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bronson69の日記

いつか読み返して楽しむための文章。

風邪治る

連休は風邪だった。

 

やさしい彼女に甘えて看病してもらい、ありがたく上げ膳据え膳を堪能していた。出かけられずやることもないので、コタツにはいって寝っ転がって、年末年始に録りためたテレビ番組を消費したり、漫画を読んだりした。作ってもらった七草粥を食べ、紅白歌合戦カウントダウンTVの年越しスペシャルをBGVに流しながら「へうげもの」を1巻から読み直したりした。引っ越しのときに紛失したのか、「へうげもの」の途中に抜けを発見し、最寄りのブックオフまで補充に行ったりもした。仕事に行けないような体調でも漫画を補充しにブックオフに行くことはできる、それが人間である。サボりではない。人間には非生産的なことをするときにだけ発揮される火事場のクソ力みたいなものがあるのだ。

 

テレビではめちゃイケスペシャルが最高だった。最高すぎて五回くらい見た。僕の好きなめちゃイケ、フィクションとドキュメント、台本と本音、虚と実がないまぜになり、そしてそんなものはどちらでもどうでもよくなる、どうでもよいと思える、そういう作品だった。中居くんとナインティナインに友情はあるのか、ホームベースを手にした中居くんの「草彅剛」というモノボケ、それが自発的なものなのか台本なのか、いや「五角形のホームに帰ってくることを待っています」なんて美しすぎるナレーションのことを考えればそれはもちろん台本に決まっているのだけれど、なんというか、スマスマ最終回に対する完璧なアンサーだった。スマスマとめちゃイケの双方に鈴木おさむが関わる鈴木おさむがいい仕事をしたのだ、と勝手に思っている。根拠はないけれど。スマスマの最終回にしたって、完全にお葬式だったあれは、SMAPへの愛ゆえにスタッフが作り上げたものだったんじゃないかと思ってる。SMAPの解散が避けられないのならば、我々が失ってしまうものがどんなに素晴らしいものだったか、SMAPを失うことがどんなに悲痛でいたたまれないことなのか、それを表現するための「お葬式」だったんじゃないか。だってほんとに悲しいことだったんだから。「愛するひとが死んだ時には、自殺しなけあなりません。」と中原中也が詩った通り、大切な人を失ったなら、我々はきちんと悲しむべきなのだ。そうしてきちんと悲しんで、それから前を向いて歩きだす、それが「スマスマ」と「めちゃイケ」で鈴木おさむとスタッフがやったことなのではないか。僕は勝手にそんなふうに思っている。

 

結局、風邪は連休明けまで引きずって、きょうになってようやく回復、と言えるくらいにまでなった。まだ咳は残ってるけれど、まあそれは仕方ない。仕事帰り、彼女と新宿で落ち合い、通りすがりのお店でとんかつを食べた。年始の上野で生じた欲望にようやくケリをつけた感じ。閉店間際の伊勢丹をぶらりと流す。今週のマパテはユウ・ササゲ。焼き菓子をふたつほど買ってもらい、ヒモ気分を堪能。どうもどうも、ありがとうごぜえます。改札まで彼女を見送り帰宅、冷蔵庫に期限ギリの豚肉を見つけたのでカレー。いまは煮込み中。なので明日の我が家の食事はポークカレーです。あああ、楽しみだな。