bronson69の日記

いつか読み返して楽しむための文章。

夏の亀、冬の熊

暑い。だるい。間違いない。毎日毎日ぼくらは鉄板の上で焼かれて嫌んなっている。もちろん実際は焼かれてはいない、焼かれてはいないのだけれども、これだけ暑いのならばそれはもう鉄板の上で焼かれているのと同じことではないだろうか。そして何より重要なのは、「嫌んなっている」という事実だ。何を嫌んなっているのか。全てである。暑さから端を発して、いまや全てが嫌んなってしまっている。要するに夏バテだ。肉体的な消耗を経て、もう精神的にもバテてしまっている。やる気が起こらない。引きこもりたい気分で満ち満ちている。引きこもりたい。狭い空間に引きこもって、丸まったまま夏をやり過ごしてしまいたい。部屋ではダメだ。まだ広すぎる。もっとみっしりした空間がいい。亀がいい。亀になりたい。亀になって、自分の甲羅に引きこもりたい。頭と手足を甲羅に引っ込め、もっと深く深く引っ込め、そのまま奥へと入り込み、奥へ奥へと進んでいって、奥の奥のどんづまりのところで一枚の扉を見つける。扉には何か文字が書いてある。なんと書いてあるかはわからない。「この扉をくぐる者、一切の望みを捨てよ」かもしれないし、「当軒は注文の多い料理店ですからどうかそこはご承知ください」かもしれない。ただ単に「使用中」とだけ書いてあるかもしれず、もしかしたら居住者の名前を記した表札が貼り付けてあるのかもしれない。何れにせよ、文字を読んだぼくは戸惑う。扉に対する態度を決めあぐねる。礼儀正しくノックをするか、隠れて様子を伺うか、開かぬように釘で打ちつけるか。迷いながら扉を見つめ、向こう側の気配を探る。想像する。開けた先の景色を想像し、その様々のどれもが想像の範囲内であることに落胆する。目をつむり、扉に背を当て、思いもよらない何かについて思いを馳せる。そうするうちに、思いはぐにゃぐにゃと形を変え、ひとりでにどこかへ向かって転がりはじめる。空想と夢の境目が曖昧になっていく。真夏の夜の夢である。

 

相変わらず部屋探しを続けている。スペックで検索し、スペックで比較し、相対的に優位な部屋を抽出する一連の作業を繰り返しながら、恋に落ちるのを待っている。結局、相対評価では決められないのだ。もっと探せばもっとよいスペックの部屋が見つかるかも、と思い続けることになってしまう。何しろ選択肢は無限だ。通勤圏内にあるすべての部屋が居室として立ち上がってくる。ならばもう恋しかない。好きになるしかない。理屈ではないところに行きつかなければならない。部屋を探すときはいつもそうだ。熊じゃなくてよかったな、と思う。熊だったらどうやって巣穴を探しただろう。冬眠のための巣穴。大きな樹のうろ、岩と地面の隙間、誰かが掘って使い捨てた穴。いくつもいくつも候補を巡って、しかし決めきれず、秋も深まりいい加減に冬眠せなあかんぞ、というころになって相対的に高評価の穴にいくも既に別の熊が寝ていたりして、雪の中をさまよう羽目になるのかもしれない。そうなってしまったら、かまくらを作ることにしよう。大きな大きなドーム型の雪山を作り、水をかけ、一晩待つ。雪山が凍りつき、ガチガチに固まる。それを掘り進めていく。入り口は小さく低く、室内は広く高く。壁には小さく神棚をつくり、みかんやどんぐりをお供えする。小さな入り口から大きな身体をねじこんで、壊れた部分は内側から補修し、暖かな室内で眠りにつく。もしも熊になることがあったら、そういう冬眠をしたいと思う。熊は冷凍都市での暮らし方を知っている。暖かい場所を確保して、あとはたっぷり眠ればよいのだ。