクジョジョ。それらを買うだけ買って読むこともなく、ただメルカリの購入履歴を更新し続けていた。本棚からはあっという間に本があふれ、ベッドは古いジャンプコミックスの塔に取り囲まれた。

僕はそのベッドの上で、新調したイヤホンを耳に刺して丸くなっていた。聴きたい何かを見つけることもできず、ただ自動再生にしたYoutubeを垂れ流していた。始まりは台風クラブのライブ音源かどこかの国の人が勝手にミックスした山下達郎か、そのあたりの何かだったと思う。それからどこをどう巡ったのか、連続再生はいつのまにかくりぃむしちゅーのオールナイトニッポンにたどり着いていた。耳元で鳴る音楽が急におっさんのトークに切り替わる。なんだろう、と音声に注意を向ける。そしたらこれがまあ、メッタメタ(谷岡ヤスジ)に面白かった。あまりにもどうでもいい会話に膨大な熱量が注がれている。展開と混ぜっ返しがどこまでもスイングする。リスナーがタレントをいじり、タレントがリスナーを煽る。笑っているとあっという間に番組は終わり、連続再生はその次の回を再生する。それが終わるとそのまた次の回を再生する。調べてみると通常放送と復活スペシャル全163回のすべてがアップロードされている。そのことに気づいてから、生活の空き時間にはひたすらそればかり聴いていた。聴いていると重さから自由になれるような気がした。

 

ラジオのおかげか、それとも暑さが峠を超えたからか、8月が終わるころにはかなり大丈夫になっていた。ジャンプタワーも順調に消化し、球磨川禊のカッコつけない「勝ちたい」に涙したり、山王戦の無音のラストに何度目かもわからない涙を流したりしていた。ある週末、昼ごろに目を覚まし、しばしだらだらとまどろんでいると、隣のベッドの彼女も目を覚まし、おなかがすいたね、何か食べにいく?と声をかけてきた。特に食べたいものはなかったし、何より起き上がるのが面倒だった。今日は出かける気がしないなあ、でもお腹はすいたね、ピザでもとろうか?と言って、ふたりでメニューを吟味し、ドミノ・クワトロのパイナップルがのっているピザを注文した。お酒も飲んでしまおか、もうきょうは最高にダラダラしようぜ、きょうの俺たちはワルなんだぜ、といって、冷蔵庫から缶チューハイを持ってきて開けた。ワルなので届いたピザもベッドの上で開封した。ベッドの上にピザがひとつ載せられているというだけで、いつもの寝室がまるで新鮮なものに映った。クーラーの効いた寝室で、冷えたチューハイを飲み、寝転がったままピザを食べ、食べながらジョジョを読んだ。眠くなったら眠り、目を覚ましては続きを読んだ。彼女は同じように寝転がりながら読みさしの小説を読んでいた。楽しいねえ、と声をかけると、楽しいねえ、と返ってきた。事実、ダラダラするのは楽しかった。我々の寝室には時計もなく、窓には厚い遮光カーテンがかかっていた。その日はスマホを手にとることも、パソコンを開くこともなかった。時間の感覚もわからず、誰かと連絡を取ることもなかった。だから、あの日の寝室は、完全に隔絶されていた。あの日の寝室は、どこでもなかった。見知ったここでもないし、知らないどこかでもなかった。すべての関係や文脈から切り離された場所だった。まったく社会的ではない場所だった。ここではないどこかへ行きたい、でもどこにも行きたくない。夏のあいだずっと願っていたことがこんなふうに叶えられるなんて、これっぽっちも思ってなかった。

 

こうして今年の夏は終わった。2018年の夏は、ベッドの上のピザを象徴として記憶されることになる。ピザも驚いていると思うけれど、僕だって驚いている。だからまあ、お互い様ということで許してもらえればと思う。そこそこ長くやっているので、たまにはこういう夏もあるのだ。