bronson69の日記

いつか読み返して楽しむための文章。

飽きたら終わり

引っ越したい。そう思って賃貸サイトを見ていたら、小田急線に条件の合う部屋を見つけた。小田急線。これまで関わりのなかった路線。思い入れも知識も全く無い路線。京急田園都市線と同じくらい知らない路線。これも何かのご縁、以後お見知りおきを、ということで内見に行った。古いが部屋数の多い、駅チカの物件。行ってみたら相応に古く、図面のとおりに部屋があり、駅はマンションの目の前だった。可もなければ不可もなく、何よりトキメキのない部屋だった。トキメキのない新居なんて、ワインビネガーのないポークビンダルーのようなものだ。この時点でテンションはだいぶ下がっていたのだけれど、せっかくだから街を見てみることにした。東北沢。代々木上原と下北沢に挟まれた、各駅停車しか止まらない街。駅の周りをぐるりと歩き、メインストリートをふらふらと歩き、この街には何も無いということがわかった。ここには何も無い。駅の他には、ローソンと郵便局がひとつずつあるだけ。昼時なのにご飯を食べるお店もない。そもそも通行人がいない。週末だというのに。ここは隠れ里か。平家の隠れ里か。隠れキリシタンの住む隠れ里なのか。ぼのぼのの「なにもしないをしてるんだよ」を思い出した。なにもないがある街、東北沢。暮らすイメージが全く湧かない。焼けつく太陽。無人の街。汗だくになって歩く僕ら。まるでゾンビ映画みたいだ。しかもこの街にはゾンビすらいないのだ。恐るべし小田急線。このままでは干上がって本当にゾンビになりそうだったので、代々木上原方面に移動する。歩く途中、大きなモスクを見つける。トルコブルーの色彩が美しい。しげしげと眺めていると、見学デキマスヨ、と声をかけてもらう。二階ノ礼拝堂ヲゼヒ見テクダサイ。お言葉に甘え二階へ。入室前に注意書きを読む。モスクに入るのは初めてなので、失礼のないように念入りに読む。いざ入室すると、広い礼拝堂の真ん中に人影。礼拝中かな、邪魔してしまったかな、と思ったが、おじさんが扇風機にあたりながら寝っ転がってスマホをいじってるだけのようだった。なんだそれは。ヒマで仕方ない海の家か。焼きそば食いてえな。畜生。そうだ俺は腹が減っているのだ。モスクを出て上原へ向かう。上原には確かロケ弁で有名な金兵衛の直営店があったはずだ。ひさびさに銀だらの西京焼き弁当を食べたいぞ。銀だら、銀だら、その一心で駅を通り過ぎる。小洒落たカフェを尻目にただただ弁当の直売所を目指す。気分はやたらとストイック。久住昌之の漫画の主人公みたいな感じ。で、久住昌之の漫画なのでオチがつく。金兵衛は目の前で閉店。なんとなくそんな気はしていた。時間的にもう夕方だし。仕方ない。気を取り直してお店を探す。あてもなく商店街を歩く。開いているお店はない。そのまま歩くと代々木八幡駅に到着。開いていたスパゲティ屋さんに飛び込む。古いが清潔。夕方のアイドルタイムなのにそこそこお客さんがいる。老夫婦やファミリー。男性の一人客もいる。店員は三人。みなコック服とコック帽をピシッと着こなしている。調理の作業分担も完璧。所作に無駄がなく動きが美しい。これはきっと美味いぞ、美味いに決まってるぞ。そう話していたら、やっぱり美味い。

 

出来事はもう少し続くんだけど、なんだろ、急に飽きた。だからこの話はこれで終わり。

 

「自分の人生を生きよう」みたいな言葉を見かけるといつも思うこと。

言わんとしてることはわかるし、正しいと思う。他者の欲望、他者の怒り、他者の悲しみ、他者の規範、そういうものに振り回されず、自分の選択の結果、自分で紡いだと思える生を送りたいですね。それはまったくその通りで、賛同しかない。

で、それはそれとして、思うことがある。

誰にどう影響され、あるいは支配されるのであっても、わたしの人生はわたしの人生でしかあり得ない。わたしは、どうやっても、わたし以外の人生を生きることはできない。どんな紆余曲折があろうが、親の言いなりだろうが、世間体だけを気にしていようが、それはそういうわたしの人生である。

 

ああもういいや。これも投げ出す。眠る。

気が向いたら何か書くかも

 

 

 

梅雨晴れの土曜日

土曜日。東京は心地よい晴れ。梅雨の中休み。久しぶりにシンプルな日記。

 

昼過ぎにのそのそと起きて洗濯をする。徹夜で原稿仕事をしていたらしい彼女は床で布団をかぶって眠っている。暑がりの僕にあわせて部屋の温度は幾分低めに設定されており、それによってタオルケットではなく羽毛布団を選択したものと思われる。すまんなあ、苦労かけるなあ、でも暑いと寝汗でかゆくなって寝てるうちにボリボリかいちゃってお肌ヒリヒリなんねんすまんなあすまんなあ、と心で謝罪し、彼女のTシャツをやや丁寧に洗濯する。まだ洗濯機が回転を止めないうちに彼女は目を覚まし、超超超近未来に目覚ましをセットしてまた眠る。カップラーメンが二つできるくらいの時間で枕の下のスマホが重低音を鳴らし、3バースめが終わるところで彼女はそれを止め、また眠り、低音が響き、3バースめで止め、それが3セットほど繰り返される。要するにフリースタイルバトルのカラオケである。3バースめが終わり、どちらかに勝敗が決したところで彼女は起きる。起きて呆然としている。ボーッとしている、といのとも少し違う。仕事の進捗を確認しているのか、待合せまでの時間を逆算しているのか、それともシンプルに再起動中なのか。僕にはわからない。わからないが、呆然としている。呆然が終わると、絶望が始まる。たぶん働きたくないのだと思う。そうだとしたらその気持ちは大変によくわかる。呆然と絶望のと、再起動が終了し、あるいは健全な諦めが訪れ、そこからの彼女は早い。気持ちを立て直し、歯磨き洗面、着替、メイク、仕事道具の確認と支度を整えていく。僕はベッドに座ってそれを眺めている。洗濯が終わるのを待っている。

 

洗濯物を干し終わるまで待ってもらい(洗濯機とのマッチレースに彼女は勝ったのだ)、彼女といっしょに部屋を出る。タクシーに乗り込む彼女を見送り、赤坂へ。ビックカメラの酒販コーナーでジンを眺める。去年の夏、やたらとジンを飲んでいた時期があり、それからというもの、プレミアムジンに目がないのだ。ニッカが出したカフェジンというやつを買おうと思っていたのだけれど、同じく国産プレミアムジンの季の美ってやつも気になってしまい、決めきれずに買わずに退散。「買うかどうか」ならあまり悩まずに買ってしまうのだけれど、「どちらを買うか」だといつも決めきれずに悩んでしまう。お金があれば両方買うのだけど。お金はたくさんのことを解決する。畜生、金が欲しいぜ。そのまま何も買わずに銀座線で日本橋へ。高島屋のオーボンヴュータンでケークアングレを購入。珍しくいろんなケークが残っていたので、ついでにショコラオランジュも購入。徒歩で東京駅に移動し、改札をくぐってはせがわ酒店へ。赤武酒造の日本酒を購入。震災後、地元に移転してきたという蔵のお酒。日本酒にはまったく詳しくないのだけれど、やはり地元の水で仕込んだ酒というのは気持ちが乗っかるものだ。それから毎日が駅弁大会な駅弁屋さんを眺め、かきめしやますのすし、牛肉どまんなかなどの有名どころに混じってジャマイカ弁当なるものが売られているのを発見し即座に購入。ジャークチキン(独特のソースにつけて焼いたチキン。美味い。)、スマンプアンドゴー(タラとトウモロコシ粉のフリッター。美味い。)、ライスアンドピース(ココナツミルクで炊いた豆ご飯。美味い。)など、妙に本格的な内容。これはいったいどこの駅弁なのだろう?と思っていたら、レジでジャワティーホワイトを渡される。どうやらこれはジャワティーのコラボ弁当で、「ジャワティーは世界のどんな料理にも合うぞ!」ということを証明するため、いろんな国の弁当を出しているらしい。ジャワティーの担当者は馬鹿なのか。しかしこういう企画は嫌いじゃない。新宿へ戻ると仕事が終わった彼女から連絡。お腹すいた、何食べたい?うーんと、ビリヤニ。というわけて紀尾井町のエリックサウスへ。ミントチキンティッカ、オクラとトマトのカレー、チキンとたまごのカレー、バスマティライス、マトンビリヤニ、それにデザートのマンゴークルフィとココナツケーキ。完璧。エリックサウスはいつ行っても安定して美味しいから偉い。その割に混んでないし。謎。店を出て弁慶橋を渡る。やっと涼しくなった空気と青くライトアップされたお堀端の並木がぴったりですごくよかった。駅で彼女を見送り僕も帰宅。家でジャワティーホワイト飲んだらあまりに美味しくて興奮しながらネットでケース買い。ちょっと買いすぎたかなあ、置く場所ねえなあ、と思いながらの就寝。

 

明日は大事なお呼ばれの会。赤武のお酒とオーボンヴュータンのケークは喜んでもらえるだろうか。楽しい会になるといいなあ。遅刻しないように、早く寝ないとな。寝れないなあ。

徒然

7月の頭は闇夜だった。ようやく梅雨めいた空気が漂いはじめ、粘り気のあるぬるい夜風が身体にまとわりついてくる。空は重たい雲に覆われ、月も星もまるで見えない。いつもならば都市の灯りを反射していつでも薄明るい夜なのに、雲が光を吸収しているのか、墨を流したように暗い。薄汚れた野良の黒猫のような色があたりを包んでいる。自転車を漕ぐのが怖くなるような暗さ。毎年こんなだったかな、と思うが昨年の夜の色のことはまるで覚えていなかった。特筆すべきことがなかったから覚えがないのか、それとも夜の闇が記憶まで黒く塗りつぶしてしまったのか。後者だったら楽しいのにな、と思う。いつもより暗い夜があり、あらゆるものが黒く覆われ、そのまま塗りこめられて消えてしまえばいいと思う。たまにはそういう日があってもいい。たまになら。

 

長い長い繁忙期は6月いっぱいで一段落し、ヘロヘロになりながらラストスパートをどうにか走りきって今がある。少し時間は出来たのだけれど、どうにもやる気が出ない。映画もドラマも本も漫画もお芝居も、どうも気が向かない。漫画を積ん読してるってのは僕には滅多にないことで、すなわちどうやら本格的に気が向かないようなのだ。ここんとこ、文化的な行動といえばYouTubeでダラダラと音楽を聴くことくらいしかしていない。どこから視聴を始めても、関連動画ホッピングを続けた結果、気がつけばゆるふわギャングか椎名林檎tofubeatsか、そのどれかのループに収束してしまう。進化の袋小路を体験している気持ちになる。「火の鳥」の未来編の山之辺マサトもこんな気持ちだったのだろうか。ゆるふわギャングも椎名林檎tofubeatsもかっこいいから何の文句もないんですけどね。

 

カルチャーの摂取をあまりしていないわりに、カルチャーについてモヤモヤと考えることはよくあって、それは「『退屈』はどこへいってしまったのか?」ってことで、こんなふうにモヤモヤを言語化出来たのもつい最近のことなので何かまとまった考えがあるわけではないのだけれど、まあそういうことなのだ。

徒然と書いてみる。退屈、諦念、そういうものが通奏低音として流れていた時代があった。岡崎京子吉本ばななよしもとよしとも、「トレインスポッティング」にピチカート・ファイヴ(というか小西康陽)にフリッパーズ・ギター、雑にまとめて言うてしまえば「渋谷系」とは退屈をテーマにした表現のことだった。夜通しのパーティよりも、パーティが終わったあとの散らかった部屋と倦怠感、それこそが渋谷系の本質だった。退屈で退屈で死にそうで死がほんとすぐ側に感じられて、退屈を紛らわせたくて音楽を聴いて頭をブンブン振り回して、酒を飲んで恋をして、その当時ぼくは北東北のイケてない高校生だったけれど、そういう世界観にバリバリに共感していた。「リバーズ・エッジ」のラストに引用されてるウィリアム・ギブスンの誌、宮台真司が「終わりなき日常」と読んだもの、その感覚は確かにあの世代に広く共有されていたものだった。

気がつけば、街中から「あの匂い」が消えているように思える。あの感覚はどこにいってしまったのだろう。僕が知らないだけで、最近の表現にもあの感覚は残っているのだろうか。それともああいうのは「メンヘラ乙」で括られて処理されてしまうのだろうか。あの感覚がなくなったのだとしたら、それは何故なのだろうか。

飲みながら友達とそういう話をしていたら、インターネットじゃないか、と言われた。あのころ、そういう感覚を持っていたひと、岡崎京子フリッパーズ・ギターを好むようなひとは学年にひとり、せいぜいクラスにひとりしかいなくて、その比率は地方でも東京でも同じで、コミュニティになんかなり得なかったし「同じ感覚で、自分より面白いひと」と知り合うなんて奇跡みたいな感じだったけど、インターネットならすぐ仲間を見つけられるから、だから、みんなハッピーになったんじゃない?と。だとすると、あの諦念も退屈も、ただみんな寂しかったってことなのだろうか。そんなような気もするし、それだけじゃないよなって気もする。よく分からない。よく分からないのは自分の中からも「あの感じ」が消えてしまっているからなのかもしれない。「終わりなき日常」は終わったのだろうか。「終わりなき日常」はそのままだけど、その中で生きていくのに適応したってことなのだろうか。その二つにそもそも差はあるのだろうか。よく分からない。

 

おっさんなので酔っぱらうとW村上(春樹と龍)の話をするのだけれど、ふたりとも「人生は無意味である、無価値で退屈で砂を噛むようなもの、それが人生である」って認識は全く同じで、それを受け入れてやり過ごすのが春樹、忘れるためにハードなセックスや暴力やドラッグにのめりこむのが龍、って区分をいつもしている。なんで人生が無価値なのかというと、まあ簡単に言えば、死ぬからだ。私たちが変わらずにいられないから、つまり、飽きるし、忘れるし、老いるし、死ぬからだ。先月見たFUKAIプロデュース羽衣の「愛死に」のテーマもまんまこれだった。あと余談だけど大島弓子の後期、単行本でいうと「ロストハウス」はこの恐怖に満ちている。ああ、このころの大島先生は自分が老いるってことにはじめて直面していたんだな、怖かったんだな、と思わせる内容。

 

何を言いたいのかよくわからなくなってきた。もともと何を言いたいのかわからないまま書き出しているので当たり前のことなのだけれど。よくわからないので、最近お気に入りのフレーズを書いて終わることにする。

 

恋の測りがたさにくらべれば、死の測りがたさなど、なにほどのことでもあるまいに。

恋だけを、人は一途に想うてをればよいものを。

 

これはFUKAIプロデュース羽衣の「サロメvsヨカナーン」って曲の一節。もともとはオスカー・ワイルドの「サロメ」って戯曲の台詞。YouTubeでこればっか延々と聴き続けていた日があって、それからずっと、隙あらばこのフレーズを口ずさんでいる。時代の空気はよくわからないけれど、気がつけばずっと、死ではなく恋のことを考えている。恋だけを想うてをればよいのだ。恋だけを想っていれば大丈夫。愛があれば大丈夫。広瀬香美の言うとおり。

万事快調

「働いて働いてまた働く、仕事より楽しいのはまた仕事」と歌ったのは真島昌利で、「仕事ばかりで遊ばない、ジャックは今に気が狂う」とはキューブリックの「シャイニング」に出てくる一節。そんでもってほんとに仕事ばっかで狂いそうな感じに仕上がってるのが俺。狂いそうってもストレスとフラストレーション溜め込んでウワー!ってなってショットガンをぶっ放しちゃうやつではなくて、もっと静かなやつ、致命的なチューニングのズレを、どこか噛み合わない歯車を抱えたまま平穏で単調な日常生活をおくってしまうような、そういうやつ。そもそもこんなに仕事ばっかして気が狂わないほうがおかしい。そんなの狂ってる。

帳尻を合わせなければならない。冷凍庫からハーゲンダッツのラムレーズンのパイントを取り出す。大きなスプーンを直接つっこみ、口に運ぶ。冷えたスプーンの凍るような感触。治療中の奥歯に疼痛が走る。戸棚を開け、グラスにウイスキーを注ぎ、舐めるように飲む。ピチカート・ファイヴの「ベリッシマ」を再生する。退屈と諦念に身体を浸す。仕事ばかりしていると、知らず知らず仕事のペースに巻きこまれてしまう。仕事ばっかで遊ばない、それで平気になってしまう。まるで恋をするように、夢中になって仕事をする羽目になる。なんて恐ろしいことだろう。きちんとやさぐれなければいけない。仕事ばかりで遊ばないのなら、ちゃんと狂わなければいけない。そうでないと、湧きあがる退屈の音が聞こえなくなってしまう。これは恋ではなくってただの仕事。そういうふうでなくてはいけない。分をわきまえなければいけない。恋には恋の領分があり、仕事には仕事の了見がある。夜のドライブにも夜の仕事にも終わりが必要である。

 

ウイスキーを二杯ほど飲んだところで外に出る。引き続きピチカートを聴きながら、なんとなく街の方に歩いていく。疲れているのか、歩くたびに歯が響く。痛いまではいかない。ただ響く。早く治療の続きをしたい。そういえば家のシャンプーがなくなった。ベローチェは改装してからいつもたくさんのお客さんで賑わっている。シーシャとリンゴ飴の店にはまだ行っていない。気にはなるけど行っていない。シーシャもリンゴ飴も、そこまで好きでもない。耳の後ろがむず痒い。目も痒い。こんどは何の花粉かそれともPM2.5かおのれ中国め、などと思うがただ伸びた前髪が目に入っているだけだった。そういえばしばらく髪を切っていない。フリッパーズの髪を切るさバスルームでひとりきり大暴れ、ってあの歌詞、ひとりきりってことはセルフカットしてるのだろうか。裸でセルフカットで失敗して大暴れしてる歌なのだろか。セルフカットって、よっぽど自分のセンスに自信がないと出来ないよなー。俺には絶対できない。過去に一度だけもみあげを自分で切ってみたことがあるけれど、最終的に耳たぶまでの長さのオカッパみたいなおかしなヘアスタイルになって絶望した。学校行くのキツかったなあ。そういえば、中学校くらいのころ、散髪のたびに変な髪型に仕上げられていた時期があった。教室に入った瞬間ドッと笑いがおきるくらいに変な髪型。いま思えばさっさと店を変えるべきだったのだけど、美容師さんがやたらと自信満々なひとで、これは変なのでは…?と言い出せなかった。自分の感覚が間違えてるのか?セットがきちんと出来ない自分が悪いのか?と思ってしまい、しばらく通い続けてしまった。あれは間違った選択だった。道の対面に世界の山ちゃんが見える。世界の山ちゃんには行ったことがない。だから何が世界なのかわかっていない。メニューも内装も丸パクリの店を「平行世界のやまちゃん」って名前で出したら怒られるだろうか。あり得た可能性としてのやまちゃん。やまちゃんis誰。そういえばこの世界の山田はあまねく山ちゃんってあだ名で呼ばれるものだと思っていたけれど、山田邦子はクニちゃんなんだな。あだ名の由来になりやすさ、山田と邦子だと邦子が勝つ。こんな感じで苗字と名前でトーナメントやったら最終的にはどんな苗字と名前が残るんだろう。奇抜な感じになるのか、シンプルになるのか。奇抜だからってあだ名の由来になるわけでもない。五所川原さんって苗字のひと、ゴショちゃんとかごっしょんとか呼ばれないよねきっと。シャンプーを切らしているのでシャンプーを買わなくてはいけない。らんま1/2のシャンプーの歌がめちゃくちゃ可愛くて一時期すげー好きだった。猫飯店メニューソング。でもシャンプーは何か好きになれなかったなー。あかねとらんまのカップルが好きでした。らんまの最終回とうる星やつらの最終回はたぶん永遠に好きだと思う。あたるの「今際のきわに言ってやる!」より素敵な愛の告白はあるのだろうか。そうだドコモショップにも行かなくては。ちょうど二年縛りの更新月なのだ。こんどはMVNOにしようと思っている。MVNOとはなんの略なのだろう。モバイルバーチャルニューラルオーガニゼーションだったらかっこいいな。仮想移動体神経機関。いい。攻殻機動隊の世界観だ。情報のすべては一枚のsimカードにダウンロードされていて、チップを差し替えるだけでどのスマホでもお使いいただけます。あれ。普通だ。普通のMVNOだ。攻殻機動隊どこいった。シャンプーだ。シャンプーを切らしているので買わなくては。ミントのやつがいい。夏だから。さっぱりしたい。夏だから。

 

それからボタニストのシャンプーを買い、煮干しラーメンを食べて帰宅。なんとなく腕立て伏せをし、ナカゴーとままごとのチケットを予約し、頭を洗い、ミントの香りに包まれてウイスキーを飲みつつこれを書いている。ああ、ミント・ジュレップを飲みたいな。それか美味しいジンでもいいな。でも飲みに行くの面倒くさいな。ああ。

風邪

風邪だった。おかげさまでだいぶ過去形。病みだしてから終息まで、早送りな感じのやつだった。なんか喉がいがらっぽいな、喉痛いな、熱っぽいな、高熱じゃん、下がってきたな、鼻水すげーな、今度は咳か、これがそれぞれ一日ずつ。忙しかったので仕事を休むこともできず、あー休みてーなー病院いかなきゃなーと思ってるうちに治ってしまった。しかしもう一度見るつもりだったFUKAIプロデュース羽衣「愛死に」も見れなかったし、チケットとってたチェルフィッチュも行けなかった。高熱に由来する全身の痛みとだるさに耐えつつ、ベッドの上に転がって、恋人の用意してくれた経口補水液をグビグビ飲み、ヤフオクで落とした「初期のいましろたかし」を読んで、やっぱこれだよなあ、こうじゃなくちゃいかんよなあ、恋人がいようがスーツ着て仕事をしてようが、いつまでもオレはハーツ&マインズ読むたびに撃ち抜かれてしまうんだろうなあ、と思いながら熱い熱いため息を吐いていた。そうやって長い夜を過ごしていた。

歯痛

働いていたら、急に奥歯が痛みだした。あまりにも突然すぎたから、曜日も時間もはっきり覚えている。水曜の夕方、きっかり16時だった。疲れているのかな、と思った。疲労がたまり、体の免疫力が落ちるとあちこちに謎の痛みが出たりする。人体はそういうふうに出来ている。ここ数年で身をもって学んだ。まあでもきっと安静にしてれば消える類いの痛みだろう、なんてたかをくくっていたのだけれど痛みは消えず、それどころかゆっくりと強く大きくなってくる。ツバメの雛が育つように、ゆっくりと、しかし着実に。

痛みとともに一晩を過ごし、朝を待って歯医者に電話をする。とれた予約は数日後。それまで痛みをこらえながらの生活。仕事中、食事中、睡眠中。痛みには強弱もリズムもなかった。常にそこにあり、ただゆっくりと強さを増していく。不思議なことに、痛みは強くなりつつ鈍くもなる。鋭さがなくなり、痛みの輪郭がぼやけて、だんだんどの歯が痛いのかわからなくなってくる。指を口に入れ奥歯を触る。ひとつずつ、歯を押してみる。指先で叩いてみる。どの歯を刺激しても痛みに変化はない。変化はないが、鈍く重たい痛みがそこにある。何をしていても変わらない痛み。下顎を万力で少しずつ締め上げられるような、安定した痛み。こういうタイプの痛みはいままで味わったことがなかった。

 

週末。大学時代からの友人が結婚するというので、お祝いの飲み会。相変わらず歯は痛む。歌舞伎町の路地裏の中華料理屋。異国情緒あふれる怪しげな店でロキソニンをガリガリと齧りながら紹興酒をあおる。洋ドラに出てくるジャンキーの気分。何を話したのかあんまり覚えていないけれど、たしか生活の話をしていた。保険、仕事、家、子ども、介護。集まると自然とそういう話になる。我々もそういう年になったのだ。ほんとなあ、こんな年まできちんと生活し続けてるなんて、まだなんか信じられないよ。みんながんばったよな。立派に生き延びて、ちゃんと幸せに過ごしてるもんな。ちょっと気恥ずかしい感慨に耽りつつ、痛む下顎で蜘蛛とムカデの串揚げを噛み締める。ここはゲテモノ料理でも有名な店なのだ。結婚祝いの景気づけに注文してしまった節足動物からは、漢方薬の臭いと質の悪い油の味がした。

 

FUKAIプロデュース羽衣の「愛死に」を見た。性愛をテーマに、絶唱と激しいダンスで濃密な生を表現する「愛」のパートと、あれほど豊かだった愛がいつかすべて忘れさられ失われていく、その無常を表現する「死」のパートと。愛が濃密であればあるほど、死の物悲しさが引き立つ。もののあはれ、である。傑作だと思った。もののあはれを絶唱する姿を見ながら、一時、歯の痛みを忘れた。

 

わたしたちは皆、すべてを忘れ、すべてを失って死んでいく。それは圧倒的な事実である。だからわたしたちはいつも哀しみを抱えている。静謐で透きとおった哀しみ。

もしも事実に抗い、「愛は死んだって消えない、愛はいつまでも輝きつづける」と表明するならば、それは風車と戦うドン・キホーテの行いに等しい。なんてロマンティックで力強い戦いだろう。客観的にはどう考えても負け戦、それでも勝つことを一切疑わず戦い続けるその姿は、もう眩しくってたまらない。

哀しみと、眩しさと、そのどちらもが美しいと感じる。双方に惹きつけられ、その合間で揺れ動く。恋をし、恋を失い、年を重ね、変化するもの、変わらないもの、いつか失われるすべてと永遠になくならないすべて、そのいずれもがほんとうであると思いながら、毎日が進んでいく。いままでもそうだし、たぶんこれからもそうあり続ける。

 

相変わらず奥歯は痛む。奥歯の痛みは永遠だろうか。ちゃんと失われてくれるのだろうか。とにかく歯医者さんの奮闘に期待しよう。この戦いにはきちんと勝ってもらいたい。ドン・キホーテみたいな先生でないといいなあ。

 

高架

6月最初の日曜日。東京は朝から晴天。

 

職場のピクニックにいくという彼女を駅まで送る。夏のような強い日差し。背中が暑い。首すじの汗が雫になる。空気はからりとしているから、風がそよげば心地よい。こんな日に木かげでピクニックは楽しいだろうな。大荷物を抱えた彼女の背中が地下鉄の階段に消えていくのを見送る。家に帰り、窓を大きくあける。まだ朝といっていい時間だけれど、酒を飲むことにする。冷蔵庫から出してすぐの夏酒をコップで。冷えた芳香が喉を通過する。呼吸が少し熱を帯びる。最近はすぐに酔いがまわるようになった。きょうも一杯で心地が変動してしまう。これはやっぱあれなんだろな、年くったってことなんだろな。

 

昔の話をする。大学の、たぶん二年の終わりごろのことだったと思う。当時住んでいた、多摩ニュータウン小田急線の外れの線路沿いのアパートでの出来事だ。友達がどやどやと俺のアパートに遊びに来て、馬鹿みたいに飲んで、みんなベロベロになってワーワーやってたら、真夜中にひとりの女の子と男の子がケンカを始めて。まあそのふたりがつきあってたってのは後からわかるんだけど、そんときゃまだみんなそのことを知らなくて。ケンカの原因はなんだったかな、忘れてしまった、とにかくだんだんエスカレートして、いま思うとほんとそういうのよくないと思うんだけど、男のほうが女の子を理詰めで追い詰めて、泣かして、そしたら女の子がパッと家を飛び出してしまって。あ、ヤベえってみんなで探しに行って、夜中のニュータウンを探し回ったんだけど見つからず、携帯鳴らしても俺んちのテーブルの上でバイブするだけ、どうする警察連絡するか、いやそれも大げさすぎないか、そうこうしてるうちに夜も開けてきて、いよいよ警察か、ってなったときに玄関がガチャって開いてその子が帰ってきた。だいじょうぶ、どこにいたの、心配したよ、寒かったでしょ、あったかいお茶いれるからね、とりあえず入んな、って家に入れて、みんなでお茶飲んでたら、ぽつりぽつりと話し始めた。

ケンカして、ぜんぜん優しくないこと言われて、ほんともういいやってなって、死のうと思った。死のうとして外に出てぱっと顔上げたら線路の高架があったから、電車に轢かれようって思って斜面登って線路に入った。サンダルで斜面登んの超きつくて、かたっぽ脱げてどっかいっちゃって、片足裸足になった。でも死ぬからもういいって思った。そんで、とりあえず歩こう、電車来たらそのまま轢かれようって、終点の方に向かって歩いた。線路、めちゃくちゃ静かだった。照明も消えてて、月明かりでレールがぼんやり見えるだけ。終点の方、お店とかもないし、家の電気もみんな消えてるし、街灯がぽつんと見えるくらいで、ほんとに暗かった。でも怖いとかはなくて、電車こないなって、それだけ。

で、歩いてたら、あっ終電、ってなった。終電終わってるからたぶんこれ電車こないな、って。そしたらなんか面白くなっちゃって、ひとりでめっちゃ笑った。笑いながら歩いて、そのまま終点の駅までいって、誰もいないホームのベンチで少し座ってた。そしたらうっすら明るくなってきたから、駅員さんに見つかるとめんどいし、ホームの脇から道路に出て、また歩いて帰ってきた。

危な、終電終わっててよかったよ、貨物列車とかこない路線でよかった、死ななくてほんとによかった、とりあえずサンダル探しにいこう、ケンカのあれは後でふたりで話して仲直りせえよ、ってひとしきり喋って、それからみんなで無くしたサンダルを探しに行った。え、マジでここ登ったの!?みたいな、ほぼ藪の斜面をみんなで探した。あったー!って上の方からドロッドロのサンダルを掲げた彼女が降りてきて、みんな死ぬかと思うくらい笑った。そんでそのままデニーズ行って、モーニングでビール飲んで解散した。そういう思い出。

 

最近よくこのことを思い出す。思い出して、真夜中の高架の上をひとりで歩くってどんな感じなのだろう、と想像する。

音もなく、誰もおらず、ただ月と星と夜空とレールだけがある。レールは大きくカーブして丘の向こうに続いている。見渡すと多摩丘陵がぎゅうっと黒く、夜空の藍と対象的に映る。ほとんどの家の電気は消えて、斜面にそって四角と三角のシルエットだけが浮かんでいる。静謐のなか、どんなふうに歩いているだろう。月を見上げているだろうか。それともじっとレールを見つめているだろうか。何かを考えたり思い出したりするのだろうか。それともぜんぶ忘れて空っぽになって、諦念を全身にまといながらただレールにそって歩くのだろうか。

ケンカしてカッとなって死のうとして、って全然いい話じゃないんだけれど、そのシチュエーションだけは、なんだかとても美しく思えてしまうのだ。

 

そんなことを考えながら飲んでいたら、いつのまにか潰れていた。起きたらもう夜だった。ピクニック帰りの彼女を駅まで自転車で迎えに行き、自転車を押しながら二人で歩いた。朝から潰れるまで飲むと休日も潰れるということがわかったよ、と言ったら、上手いこと言ったっぽいけどそれ別に上手くないからね、と言われた。少し肌寒い、月のきれいな夜だった。