bronson69の日記

いつか読み返して楽しむための文章。

木ノ下歌舞伎「東海道四谷怪談」

土曜。はじめての木ノ下歌舞伎。鶴屋南北、「東海道四谷怪談」通し。あうるすぽっと。

 

6時間は長いよな、途中寝ちゃったりすんじゃないか、寝ちゃって尻の肉が取れる夢など見てしまうんじゃないか、そんなことを思いながら劇場へ向かう。結果はと言うと、まったく寝なかった。6時間ずーっと面白かった。自分の集中力があんなに続くとは思ってもみなかった。尻は痛かった。眠っていたら肉が千切れる夢くらいは見ただろう、というくらいには痛かった。あと膝。6時間ずーっと同じ角度で曲げっぱなしだった、膝。

 

恥ずかしながら「東海道四谷怪談」がどんなお話かをきちんと知らずに生きてきたようなタイプの人間なので、今回の作品の新しさがどこにあるのか、みたいなことはたぶん全くわかっていないのだろうと思う。でも面白かった。現代劇みてるのと同じような感覚で面白いと思えた。口語体と文語体が入り交じるセリフ。現代劇の所作と歌舞伎の所作が入り交じる身体の使い方。歌舞伎のことを何もわかっていない自分がこんなことを言うのは気が引けるけれど、歌舞伎のかっこよい部分(見栄とか殺陣とか)をバッチリ残しつつ、情感的なドラマ部分は解説無しでわかるよう口語体で現代劇的に、という印象を受けた。

 

四谷怪談は怪談話ではなかった。忠臣蔵のスピンオフのような形態で、「お家が大事」という物凄くデカくて重い社会規範を内面化してしまった人びとが規範と思慕の情のあいだで引き裂かれていく、そういう悲劇だった。役者さんはみんな達者だったのだけど、伊右衛門を演じた亀島一徳さんは特に良かった。マザコンで、チンピラで、主君の病気を治すため高価な薬を盗んで逃げた小者をニヤニヤ笑いながらリンチする、まるで綾瀬のコンクリ殺人事件の犯人たちのようなド屑なのだけれど、何か憎めない可愛げとイイやつ感がある。いわゆる「本当はいい子なんです」というやつだ。いや、たぶん伊右衛門だって辛いのだよ。本当なら偉いサムライだったのに、主君お取り潰しで無職だし。お金はないけど、仲間や後輩の手前、イキり続けないといけないし。そんなんだからいっつも借金取りに追われて、家宝の薬まで取り上げられる始末だし。舅を殺してまで手に入れた最愛の妻・岩は仇討ちばっか急かしてきて自分を愛している素振りはないし。おまけにどうやら岩は死病を病んでるし。そんなところに金持ちの娘から惚れられて、死にかけの女房なんて捨てて婿になってよ、婿になってくれたら借金もチャラだし出世もさせるし生涯安泰ですよ…なんて誘われたら、そりゃ迷うっしょ、いくら惚れたオンナだっても迷うっしょ、迷った末にお岩を追い出す決断したってしゃーないっしょ、確かにその結果としてお岩は死んじゃったけど、ありゃ事故だし、そもそも顔がバケモノみたいになる薬飲ませたのは俺じゃないし、そもそも俺は薬のこと知らなかったし、ああもうなんでこんなことになんだよ!なんで思い通りにいかねーんだよ!なんとなくヌルくハッピーになれればそれでオッケーなのによ、なんで面倒くせえことばっか起こんだよ!ああ!あああ!クラスでいちばん脚はえーの俺なのによ!ああ!

 

いつのまにか伊右衛門に成りきって吠えてしまっていた。こう活字にしてしまうと完全なるド屑でこいつのどこに魅力が…?ってなるのだけれど、舞台で亀島さん演ずる伊右衛門を見ていると、憎めなくなってしまう。たぶん伊右衛門は、自分が頑張らなくていい範囲、自分がコストを負担しなくていい範囲であれば、優しくて気立てのいい男なのだ。お岩のことだって本当に好きだったのだ。ただ、ちょっと負荷がかかるとすぐに全部が面倒になってしまい、易きに流れてしまうのだ。俺はどうも、この手のクズを切断処理して憎むことが出来ない。自分もこういうとこあるしな、というのももちろんある。でもそれ以上に、こういう弱さというのは人間の根源的な弱さなのではないか、と思ってしまう。程度の差はあれ、「辛いことから逃げ出したい」という弱さは万民が共有するものであり、遠藤周作が「沈黙」で描きたかったもの、即ちイエスが共に背負ってくださる罪と本質的に同じなのではないかと思うのだ。

 

亀島さんの演技を見ていると、伊右衛門というキャラクターが「稀代の大悪党」ではなく「流されやすくて愉快で気のいい甘ったれのチンピラ」に見える。簡単に言えば、子どもなのだ。子どもだから、色んなことが自分に都合よく進めばいいとばかり考えるし、子どもだから、あれだけ酷いことをしたお岩と星の下で出会い直すような都合の良い甘い夢も見る。子どもだから、大人の論理にはムキになって反抗する。ラスト、伊右衛門を斬りにくる与茂七(この人もまた仇討ちのために女房死なせたり色々あるのだ…)との立ち回りの格好良さよ。あれは子どもの格好良さだ。クラスでいちばん脚の速い男子の格好良さであり、アメリカン・ニューシネマの格好良さだ。「明日に向かって撃て」の、「イージーライダー」の格好良さだ。根拠なき自信と、思想なき反体制と。ああ、あの立ち回り、ほんとカッコ良かった。斬られて倒れた伊右衛門、死んでるのにお腹めちゃくちゃ上下してたなあ。あんだけ動いた後に死ぬの、大変だったろうなあ。

 

劇場に入ったときはお昼だったのに、出たらすっかり夜になっていた。副都心線東新宿ロイホに移動し、佐藤錦のパフェを食べながらお芝居の話なんかをした。それからいつものお店でいつもの人たちとお酒を飲んだ。愛をお金で測るべきではない、しかしお金で表現できる愛もある、そういう話が同じところを何度も回転し、渦を巻いて洗濯機のようになっていた。あのペースで朝まで回転していたら虎だってバターになってしまう。閉店が早めでちょうど良かった。二軒目ではなんの話をしたのかな。あんまり覚えていない。でもなんとなく幸せな感じだった。概ね幸せな夜だった。

土曜の朝、覚醒前の頭で

寝て起きたらなんとなくそういう気持ちだったのでこれを書いている。

 

文章を書くときには二つのパターンがある。書きたいことがあって書くときと、ただなんとなく書くときと。

難しいのは前者のほうだ。書きたいことがあるときに書きたいことを書くのはほんとうに難しい。書いても書いても、違うこういうことじゃない、自分が書きたかったこととはなんか違う、という感触がぬぐえない。磨りガラス越しに写実画を描こうとしてるような感じになる。そもそも「書きたいこと」が漠然としているからこんなことになるんだと思う。でも、「書きたいこと」が明確ならばそもそも書きたくもならない。自分の中ですっきりと言語化されてしまっていることにはあまり興味が持てない。やはり、なんかぼんやりとではあるが書きたいことがあるぞ、という状態からスタートして、言葉を探しながら徐々に輪郭線を確定していく、という工程が好きなのだと思う。上手く書けたな、と思えることはあんまりないのだけれど。

でも書きたいことがあって書くパターンはそんなに多くない。特に書きたいこともなく、ただなんとなく書き出してみることのほうが圧倒的に多い。好みに合うのもこっちだ。何しろ気楽でいい。頭をあまり働かせず、指のリズムにまかせてスススッと親指を滑らせる。そうするといつのまにか文章が出来上がっている。

ここが文章を書く面白さだと思うのだけれど、そんなふうにして特に何も考えずに書いた文章にも、意味は宿ってしまう。本当になんの意味も持たない文章を書く、というのは恐らく不可能なのだと思う。言葉が意味やイメージを表すものである以上、どうやったって意味やイメージは宿ってしまう。だから発見がある。自分で書いた文章を読んで、他人が書いたものを読んでいるような気持ちになる。しかしそこかしこに確かに自分の残滓がある。自分が書いたものを読みながら、自分が書きたかったことを発見する。毒にも薬にもならんなあ、くらいの心持ちで書いた文章から、強めの炭酸くらいの刺激を受けたりする。強めの炭酸は毒だろうか。薬だろうか。

 

「毒にも薬にもならぬ」って言葉を打ち込みながら、視界に入るものたちについて、これは毒なのか薬なのか、みたいなことを考えていた。部屋のサイズに比してやや大きすぎるテーブルは毒か薬か。飲みかけのゼロコーラのペットボトルは毒か薬か。青い表紙の読みかけの漫画は、残り四枚になった八枚切りの食パンは、はたして毒か薬かどちらだろうか。たぶん世の中のもののほとんどは毒にも薬にもならぬものなのだと思う。毒と、薬と、毒でも薬でもないものとで三国志をやったら、たぶん最終的には毒でも薬でもないものが天下をとる。もちろん統一にいたる過程にはいろんな紆余曲折があると思う。追い詰められた毒と薬が同盟を組んだりする。毒薬同盟。ダンプ松本が出てきそう。毒薬とは毒なのか薬なのか。もしかして毒でもあり薬でもあるものなのか。なんだろう、何がと言われるとわからんけれど、なんかズルくないか、それ。

 

武蔵野館で「マンチェスター・バイ・ザ・シー」を見た。丁寧で誠実な映画だった。いい作品だと思ったけれど、僕のための映画ではなかった。ケイシー・アフレックのこの悲しみはちょっときれいすぎるな、と思った。人間って、そんなにいつまでも純粋な悲しみを保ち続けられるものだろうか。悲しくて悲しくてたまらない、死ぬまでずっとこの悲しみが消えることはない。そんなふうに思っても、私たちのほとんどは、悲しみに殉ずることが出来ない。忘れてしまうし、癒やされてしまう。悲しみは、消えることはなくとも、薄れていく。時間とともに質感は変質していく。愛する人を喪ったあと、悲しみを抱えながら、それでもひとは飯を食う。眠れなかった夜が、いつしか眠るための夜になる。旅行にだって行くだろう。恋にだって落ちるかもしれない。それは救いでもあり、残酷さでもある。悲しみを抱えた人が出家するのは、あれは悲しみを失いたくないからなのだと思う。悲しみの状態に自分を固定しておきたいのだと思う。そうでないと、癒やされていってしまうから。それが恐ろしくてたまらないから。

俺はケイシー・アフレックが楽しむところを見たかった。娘を死に追いやった自分がいま生活を楽しんでしまっている、そのことに苦しむ姿が見たかった。その上で、どう向き合うのかを見たかった。乗り越えて先へ進むことを選ぶのか、罪悪感と悲しみに殉ずることを選ぶのか。

 

久しぶりに天気がいい。これから洗濯機を回し、たぶん少しだけ二度寝して、それから長尺のお芝居を見に行く。たっぷり六時間。腰痛が炸裂しないといいのだけれど。

雑記

今週の平日が終わった。相変わらず忙しい。ちょっとずつ忙しいのに慣れてきた。鈍感になってきた。細かいことを考えたり、風景を面白く感じたり、そういう場面が少なくなってきた。良く言えば仕事に集中できている、ということだし、悪く言えば人生の楽しみを失っている、ということになる。嫌すぎる。仕事に集中なんてしたくない。仕事のギアは常にローに入れときたい。生産性はできるだけ低くしたい。ひとに怒られないくらいの最低限の仕事だけをして、あとは調べものと見せかけてWikipediaで関東の私鉄の歴史を学んだり、Excelで資料を作成してると見せかけて超人強度100万パワーのウォーズマンが1200万パワーの光の矢になるために用いた計算式を関数で打ち込んだりして過ごしたい。いかにも会社ーッて感じのオフィスで机に座ってスーツ着て仕事をしてる自分がいる、そのことのおかしさに急に気づいてひとり肩を震わせて笑ったりしたい。ほんでまあ特に出世もしないがクビにもならず、役にはたたんがなんとなく憎めないオッサンとして末永く余生を過ごしたい。そう、余生でいいのだ。職場の俺は余生でいい。昼間のパパはちょっと違う。昼間のパパは余生だぜ。

 

なんの脈絡もなくドキュメント72時間について希望を述べるのだけれど、頼むから欲を出さないでほしい、と思う。何かしらの「特別な瞬間」を撮影しよう、などと考えないでほしい。ドキュメント72時間は、ニュース番組のアンチテーゼなのだと思っている。特別なことではなく、普通のことをお知らせするニュース番組。こんなに悪いことが起こりました、こんなにおめでたいことがありました、それはそれで大切だけれど、そればかり見ていると感覚が狂ってしまう。普通の人がいます、普通の人が沢山います、特別なことはないけれど、毎日それなりに嬉しかったり悲しかったり何かを考えたり思い出したりしながら暮らしています。そういうことを、頭ではなく、感覚として理解する。多様な普通が無数に存在するということ、それこそが普通であるということを体感する。そういう光景を美しいと感じることもあるけれど、それはたぶん副次的に得られるオマケみたいなもので、最初からそれを狙っていくのは違うのだと思う。

 

tofubeatsの曲が頭の中でループし続けている。ドキドキはいま以上、baby、君だけを見て、君だけを見て、導かれる、導かれる、ナナナナ。いい曲だ。ぼんやりとして、うわっついて、穏やかで。ドキドキはいま以上、君だけを見て、導かれる、導かれる。珍しいハンミョウを見つけたときのファーブルみたいでもある。ハンミョウは別名をミチオシエといい、観察者のちょっと先を道案内するように飛ぶ習性があるのだ。子どもの頃に読んだファーブル昆虫記にたしかそう書いてあった。ファーブルは昆虫記で、シートンは動物記で、植物記とか魚類記とかは特に誰も書いてはいなかったように記憶している。なぜだろう。観察して記録する種類のひとはもっとたくさんいたはずだと思うのだけれど、みんな何をしていたのだろうか。本はあれども書名がフォーマットに沿っていない、それが問題なのかも知れない。だとすれば、例えば「解体新書」は「杉田玄白人体記」であるべきだし、「日本全図」は「伊能忠敬海岸線記」であるべきだ。べきなのかな。どうだろ。どうなんだろ。なんかよくわかんねえな。

 

夢を見た。PPAPよりも以前からアップルとパイナップルをモチーフにした作品を撮り続けている老いたフォトグラファーについての夢だった。何らかの映画の舞台挨拶か、アートフェスのオープニングの特別対談か、そんな感じの舞台だった。なぜアップルとパイナップルなのか、ですか、そうですね、最初はやはり語呂合わせです。語呂合わせが初めにあって、並べてみたら、色や大きさの対比が面白いと思った。それが一番最初です。そうして写真を撮り始めて、あるところで気がついたんです。この2つの果実は、わたしの心の形そのものなのだと。小さく引き締まって緊張感のある、ツヤツヤとした赤い塊。それから必要以上に大きくあろうとする、刺々しくだらしなく濁った黄色い塊。2つの塊が、左胸と右胸、ここにひとつずつあるんです。ですからこれらの写真はすべて、果物でありつつ、セルフポートレートでもあるわけです。この作品はですね、スライスした食パンに、こちらもスライスしたアップルとスライスしたパイナップルを載せたものです。パン・アップル・パイナップルです。こちらの写真の、この銀色の玉はですね、丸のままのアップルに、アップルが見えなくなるまで針を刺していったものです。アップルに痛みを与えたかったんです。ペイン・アップル・パイナップルですね。こっちはですね、見ただけではわかりませんが、アップルの中をくり抜いて、豚肉を詰めています。ピーマンの肉詰めのような状態です。つまりポーク・イン・アップル・パイナップルですね。老写真家の独白は延々と続く。大真面目に解説し最後はダジャレで落とす、この芸風はケーシー高峰と同じではないか。夢の中の僕はその発見に興奮し、それを共有してくれる相手を探していた。残念ながら夢の中では誰にも伝えられなかったので、ここにひっそりと書いておくことにする。

 

 

 

ムーンライト

仕事をしていても、街を歩いていても、気がつけばムーンライトのことを考えている。

考えている、というのは正確ではない。何かを考えているわけではない。わからないことは何もない。少なくとも、自分がわかっていたいことはすべてわかっていると思う。

ただ浸っている。あの美しい世界のことを思い、目を閉じ、あの色彩の中に耽溺している。世界を覆う蒼い光。物憂げで哀しくて思慮深い、あの瞳の色。尖らせた口元に漂う、あの寂しさ。いまにも壊れてしまいそうな透き通ったピュアネスを、どこまでも柔らかく、優しく包みこむ、あの夜の海の色。あのブルーの中をいつまでも漂っている。ゆらゆらとどこまでも沈んでいくように、息をすることも忘れて。

 

昼間、内田樹村上春樹を評した文章を読んだ。「羊をめぐる冒険」について、チャンドラーの「ロング・グッドバイ」やフィッツジェラルドの「グレート・ギャツビー」なんかと同じ、通過儀礼としてのイノセントの喪失を描いた物語だ、と語っていた。我々の社会からは大人になるための通過儀礼が失われているから、「羊をめぐる冒険」のような構造を持った物語は生まれにくくなっている。そんなことが書いてあった。 

イノセントの喪失。それはいったいどういうことなのだろう。僕にはよくわからない。通過儀礼を経て失われてしまうもの、それをイノセントと呼ぶのだとして、僕にはどうも、そのイノセントこそ僕そのものなのではないかという気がしてならないのだ。通過儀礼を経て、何かを失って大人になって、そうしてそこに残った僕は、はたして本当に僕なのだろうか?イノセントを失った僕は、あの蒼い光の中に立つことができるだろうか?

 

通過儀礼とはなんだろう?「強くなければ生きられない」が真であるとして、「強い」とはどういうことだろう?映画の中、シャロンは強くなった。筋骨隆々のギャングの顔役になった。男は強くなければ生きられない、まさに「ロング・グッドバイ」だ。では、強くなったシャロンはイノセントを喪失しているだろうか?シャロンは本当に「強く」なったのか、そもそも「強くなければ生きられない」とは本当なのだろうか?

イノセント。純粋さ。繊細な感受性。美しいものやほんとうのこと以外を受けつけない、強情なまでの潔癖さ。いつも擦りむいた傷口をむき出しにしているような、傷つきやすいナイーヴな心。成長するにつれ、あるものはそれを克服し、またあるものはそれを喪失する。しかし、それを抱え続けざるを得ないようなタイプの人間もいる。それこそが自分自身だと思ってしまうような人間。それを覆い隠すことはできても、それを失って生きていくということを想像することもできないようなタイプの人間。わたしや、あなたや、シャロンのような。

 

眼を閉じる。波間に浮かぶ身体を思う。支えられているのを感じる。声を聴く。強く優しい声が、自分が地球の中心にいるのを感じろ、と語りかけてくる。波が身体を優しく揺さぶる。包まれている。海と、夜と、月の蒼い光。どこかにケヴィンがいる。この世界のどこかに、わたしにとってのケヴィンがいる。いちばんきれいで、とても壊れやすいものを分かちあえる相手。波間に浮かぶわたしを見つめたまま、わたしはゆっくり上昇していく。世界の美しさを思う。どこまでも優しい世界。哀しみと愛がすべてをブルーに包みこむ。蒼く染まるわたしを見ながら、そういうふうにできているのだ、と肌で感じる。

 

眼を開ける。頬をつたう涙をぬぐう。ゆっくりと首をまわし、眼にうつるものを眺める。いつもと変わらない景色が、蒼く染められているのを感じる。いままでもそうだったし、これからもそのようにあり続ける。月がすべてを照らす限りは。

 

 

 

 

 

一週間の備忘録

ここ一週間の備忘録を簡単に。

 

ネットフリックスで火花を一気に見た。泣いた。理想化された笑い飯と千鳥であり、理想化された大悟と又吉だった。好きなことしかやりたくないと思いながら好きじゃないことをやってる人間は、好きなことしかできない人間のことが眩しくて仕方がない。

 

デリバリーお姉さんNeoの第三話が素晴らしかった。正直、第一話をみているときは気恥ずかしさが勝ってしまったのだけれど、今回はエモさが勝った。夜のプールの亀島さんのシーンの力強さよ。やっぱ亀島さん好きだなー。木ノ下歌舞伎も楽しみだ。

 

東博の「茶の湯」展がヤバかった。とにかく物量がすごくて、三時間では時間が足りなかった。唐物より、利休以降の和物がほんとすごかった。利休、織部、遠州、仁清。俺がほしいものを俺が作るのだ、俺が美しいと思うものこそこの世で最も美しいのだ、の精神をビシビシ感じる器の数々。春風亭昇太の音声ガイド以外は最高だった。見終えて虎ノ門に移動して食べたナンディニのミールスがめっちゃ美味しかった。狂ったボリュームだったので食べきれなかったのが心残りである。器にもインド料理にも物量で押しつぶされた。大国と戦う小国の気持ちである。

 

映画「ムーンライト」をようやく見た。本当に美しい映画だった。月の光に照らされた黒い肌。艶めかしく光る蒼いブロンズ。悲しみと愛をたたえた瞳。いまにも壊れてしまいそうな、繊細で、儚げで、しかし決して消えることのない、愛。忘れられないシーンがいくつもあり、ひとつひとつを思い出すと涙ぐんでしまう。

 

あとはキングちゃんみてゲラゲラ笑ったり一時間半ならんでラーメン食べたり休日出勤したり。そんな感じの一週間。

 

 

連休

濁流のようにゴールデンウィークが流れていく。あんなにたくさんあったのに、気がつけばもう余命は幾ばくもない。俺はコップに水が半分入っているのを見ると「まだ半分もある」と思うタイプの人間だけれど、なぜか「まだまだ連休たくさんあるじゃん」とは思えない。「もう連休終わっちまったのかな」と聞かれて「まだ始まっちゃいねえよ」とは答えられない。もう始まってしまったし、始まってしまったからには終わってしまう。ねえ、なんで連休すぐ死んでしまうん。

 

楽しい時間は早く過ぎる。それが真理であるならば、楽しい楽しいゴールデンウィークが爆速で過ぎていくのは自然の摂理ということで、ならば僕にできることはせめて忘れないように書きとめておくことくらいだ。

 

代々木公園でピクニック。晴れてて暖かくて自由で解放されててとてもよかった。スタートは5人くらいで、各々が持ち寄った小さくて可愛い柄の敷物を並べて敷いてささやかな陣地を作って腰を下ろしてお酒を飲んだ。周りには謎ルールの球技(輪になってバレーボールしてるんだけど時折スパイクやブロックが入る、あとサーブもある)を楽しむ外国人グループ、赤い縄で緊縛の練習をする怪しげな集団、それにのんびりとノーマルなピクニックをする様々な人々。最初5人でスタートした集いは、フラリフラリと人が増えていき、終わるころには20人くらいになってた。ひとしきり飲んで内容の無い話をしてゲラゲラ笑ってトイレに立って、少し離れたところから我々の陣地を見ると、みんなが持ち寄った小さな敷物がいくつもいくつも連結されて、カラフルなパッチワークのようだった。バラバラのまま繋がってるその感じがなんだかとても良いなと思った。

 

別の日。井の頭公園に三浦直之のお芝居「パークス・イン・ザ・パーク」を見に行った。「パークス」という井の頭公園を舞台にした映画があって、そのスピンオフ、ということになるのだろうか。映画は未見。とてもユルくて、自由で、可愛いお芝居だった。場所と観客と俳優が作り出す、柔らかくて優しい世界。想定外やハプニングがふわりと許容される。開始前に島田さんや三浦さんが撒いてた桜の花びらをみんなで拾うシークエンスは楽しかったなあ。すぐ拾えると思ったんですけど多く撒きすぎました、これぜんぶ拾わないと公園の人に怒られるんですけどもう仕方ないです、これ以上ここで時間使うと音出しできる時間内に終わらなくなっちゃうんで先に進めます、みなさんご協力ありがとうございました!こんなアナウンスが芝居中に挟まれ、しかしそれがまったく雰囲気を壊すことなく、むしろ穏やかな空気を作ることに貢献していた。たぶん公園のなせる技なんだと思う。誰でもそこにいて構わない、そこで何をしていてもよい、そんな空間。ひとが集い、思い思いの時間を過ごす。そういうひとを眺めながら、ここらにはいろんなひとがいるのだな、いろんなひとがいろんなことをしているのだな、そういうふうにできているのだな、それが当たり前のことなのだな、と肌で感じる。だから、良い都市には良い公園が必要なのだと思う。

 

五月。藤の大棚を見たくて、あしかがフラワーパークへ行った。通勤ラッシュのような電車に揉まれること三時間、栃木県の富田駅で降りる。歩いてフラワーパークへ向かうと、たくさんの人、人、人、そしてそれを上回る花、花、花。

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花を見すぎて脳がバグったのは初めての経験だった。花のゲシュタルトが崩壊した。むせ返るような花の香りってやつを体験したのも初めてだった。化学物質過敏症のひとはここにきたらどうなるのだろう。完全に天然由来の香りだけれど、たぶん普通に具合悪くなるんじゃないか。そのくらい強い香りだった。あと中華圏の方々の自撮りポーズのバリエーションの多さに感心させられた。さすが四千年の長きに渡って積み重ねられた自撮りの歴史である。我々とは年季が違う。

 

宿は鬼怒川温泉にした。偶然にも、僕が予約した宿は彼女の子供時代の家族旅行の定番の宿だった。ここ来たことある、このお風呂見覚えある、彼女は移動するごとに記憶とエモが蘇っている様だった。どうせなら部屋も同じならよかったのだけれど、そこまで上手くはいかなかった。温泉で疲れを癒やし早々に就寝。翌日は日光へ。日光はとにかく湯葉だった。湯葉をめっちゃ推してくるのに豆腐はどこにも見当たらないのは何故だろう。湯葉が美味いなら豆腐も美味いのでは。とりあえず揚げ湯葉饅頭(要するに饅頭の天ぷら)と湯葉むすび(炊き込みご飯のお握りに湯葉を巻いたもの)が凶悪に美味かった。つまみ食いをしながら、東照宮を目指し長い坂道を登る。「お寿司 中華料理」と書かれた看板に首を捻りつつ歩いていくと、今度は「お寿司 聖飢魔II」と並んで書かれた看板を見つける。日光におけるお寿司とは何なのだろう。我々の知っているお寿司と日光のお寿司は別物なのだろうか。検証したいところだったが、両店ともシャッターは降りていた。後ろ髪をひかれながら坂を登り、東照宮手前の金谷ホテルでランチにする。ふかふかの赤絨毯の感触が足裏に心地よい。いいなあ。一度泊まってみたいなあ。

東照宮は中国だった。装飾の色使い、元ネタになってる故事成語や逸話、それらが尽く中国なのだ。
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自分の知ってる寺社仏閣や桃山〜江戸文化との乖離がすごくて混乱する。儒学の影響だろうか、などと考えて調べながら拝観するも資料が見つからない。そもそもの自分の認識が間違えてるのか、当時の建築・美術としてはこの感じは普通のものなのだろうか。誰か詳しいひとがいらっしゃれば是非ご教示いただきたいものです。あととにかく人と坂がしんどかった。かの有名な眠り猫を見るための行列があったのだけれど、眠り猫を目指し並んでいると、そのまま山の上にある家康の霊廟へ続く長い長い石段に誘導されてしまうシステムになっており、しかも人が多すぎて後戻りすることも困難で、数多のお年寄りが石段の途中で難儀していた。加藤鷹みたいな外見のお爺さんといたってノーマルな外見のお婆さんが支え合い励ましあいながら石段を登っていて何というか愛だった。若いころはいろいろ苦労もあったのだろう、いまは幸せそうで何より…みたいなことを勝手に考えてしまう。実際は昔からラブラブだったのかもしれないし、むしろお婆さんがやんちゃしてたのかもしれない。真相は不明なので妄想するしかないのである。

境内の中で何箇所か、お堂に上がれるスポットがあり、そこではお坊さんの解説を聞けるのだけれど、喋りがこなれすぎてて逆に違和感だった。なんだろなこのこなれ方、坊さんっぽくないんだよな、なんかに似てんだよな、と思いながら解説を聞き、先ほどみなさんがなさったお参りね、あれと同じだけのご利益のあるお守りがこちらになります、全6色に加えて陽明門の回収記念でいまだけの限定カラーをご用意しました、なんとゴールドです、金ピカですよ、ね、ご利益ありそうでしょう、のあたりでこれはただの実演販売なのでは…ってなった。でもよく考えるとそもそも東照宮とは家康を神格化することで徳川幕府の権威を高める政治的装置なわけだから、いまの東照宮が現世利益を追い求めることはアティチュードとして正統っちゃ正統なのだ。

 

東照宮を見終えるころには日が暮れかけていた。寒くなってきたね、温かいものを食べたいね、そんなことをいいながら参道を下り、茶店の看板の「お食事」「蕎麦」の文字に吸い寄せられるも軒並み閉店済みで、やっと見つけたのは参道の外にあるお肉屋さんだった。我々はそこで唐揚げを注文し、店先のベンチに座った。酷使した脚を曲げると関節がバキバキと音を立てた。しかしよく歩いたね、早く温泉に入りたいね。そんな言葉を交わして少しふくらはぎを擦った。それから、山の端の色が群青色に変わっていくのを眺めながら、唐揚げが揚げられるのをふたりでじっと待っていた。

 

帰ったらその日の夜に末広亭深夜寄席に行こう、そのためにもチェックアウトしたら遊ばずにそのまま帰ろう。そう言って朝10時すぎの特急列車に乗る。大荷物(帰路の荷物というものはなぜあんなにも膨らむのだろう、そんなにお土産買ってないのに)を抱えて新宿駅に降り立ち、なぜかそのまま高島屋のパティシェリアに行ってケーキを食べる。たぶんあまりの疲労に身体が糖分を欲したのだと思う。ひとり二つのケーキを食べ、タクシーで家に戻り、そのまま熟睡。昼過ぎに起きて公園へ行き、日暮れまで何をするでもなく日光を浴びる。帰宅してダラダラとしているうち落語の時間が近づくも、二日間歩き通しの疲労で完全に駄目になってしまい断念。凪でラーメンを食べ、彼女を駅まで送って帰宅。柴田聡子の「後悔」をリピート再生しながら潰れるように眠る。

 

この休みのあいだ、ずーっと「後悔」をリピート再生していた。旅行中もホテルの部屋で聞いていた。メロディも声も歌詞もすごくいい。旅行のあいだもつい口ずさんでしまって、そしたら彼女にもそれが伝染して、ふたりで口ずさみながら歩いていた。バッティングセンターでスウィング見て以来実は抱きしめたくなってた、のところばっかり歌ってしまうので、彼女の中ではこの歌はバッティングセンターの歌ということになっているらしい。柴田聡子のバッティングセンターの歌。それはそれで悪くない呼び方のような気がする。

 

五月の連休はこんな感じで過ぎていった。

記憶たどって

ジブリ美術館に行こうって一月半も前からチケットとって予習復習なんかもやって、でも当日になったら前日までのハードワークに二人ともグロッキーになっちゃって目が覚めたのは入場に間に合うかどうかすっげー微妙な時間で、どうする?まだ間に合う?本気出せばいける?どうする?本気出す?みたいなやりとりをしつつでも起き上がるつもりは一切なく、そうこうしてるうちにどう足掻いても絶対に間に合わない時間を迎え、あーやっぱ行くべきだったよねーさっきのタイミングで起きて本気出してタクシー乗ったらなんとかなったよねー行きたかったねー勿体ないことしたねーみたいな感じで無駄にしてしまったチケットの名残りを惜しみ、ところでお腹すかない、そろそろ起きないとランチタイム終わっちゃうよ、行ったことない方面にぷらぷら歩いて行ったことないラーメン屋さんに行こうよ、この明るさだとだいぶいい天気だと思うよ、で出てみたらその通り外は快晴、歩き出してすぐに新規オープンのアイスクリーム屋さんを発見、レモンソルベとピスタチオのダブルをひとつ、塩ミルクとプラリネバナナとレモンソルベのトリプルをひとつ、公園のベンチに腰を下ろして並んで、あっちにははしゃぎまわる子どもたち、こっちには小さめのベンチで身体を折り曲げてむりくり昼寝する青年、見上げれば太陽と萌黄色の葉桜、ふたりで5種類のアイスを平らげ、知らない道をホテホテと歩いてラーメン屋へ、ハンサムな店主と美人な店員さんの作る端正な醤油ラーメンを堪能しそぞろ歩きを続行、坂を下ってケーキ屋さんをのぞいて友達にばったり出くわして、なにやってんの、散歩だよそっちこそなにやってんの、散歩だよところで見慣れんコーヒー持ってんねそれどこの、あーこれあの健康食品とこの隣にあたらしく出来たんだよ、そーなんだ行ってみるわ、んじゃまた、って別れて通りすがりにいい感じの古本屋を発見し吸い込まれ、植草甚一の古い大判のムック本、高野文子の「棒がいっぽん」、北杜夫の「どくとるマンボウ航海記」など何冊か購入、ずっしりと重たい紙袋を抱えてコーヒー屋さんへ向かい、お洒落なんだけど味は普通なコーヒーを飲みながら戦利品を吟味、帰宅するころには日もくれちゃって結構いい時間になっちゃって、荷物おろして靴ぬいで、とたんに襲いくる疲労感、あーもうだめだ動けねー動きたくねーってベッドに倒れこんでいつのまにか眠りこんでしまう。

先週末、確かこんな感じの一日があったような気がする。

ほっとくとするっと忘れてしまいそうだから、いまのうちに書いておく。