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bronson69の日記

いつか読み返して楽しむための文章。

草津へ

相変わらずファッキンビジーな状況でもともと多くないMPをガリガリと削りながら過ごしている。自覚症状はないのだけれど時折シュオオオオオみたいなクソデカボリュームのため息をついてしまっているらしい。指摘されるまで気がつかなかった。意識の片隅にそのことを置いてみると、なるほど確かに渾身のため息を吐くことがある。あ、これか、となるような深く長いため息を吐きながら、俺は龍じゃなくて良かったな、もし龍だったら何回かに一回はうっかりしゃくねつのほのおとか吐いてんだろうな、俺そういうミスやりがちだからな、みたいなことを思った。もし龍だったら大変なことになっていたんじゃないかランキング、第一位はハイキングウォーキングのQ太郎だと思う。山手線一周言い終わる前にヤバいブレスを吐くことになる。龍にコーラを飲ませてはいけない。

 

そんな感じの毎日を過ごしていると、まずやられるのは好奇心である。仕事も娯楽もひっくるめて、あらゆるインプットが億劫になる。なのでドラマも映画も本もロクに触っていない。音楽も聴いてない。愛用のワイヤレスイヤホンがどこにあるのかも定かではない。呼べば音声で応えるような機能がついてればいいのに。けれどそこはイヤホンだから、出せたとしても小さな小さな音しか出ない。大きな音を出したいだろうに、わたしはここです、見つけてください、と蚊の鳴くような声でささやくことしかできない。ああ、わたしどうしてイヤホンなのだろう、わたしスピーカーだったらよかったわ、二軒となりの家まで聞こえる大きな音を出す、そういう近所迷惑なスピーカーだったらよかった、そうすればどこにいたってわたしを見つけてもらえるから、わたしスピーカーだったらよかったわ…。春になって着なくなった冬物のコートのポケットでワイヤレスイヤホンはスピーカーの夢を見る。しかしもしイヤホンがスピーカーだったとしても、借家暮らしの俺はそんなうるさいスピーカーを購入しようなんてまったく思わないのである。悲しい話だと思いませんか。

 

そういえば草津へ行った。手配したのはまだ真冬の頃で、そのときにはいまがこんなに忙しくなるとは思っていなかったのだ。ほとんど徹夜のように仕事をして、バスタ新宿を朝に出る高速バスに乗りこむ。たっぷり四時間のバス異動。早々に眠ってしまい、起きたのは二時間後。バスはすでに高速を降り、車窓には山あいの田舎の風景。地元にいたころよく見たような景色。東京では見頃をすぎたソメイヨシノがここらでは盛りである。少しバスをとめてほしいな、と思うような桜の森がそこかしこに広がっている。週末なのに、花見客はいない。誰もいない満開の桜の森。出来るならば、夕暮れが夜になるまでそこで大の字に寝転んで過ごしたかった。薄桃色の霞が青く染まっていくのを見ながら、自分がどんなふうになっていくのか、確かめてみたかった。いつのまにか自分も花霞の一部になって、だんだんに輪郭を失って、一迅の風とともに消え去ってみたかった。坂口安吾の小説みたいに。

 

草津に近づくにつれ、桜は姿を消していく。標高が上がっていき、代わりに残雪が現れる。高原の四月はまだ冬なのか、とバスを降りると思いのほかに柔らかい空気。ああ、これがここの春なのだな、と思う。そういえばそうだった、生まれ育った北国もこんなだった。名残りの雪があっても、桜はまだでも、それでも四月は春だった。

 

草津は坂の街である。なにせ山だから仕方ない。一泊にしては多すぎる荷物を抱え、我々は坂を降りる。彼女はやり残した仕事をやるためパソコンやら資料やらをごっそり持ってきたらしい。どうせやらないに決まっているのに。しかしすっぱり諦めて置いてこれないその気持ちは大変によくわかる。旅先で仕事なんてしたくないし、締切考えると遊び呆けるだけの二日間なんて作りたくない。どっちも選びたくない。だから選ばない。やろうと思えば仕事をやれる状態さえ作っておけば、決断はいくらだって先送りできる。未来は常にシュレディンガーの猫であってほしい。わかるぞ。でもどうせ仕事はやらないのだよな。それもわかるぞ。

 

温泉饅頭を食べつつ湯畑の周りをぐるりと周り、湯もみショーを見学して足湯に浸かる。湯もみショー。地元のおばちゃんが付き合いで仕方なく出てるお稽古事の発表会のような出し物。満員の観客から発せられる俺は何を見ているんだろうオーラ。湯もみとは草津温泉の熱すぎるお湯を冷ますために編み出された技らしいのだけれど、それにしても観客の熱を冷ましすぎだと思う。たぶん足湯がなければ大変なことになっていた。

 

湯畑から坂道を登り続けること10分、福利厚生をフル活用して予約したお宿は、静かでチグハグで快適だった。賑わいから離れた、山あいの別荘地。三角形の積み木を重ねて作ったような、鋭角の目立つ二階建て。ただしとても横に長い。ホテルというよりはバブルのころリゾート地に作られた美術館のような外観。横長の端の部分から中に入ると、フロントは作業着のおじさん。プロっぽさはゼロだが、人の良い雰囲気。フロントで靴を脱ぎ、スリッパに履き替える。このホテルは土足厳禁なのだ。内装はコンクリ打ちっぱなし。 横長の真ん中の部分にラウンジがあり、洒落た応接セットがいくつかと地元の新聞、それに進撃の巨人刃牙道の単行本が飛び飛びに並んでいる。段差と階段がやたらと多く、推理作家がトリックの都合で設計したような面倒くさい構造になっている。しかし部屋は完全な和室。座る、くつろぐ、横たわる、眠る、であっという間に夕食の時間。レストランに行くと、客の多くは浴衣。供されるメニューは、プチコースというのだろうか、前菜3種、的鯛のポワレ、上州牛のステーキ。それにセルフサービスの味噌汁と白米。念のため、パンとスープはありませんかと尋ねると、すみませんございません、その代わりふりかけは5種類ございますのでお好みで、とのお答え。とりあえず4種類は堪能した。久しぶりに食べたけど、ふりかけって美味しいね。

 

ここまでの時点でこのお宿のチャーミングさにだいぶ惚れこんでいたのだけれど、大浴場でそれは恋に変わった。まず、人がいない。ここの宿泊客は温泉に興味がないのだろうか。週末の温泉宿で大浴場独り占めなんて初めてだ。内湯と露天で源泉が異なるのも嬉しい。特に内湯は草津6源泉でもレアなわたの湯。入ってみると、あたりが大変に柔らかい。やや濁った湯には湯の花が浮く。もちろんかけ流し。箱根みたいなチョロチョロしたケチ臭いかけ流しではなく、無人の浴槽からお湯がドバドバ溢れる豪気なやつ。さすがは草津、湧出量が違う。しばらく温まってサウナ。こちらも無人。蒸し上げて水風呂。冷たい。雪解け水そのまま流し込んでんのかってくらい冷たい。近所の銭湯の16度には嬉々として入る俺ではあるが、ここの水風呂はギブアップ。諦めて外へ出るとデッキチェア。そのまま横になる。四月といえど、高原の夜は冷える。露天風呂は半地下のような部分に作られており、目隠しの囲いのようなものはなく、リクライニングした視界にはただ星空と群青色の森が広がる。冷気に引き締められながらぼんやりと夜を眺めていると、ひょっこりと白い猫が現れた。猫はひょうひょうと歩いてきて、こちらを視認した途端ビクッとして立ち止まる。あまり人馴れしている様子はない。もう少し近づいてもらいたいので無機物になってみる。動きをとめ、目を閉じ、思考を停止する。努めて生物の気配を消す。しばらくの間そのままでいて、頭から猫のことが消えたころに目を開けてみる。猫はどこかへ消えている。立ち上がって露天風呂に浸かる。冷え切った身体に万代鉱源泉の熱さが心地よい。じっくりと温まって、またデッキチェアに寝そべる。部屋に戻るまでにそれを三回繰り返した。猫はもう現れなかった。

 

翌日。朝風呂をしっかりと堪能し、海苔と納豆と卵と梅干しと焼魚、それからご飯と味噌汁の朝食。ふりかけも5種類しっかり揃ってる。いつも思うのだけれど、お宿の朝ごはんというものはこんなに飯の友ばかり並べてどういうつもりなのだろう。この飯友たちを消費しきるのに、ご飯を何膳食べればよいのか。おまけにふりかけ。5種類。何だこれは。米食い大会か。わんこライスか。あと何升炊きなのかわからんけど見たことないようなデカい炊飯器にたんまり米が詰まっているせいで真ん中より下の部分が自重で潰れて米の密度が偉いことになってる。半殺しの餅みたいになってる。あのまま炊飯器のサイズを増していけばそのうち米のブラックホールができるんじゃないかってくらい自分の重さで潰れてる。炊きたての白米のブラックホール化。ほかほかの湯気すらも炊飯器から逃れることはできない。だから部屋の湿度も変わらないし壁や棚に蒸気が当たる心配もないし蓋を開けても水滴も垂れない。最近の炊飯器は便利だな。

 

西の河原公園を散歩し、足湯に浸かりながら大学のサークルの新歓旅行のまだ人間関係が出来上がっていない様を仏のような笑顔で見つめ、美味くてボリュームのある蕎麦と舞茸の天ぷらを食べ、共同浴場を三軒ハシゴしていたらもう帰りのバスの時間。渋滞に巻き込まれつつ予定より一時間遅れで帰宅。しかしあれだね、旅先から帰ってくるときの、車窓の景色がだんだん日常風景に変わっていく感覚、あの寂しさと倦怠感と安心感の混ざった感じ、あれはどういうふうに対応したらよいのだろうね。あれをどうしていいかいまだにわからなくて、いつもなんだかオタオタしてしまうのだ。

 

旅というとどうしても興奮して疲れてしまうタチなのだけれど、あのホテルの雰囲気や温泉のおかげで存分にリラックスすることができた。仕事のことを完全に忘れられた二日間だった。重たすぎてかわりばんこに背負っていた彼女の大きなリュックの中には仕事がみっしりと詰まっていたにもかかわらず、それを背負いながらも仕事を忘れられたわけであるから、流石は草津、温泉番付東の正横綱の面目躍如といったところか。いいなあ温泉は。どうせ仕事してればまたすぐ削られてしまうわけだし、現に草津からそう経ってないのにもう削られてきちゃってるし、また温泉に行きたいものだ。なるべく人がいないとこへ行こう。休みがとれたら。