bronson69の日記

いつか読み返して楽しむための文章。

徒然

7月の頭は闇夜だった。ようやく梅雨めいた空気が漂いはじめ、粘り気のあるぬるい夜風が身体にまとわりついてくる。空は重たい雲に覆われ、月も星もまるで見えない。いつもならば都市の灯りを反射していつでも薄明るい夜なのに、雲が光を吸収しているのか、墨を流したように暗い。薄汚れた野良の黒猫のような色があたりを包んでいる。自転車を漕ぐのが怖くなるような暗さ。毎年こんなだったかな、と思うが昨年の夜の色のことはまるで覚えていなかった。特筆すべきことがなかったから覚えがないのか、それとも夜の闇が記憶まで黒く塗りつぶしてしまったのか。後者だったら楽しいのにな、と思う。いつもより暗い夜があり、あらゆるものが黒く覆われ、そのまま塗りこめられて消えてしまえばいいと思う。たまにはそういう日があってもいい。たまになら。

 

長い長い繁忙期は6月いっぱいで一段落し、ヘロヘロになりながらラストスパートをどうにか走りきって今がある。少し時間は出来たのだけれど、どうにもやる気が出ない。映画もドラマも本も漫画もお芝居も、どうも気が向かない。漫画を積ん読してるってのは僕には滅多にないことで、すなわちどうやら本格的に気が向かないようなのだ。ここんとこ、文化的な行動といえばYouTubeでダラダラと音楽を聴くことくらいしかしていない。どこから視聴を始めても、関連動画ホッピングを続けた結果、気がつけばゆるふわギャングか椎名林檎tofubeatsか、そのどれかのループに収束してしまう。進化の袋小路を体験している気持ちになる。「火の鳥」の未来編の山之辺マサトもこんな気持ちだったのだろうか。ゆるふわギャングも椎名林檎tofubeatsもかっこいいから何の文句もないんですけどね。

 

カルチャーの摂取をあまりしていないわりに、カルチャーについてモヤモヤと考えることはよくあって、それは「『退屈』はどこへいってしまったのか?」ってことで、こんなふうにモヤモヤを言語化出来たのもつい最近のことなので何かまとまった考えがあるわけではないのだけれど、まあそういうことなのだ。

徒然と書いてみる。退屈、諦念、そういうものが通奏低音として流れていた時代があった。岡崎京子吉本ばななよしもとよしとも、「トレインスポッティング」にピチカート・ファイヴ(というか小西康陽)にフリッパーズ・ギター、雑にまとめて言うてしまえば「渋谷系」とは退屈をテーマにした表現のことだった。夜通しのパーティよりも、パーティが終わったあとの散らかった部屋と倦怠感、それこそが渋谷系の本質だった。退屈で退屈で死にそうで死がほんとすぐ側に感じられて、退屈を紛らわせたくて音楽を聴いて頭をブンブン振り回して、酒を飲んで恋をして、その当時ぼくは北東北のイケてない高校生だったけれど、そういう世界観にバリバリに共感していた。「リバーズ・エッジ」のラストに引用されてるウィリアム・ギブスンの誌、宮台真司が「終わりなき日常」と読んだもの、その感覚は確かにあの世代に広く共有されていたものだった。

気がつけば、街中から「あの匂い」が消えているように思える。あの感覚はどこにいってしまったのだろう。僕が知らないだけで、最近の表現にもあの感覚は残っているのだろうか。それともああいうのは「メンヘラ乙」で括られて処理されてしまうのだろうか。あの感覚がなくなったのだとしたら、それは何故なのだろうか。

飲みながら友達とそういう話をしていたら、インターネットじゃないか、と言われた。あのころ、そういう感覚を持っていたひと、岡崎京子フリッパーズ・ギターを好むようなひとは学年にひとり、せいぜいクラスにひとりしかいなくて、その比率は地方でも東京でも同じで、コミュニティになんかなり得なかったし「同じ感覚で、自分より面白いひと」と知り合うなんて奇跡みたいな感じだったけど、インターネットならすぐ仲間を見つけられるから、だから、みんなハッピーになったんじゃない?と。だとすると、あの諦念も退屈も、ただみんな寂しかったってことなのだろうか。そんなような気もするし、それだけじゃないよなって気もする。よく分からない。よく分からないのは自分の中からも「あの感じ」が消えてしまっているからなのかもしれない。「終わりなき日常」は終わったのだろうか。「終わりなき日常」はそのままだけど、その中で生きていくのに適応したってことなのだろうか。その二つにそもそも差はあるのだろうか。よく分からない。

 

おっさんなので酔っぱらうとW村上(春樹と龍)の話をするのだけれど、ふたりとも「人生は無意味である、無価値で退屈で砂を噛むようなもの、それが人生である」って認識は全く同じで、それを受け入れてやり過ごすのが春樹、忘れるためにハードなセックスや暴力やドラッグにのめりこむのが龍、って区分をいつもしている。なんで人生が無価値なのかというと、まあ簡単に言えば、死ぬからだ。私たちが変わらずにいられないから、つまり、飽きるし、忘れるし、老いるし、死ぬからだ。先月見たFUKAIプロデュース羽衣の「愛死に」のテーマもまんまこれだった。あと余談だけど大島弓子の後期、単行本でいうと「ロストハウス」はこの恐怖に満ちている。ああ、このころの大島先生は自分が老いるってことにはじめて直面していたんだな、怖かったんだな、と思わせる内容。

 

何を言いたいのかよくわからなくなってきた。もともと何を言いたいのかわからないまま書き出しているので当たり前のことなのだけれど。よくわからないので、最近お気に入りのフレーズを書いて終わることにする。

 

恋の測りがたさにくらべれば、死の測りがたさなど、なにほどのことでもあるまいに。

恋だけを、人は一途に想うてをればよいものを。

 

これはFUKAIプロデュース羽衣の「サロメvsヨカナーン」って曲の一節。もともとはオスカー・ワイルドの「サロメ」って戯曲の台詞。YouTubeでこればっか延々と聴き続けていた日があって、それからずっと、隙あらばこのフレーズを口ずさんでいる。時代の空気はよくわからないけれど、気がつけばずっと、死ではなく恋のことを考えている。恋だけを想うてをればよいのだ。恋だけを想っていれば大丈夫。愛があれば大丈夫。広瀬香美の言うとおり。

万事快調

「働いて働いてまた働く、仕事より楽しいのはまた仕事」と歌ったのは真島昌利で、「仕事ばかりで遊ばない、ジャックは今に気が狂う」とはキューブリックの「シャイニング」に出てくる一節。そんでもってほんとに仕事ばっかで狂いそうな感じに仕上がってるのが俺。狂いそうってもストレスとフラストレーション溜め込んでウワー!ってなってショットガンをぶっ放しちゃうやつではなくて、もっと静かなやつ、致命的なチューニングのズレを、どこか噛み合わない歯車を抱えたまま平穏で単調な日常生活をおくってしまうような、そういうやつ。そもそもこんなに仕事ばっかして気が狂わないほうがおかしい。そんなの狂ってる。

帳尻を合わせなければならない。冷凍庫からハーゲンダッツのラムレーズンのパイントを取り出す。大きなスプーンを直接つっこみ、口に運ぶ。冷えたスプーンの凍るような感触。治療中の奥歯に疼痛が走る。戸棚を開け、グラスにウイスキーを注ぎ、舐めるように飲む。ピチカート・ファイヴの「ベリッシマ」を再生する。退屈と諦念に身体を浸す。仕事ばかりしていると、知らず知らず仕事のペースに巻きこまれてしまう。仕事ばっかで遊ばない、それで平気になってしまう。まるで恋をするように、夢中になって仕事をする羽目になる。なんて恐ろしいことだろう。きちんとやさぐれなければいけない。仕事ばかりで遊ばないのなら、ちゃんと狂わなければいけない。そうでないと、湧きあがる退屈の音が聞こえなくなってしまう。これは恋ではなくってただの仕事。そういうふうでなくてはいけない。分をわきまえなければいけない。恋には恋の領分があり、仕事には仕事の了見がある。夜のドライブにも夜の仕事にも終わりが必要である。

 

ウイスキーを二杯ほど飲んだところで外に出る。引き続きピチカートを聴きながら、なんとなく街の方に歩いていく。疲れているのか、歩くたびに歯が響く。痛いまではいかない。ただ響く。早く治療の続きをしたい。そういえば家のシャンプーがなくなった。ベローチェは改装してからいつもたくさんのお客さんで賑わっている。シーシャとリンゴ飴の店にはまだ行っていない。気にはなるけど行っていない。シーシャもリンゴ飴も、そこまで好きでもない。耳の後ろがむず痒い。目も痒い。こんどは何の花粉かそれともPM2.5かおのれ中国め、などと思うがただ伸びた前髪が目に入っているだけだった。そういえばしばらく髪を切っていない。フリッパーズの髪を切るさバスルームでひとりきり大暴れ、ってあの歌詞、ひとりきりってことはセルフカットしてるのだろうか。裸でセルフカットで失敗して大暴れしてる歌なのだろか。セルフカットって、よっぽど自分のセンスに自信がないと出来ないよなー。俺には絶対できない。過去に一度だけもみあげを自分で切ってみたことがあるけれど、最終的に耳たぶまでの長さのオカッパみたいなおかしなヘアスタイルになって絶望した。学校行くのキツかったなあ。そういえば、中学校くらいのころ、散髪のたびに変な髪型に仕上げられていた時期があった。教室に入った瞬間ドッと笑いがおきるくらいに変な髪型。いま思えばさっさと店を変えるべきだったのだけど、美容師さんがやたらと自信満々なひとで、これは変なのでは…?と言い出せなかった。自分の感覚が間違えてるのか?セットがきちんと出来ない自分が悪いのか?と思ってしまい、しばらく通い続けてしまった。あれは間違った選択だった。道の対面に世界の山ちゃんが見える。世界の山ちゃんには行ったことがない。だから何が世界なのかわかっていない。メニューも内装も丸パクリの店を「平行世界のやまちゃん」って名前で出したら怒られるだろうか。あり得た可能性としてのやまちゃん。やまちゃんis誰。そういえばこの世界の山田はあまねく山ちゃんってあだ名で呼ばれるものだと思っていたけれど、山田邦子はクニちゃんなんだな。あだ名の由来になりやすさ、山田と邦子だと邦子が勝つ。こんな感じで苗字と名前でトーナメントやったら最終的にはどんな苗字と名前が残るんだろう。奇抜な感じになるのか、シンプルになるのか。奇抜だからってあだ名の由来になるわけでもない。五所川原さんって苗字のひと、ゴショちゃんとかごっしょんとか呼ばれないよねきっと。シャンプーを切らしているのでシャンプーを買わなくてはいけない。らんま1/2のシャンプーの歌がめちゃくちゃ可愛くて一時期すげー好きだった。猫飯店メニューソング。でもシャンプーは何か好きになれなかったなー。あかねとらんまのカップルが好きでした。らんまの最終回とうる星やつらの最終回はたぶん永遠に好きだと思う。あたるの「今際のきわに言ってやる!」より素敵な愛の告白はあるのだろうか。そうだドコモショップにも行かなくては。ちょうど二年縛りの更新月なのだ。こんどはMVNOにしようと思っている。MVNOとはなんの略なのだろう。モバイルバーチャルニューラルオーガニゼーションだったらかっこいいな。仮想移動体神経機関。いい。攻殻機動隊の世界観だ。情報のすべては一枚のsimカードにダウンロードされていて、チップを差し替えるだけでどのスマホでもお使いいただけます。あれ。普通だ。普通のMVNOだ。攻殻機動隊どこいった。シャンプーだ。シャンプーを切らしているので買わなくては。ミントのやつがいい。夏だから。さっぱりしたい。夏だから。

 

それからボタニストのシャンプーを買い、煮干しラーメンを食べて帰宅。なんとなく腕立て伏せをし、ナカゴーとままごとのチケットを予約し、頭を洗い、ミントの香りに包まれてウイスキーを飲みつつこれを書いている。ああ、ミント・ジュレップを飲みたいな。それか美味しいジンでもいいな。でも飲みに行くの面倒くさいな。ああ。

風邪

風邪だった。おかげさまでだいぶ過去形。病みだしてから終息まで、早送りな感じのやつだった。なんか喉がいがらっぽいな、喉痛いな、熱っぽいな、高熱じゃん、下がってきたな、鼻水すげーな、今度は咳か、これがそれぞれ一日ずつ。忙しかったので仕事を休むこともできず、あー休みてーなー病院いかなきゃなーと思ってるうちに治ってしまった。しかしもう一度見るつもりだったFUKAIプロデュース羽衣「愛死に」も見れなかったし、チケットとってたチェルフィッチュも行けなかった。高熱に由来する全身の痛みとだるさに耐えつつ、ベッドの上に転がって、恋人の用意してくれた経口補水液をグビグビ飲み、ヤフオクで落とした「初期のいましろたかし」を読んで、やっぱこれだよなあ、こうじゃなくちゃいかんよなあ、恋人がいようがスーツ着て仕事をしてようが、いつまでもオレはハーツ&マインズ読むたびに撃ち抜かれてしまうんだろうなあ、と思いながら熱い熱いため息を吐いていた。そうやって長い夜を過ごしていた。

歯痛

働いていたら、急に奥歯が痛みだした。あまりにも突然すぎたから、曜日も時間もはっきり覚えている。水曜の夕方、きっかり16時だった。疲れているのかな、と思った。疲労がたまり、体の免疫力が落ちるとあちこちに謎の痛みが出たりする。人体はそういうふうに出来ている。ここ数年で身をもって学んだ。まあでもきっと安静にしてれば消える類いの痛みだろう、なんてたかをくくっていたのだけれど痛みは消えず、それどころかゆっくりと強く大きくなってくる。ツバメの雛が育つように、ゆっくりと、しかし着実に。

痛みとともに一晩を過ごし、朝を待って歯医者に電話をする。とれた予約は数日後。それまで痛みをこらえながらの生活。仕事中、食事中、睡眠中。痛みには強弱もリズムもなかった。常にそこにあり、ただゆっくりと強さを増していく。不思議なことに、痛みは強くなりつつ鈍くもなる。鋭さがなくなり、痛みの輪郭がぼやけて、だんだんどの歯が痛いのかわからなくなってくる。指を口に入れ奥歯を触る。ひとつずつ、歯を押してみる。指先で叩いてみる。どの歯を刺激しても痛みに変化はない。変化はないが、鈍く重たい痛みがそこにある。何をしていても変わらない痛み。下顎を万力で少しずつ締め上げられるような、安定した痛み。こういうタイプの痛みはいままで味わったことがなかった。

 

週末。大学時代からの友人が結婚するというので、お祝いの飲み会。相変わらず歯は痛む。歌舞伎町の路地裏の中華料理屋。異国情緒あふれる怪しげな店でロキソニンをガリガリと齧りながら紹興酒をあおる。洋ドラに出てくるジャンキーの気分。何を話したのかあんまり覚えていないけれど、たしか生活の話をしていた。保険、仕事、家、子ども、介護。集まると自然とそういう話になる。我々もそういう年になったのだ。ほんとなあ、こんな年まできちんと生活し続けてるなんて、まだなんか信じられないよ。みんながんばったよな。立派に生き延びて、ちゃんと幸せに過ごしてるもんな。ちょっと気恥ずかしい感慨に耽りつつ、痛む下顎で蜘蛛とムカデの串揚げを噛み締める。ここはゲテモノ料理でも有名な店なのだ。結婚祝いの景気づけに注文してしまった節足動物からは、漢方薬の臭いと質の悪い油の味がした。

 

FUKAIプロデュース羽衣の「愛死に」を見た。性愛をテーマに、絶唱と激しいダンスで濃密な生を表現する「愛」のパートと、あれほど豊かだった愛がいつかすべて忘れさられ失われていく、その無常を表現する「死」のパートと。愛が濃密であればあるほど、死の物悲しさが引き立つ。もののあはれ、である。傑作だと思った。もののあはれを絶唱する姿を見ながら、一時、歯の痛みを忘れた。

 

わたしたちは皆、すべてを忘れ、すべてを失って死んでいく。それは圧倒的な事実である。だからわたしたちはいつも哀しみを抱えている。静謐で透きとおった哀しみ。

もしも事実に抗い、「愛は死んだって消えない、愛はいつまでも輝きつづける」と表明するならば、それは風車と戦うドン・キホーテの行いに等しい。なんてロマンティックで力強い戦いだろう。客観的にはどう考えても負け戦、それでも勝つことを一切疑わず戦い続けるその姿は、もう眩しくってたまらない。

哀しみと、眩しさと、そのどちらもが美しいと感じる。双方に惹きつけられ、その合間で揺れ動く。恋をし、恋を失い、年を重ね、変化するもの、変わらないもの、いつか失われるすべてと永遠になくならないすべて、そのいずれもがほんとうであると思いながら、毎日が進んでいく。いままでもそうだし、たぶんこれからもそうあり続ける。

 

相変わらず奥歯は痛む。奥歯の痛みは永遠だろうか。ちゃんと失われてくれるのだろうか。とにかく歯医者さんの奮闘に期待しよう。この戦いにはきちんと勝ってもらいたい。ドン・キホーテみたいな先生でないといいなあ。

 

高架

6月最初の日曜日。東京は朝から晴天。

 

職場のピクニックにいくという彼女を駅まで送る。夏のような強い日差し。背中が暑い。首すじの汗が雫になる。空気はからりとしているから、風がそよげば心地よい。こんな日に木かげでピクニックは楽しいだろうな。大荷物を抱えた彼女の背中が地下鉄の階段に消えていくのを見送る。家に帰り、窓を大きくあける。まだ朝といっていい時間だけれど、酒を飲むことにする。冷蔵庫から出してすぐの夏酒をコップで。冷えた芳香が喉を通過する。呼吸が少し熱を帯びる。最近はすぐに酔いがまわるようになった。きょうも一杯で心地が変動してしまう。これはやっぱあれなんだろな、年くったってことなんだろな。

 

昔の話をする。大学の、たぶん二年の終わりごろのことだったと思う。当時住んでいた、多摩ニュータウン小田急線の外れの線路沿いのアパートでの出来事だ。友達がどやどやと俺のアパートに遊びに来て、馬鹿みたいに飲んで、みんなベロベロになってワーワーやってたら、真夜中にひとりの女の子と男の子がケンカを始めて。まあそのふたりがつきあってたってのは後からわかるんだけど、そんときゃまだみんなそのことを知らなくて。ケンカの原因はなんだったかな、忘れてしまった、とにかくだんだんエスカレートして、いま思うとほんとそういうのよくないと思うんだけど、男のほうが女の子を理詰めで追い詰めて、泣かして、そしたら女の子がパッと家を飛び出してしまって。あ、ヤベえってみんなで探しに行って、夜中のニュータウンを探し回ったんだけど見つからず、携帯鳴らしても俺んちのテーブルの上でバイブするだけ、どうする警察連絡するか、いやそれも大げさすぎないか、そうこうしてるうちに夜も開けてきて、いよいよ警察か、ってなったときに玄関がガチャって開いてその子が帰ってきた。だいじょうぶ、どこにいたの、心配したよ、寒かったでしょ、あったかいお茶いれるからね、とりあえず入んな、って家に入れて、みんなでお茶飲んでたら、ぽつりぽつりと話し始めた。

ケンカして、ぜんぜん優しくないこと言われて、ほんともういいやってなって、死のうと思った。死のうとして外に出てぱっと顔上げたら線路の高架があったから、電車に轢かれようって思って斜面登って線路に入った。サンダルで斜面登んの超きつくて、かたっぽ脱げてどっかいっちゃって、片足裸足になった。でも死ぬからもういいって思った。そんで、とりあえず歩こう、電車来たらそのまま轢かれようって、終点の方に向かって歩いた。線路、めちゃくちゃ静かだった。照明も消えてて、月明かりでレールがぼんやり見えるだけ。終点の方、お店とかもないし、家の電気もみんな消えてるし、街灯がぽつんと見えるくらいで、ほんとに暗かった。でも怖いとかはなくて、電車こないなって、それだけ。

で、歩いてたら、あっ終電、ってなった。終電終わってるからたぶんこれ電車こないな、って。そしたらなんか面白くなっちゃって、ひとりでめっちゃ笑った。笑いながら歩いて、そのまま終点の駅までいって、誰もいないホームのベンチで少し座ってた。そしたらうっすら明るくなってきたから、駅員さんに見つかるとめんどいし、ホームの脇から道路に出て、また歩いて帰ってきた。

危な、終電終わっててよかったよ、貨物列車とかこない路線でよかった、死ななくてほんとによかった、とりあえずサンダル探しにいこう、ケンカのあれは後でふたりで話して仲直りせえよ、ってひとしきり喋って、それからみんなで無くしたサンダルを探しに行った。え、マジでここ登ったの!?みたいな、ほぼ藪の斜面をみんなで探した。あったー!って上の方からドロッドロのサンダルを掲げた彼女が降りてきて、みんな死ぬかと思うくらい笑った。そんでそのままデニーズ行って、モーニングでビール飲んで解散した。そういう思い出。

 

最近よくこのことを思い出す。思い出して、真夜中の高架の上をひとりで歩くってどんな感じなのだろう、と想像する。

音もなく、誰もおらず、ただ月と星と夜空とレールだけがある。レールは大きくカーブして丘の向こうに続いている。見渡すと多摩丘陵がぎゅうっと黒く、夜空の藍と対象的に映る。ほとんどの家の電気は消えて、斜面にそって四角と三角のシルエットだけが浮かんでいる。静謐のなか、どんなふうに歩いているだろう。月を見上げているだろうか。それともじっとレールを見つめているだろうか。何かを考えたり思い出したりするのだろうか。それともぜんぶ忘れて空っぽになって、諦念を全身にまといながらただレールにそって歩くのだろうか。

ケンカしてカッとなって死のうとして、って全然いい話じゃないんだけれど、そのシチュエーションだけは、なんだかとても美しく思えてしまうのだ。

 

そんなことを考えながら飲んでいたら、いつのまにか潰れていた。起きたらもう夜だった。ピクニック帰りの彼女を駅まで自転車で迎えに行き、自転車を押しながら二人で歩いた。朝から潰れるまで飲むと休日も潰れるということがわかったよ、と言ったら、上手いこと言ったっぽいけどそれ別に上手くないからね、と言われた。少し肌寒い、月のきれいな夜だった。

木ノ下歌舞伎「東海道四谷怪談」

土曜。はじめての木ノ下歌舞伎。鶴屋南北、「東海道四谷怪談」通し。あうるすぽっと。

 

6時間は長いよな、途中寝ちゃったりすんじゃないか、寝ちゃって尻の肉が取れる夢など見てしまうんじゃないか、そんなことを思いながら劇場へ向かう。結果はと言うと、まったく寝なかった。6時間ずーっと面白かった。自分の集中力があんなに続くとは思ってもみなかった。尻は痛かった。眠っていたら肉が千切れる夢くらいは見ただろう、というくらいには痛かった。あと膝。6時間ずーっと同じ角度で曲げっぱなしだった、膝。

 

恥ずかしながら「東海道四谷怪談」がどんなお話かをきちんと知らずに生きてきたようなタイプの人間なので、今回の作品の新しさがどこにあるのか、みたいなことはたぶん全くわかっていないのだろうと思う。でも面白かった。現代劇みてるのと同じような感覚で面白いと思えた。口語体と文語体が入り交じるセリフ。現代劇の所作と歌舞伎の所作が入り交じる身体の使い方。歌舞伎のことを何もわかっていない自分がこんなことを言うのは気が引けるけれど、歌舞伎のかっこよい部分(見栄とか殺陣とか)をバッチリ残しつつ、情感的なドラマ部分は解説無しでわかるよう口語体で現代劇的に、という印象を受けた。

 

四谷怪談は怪談話ではなかった。忠臣蔵のスピンオフのような形態で、「お家が大事」という物凄くデカくて重い社会規範を内面化してしまった人びとが規範と思慕の情のあいだで引き裂かれていく、そういう悲劇だった。役者さんはみんな達者だったのだけど、伊右衛門を演じた亀島一徳さんは特に良かった。マザコンで、チンピラで、主君の病気を治すため高価な薬を盗んで逃げた小者をニヤニヤ笑いながらリンチする、まるで綾瀬のコンクリ殺人事件の犯人たちのようなド屑なのだけれど、何か憎めない可愛げとイイやつ感がある。いわゆる「本当はいい子なんです」というやつだ。いや、たぶん伊右衛門だって辛いのだよ。本当なら偉いサムライだったのに、主君お取り潰しで無職だし。お金はないけど、仲間や後輩の手前、イキり続けないといけないし。そんなんだからいっつも借金取りに追われて、家宝の薬まで取り上げられる始末だし。舅を殺してまで手に入れた最愛の妻・岩は仇討ちばっか急かしてきて自分を愛している素振りはないし。おまけにどうやら岩は死病を病んでるし。そんなところに金持ちの娘から惚れられて、死にかけの女房なんて捨てて婿になってよ、婿になってくれたら借金もチャラだし出世もさせるし生涯安泰ですよ…なんて誘われたら、そりゃ迷うっしょ、いくら惚れたオンナだっても迷うっしょ、迷った末にお岩を追い出す決断したってしゃーないっしょ、確かにその結果としてお岩は死んじゃったけど、ありゃ事故だし、そもそも顔がバケモノみたいになる薬飲ませたのは俺じゃないし、そもそも俺は薬のこと知らなかったし、ああもうなんでこんなことになんだよ!なんで思い通りにいかねーんだよ!なんとなくヌルくハッピーになれればそれでオッケーなのによ、なんで面倒くせえことばっか起こんだよ!ああ!あああ!クラスでいちばん脚はえーの俺なのによ!ああ!

 

いつのまにか伊右衛門に成りきって吠えてしまっていた。こう活字にしてしまうと完全なるド屑でこいつのどこに魅力が…?ってなるのだけれど、舞台で亀島さん演ずる伊右衛門を見ていると、憎めなくなってしまう。たぶん伊右衛門は、自分が頑張らなくていい範囲、自分がコストを負担しなくていい範囲であれば、優しくて気立てのいい男なのだ。お岩のことだって本当に好きだったのだ。ただ、ちょっと負荷がかかるとすぐに全部が面倒になってしまい、易きに流れてしまうのだ。俺はどうも、この手のクズを切断処理して憎むことが出来ない。自分もこういうとこあるしな、というのももちろんある。でもそれ以上に、こういう弱さというのは人間の根源的な弱さなのではないか、と思ってしまう。程度の差はあれ、「辛いことから逃げ出したい」という弱さは万民が共有するものであり、遠藤周作が「沈黙」で描きたかったもの、即ちイエスが共に背負ってくださる罪と本質的に同じなのではないかと思うのだ。

 

亀島さんの演技を見ていると、伊右衛門というキャラクターが「稀代の大悪党」ではなく「流されやすくて愉快で気のいい甘ったれのチンピラ」に見える。簡単に言えば、子どもなのだ。子どもだから、色んなことが自分に都合よく進めばいいとばかり考えるし、子どもだから、あれだけ酷いことをしたお岩と星の下で出会い直すような都合の良い甘い夢も見る。子どもだから、大人の論理にはムキになって反抗する。ラスト、伊右衛門を斬りにくる与茂七(この人もまた仇討ちのために女房死なせたり色々あるのだ…)との立ち回りの格好良さよ。あれは子どもの格好良さだ。クラスでいちばん脚の速い男子の格好良さであり、アメリカン・ニューシネマの格好良さだ。「明日に向かって撃て」の、「イージーライダー」の格好良さだ。根拠なき自信と、思想なき反体制と。ああ、あの立ち回り、ほんとカッコ良かった。斬られて倒れた伊右衛門、死んでるのにお腹めちゃくちゃ上下してたなあ。あんだけ動いた後に死ぬの、大変だったろうなあ。

 

劇場に入ったときはお昼だったのに、出たらすっかり夜になっていた。副都心線東新宿ロイホに移動し、佐藤錦のパフェを食べながらお芝居の話なんかをした。それからいつものお店でいつもの人たちとお酒を飲んだ。愛をお金で測るべきではない、しかしお金で表現できる愛もある、そういう話が同じところを何度も回転し、渦を巻いて洗濯機のようになっていた。あのペースで朝まで回転していたら虎だってバターになってしまう。閉店が早めでちょうど良かった。二軒目ではなんの話をしたのかな。あんまり覚えていない。でもなんとなく幸せな感じだった。概ね幸せな夜だった。

土曜の朝、覚醒前の頭で

寝て起きたらなんとなくそういう気持ちだったのでこれを書いている。

 

文章を書くときには二つのパターンがある。書きたいことがあって書くときと、ただなんとなく書くときと。

難しいのは前者のほうだ。書きたいことがあるときに書きたいことを書くのはほんとうに難しい。書いても書いても、違うこういうことじゃない、自分が書きたかったこととはなんか違う、という感触がぬぐえない。磨りガラス越しに写実画を描こうとしてるような感じになる。そもそも「書きたいこと」が漠然としているからこんなことになるんだと思う。でも、「書きたいこと」が明確ならばそもそも書きたくもならない。自分の中ですっきりと言語化されてしまっていることにはあまり興味が持てない。やはり、なんかぼんやりとではあるが書きたいことがあるぞ、という状態からスタートして、言葉を探しながら徐々に輪郭線を確定していく、という工程が好きなのだと思う。上手く書けたな、と思えることはあんまりないのだけれど。

でも書きたいことがあって書くパターンはそんなに多くない。特に書きたいこともなく、ただなんとなく書き出してみることのほうが圧倒的に多い。好みに合うのもこっちだ。何しろ気楽でいい。頭をあまり働かせず、指のリズムにまかせてスススッと親指を滑らせる。そうするといつのまにか文章が出来上がっている。

ここが文章を書く面白さだと思うのだけれど、そんなふうにして特に何も考えずに書いた文章にも、意味は宿ってしまう。本当になんの意味も持たない文章を書く、というのは恐らく不可能なのだと思う。言葉が意味やイメージを表すものである以上、どうやったって意味やイメージは宿ってしまう。だから発見がある。自分で書いた文章を読んで、他人が書いたものを読んでいるような気持ちになる。しかしそこかしこに確かに自分の残滓がある。自分が書いたものを読みながら、自分が書きたかったことを発見する。毒にも薬にもならんなあ、くらいの心持ちで書いた文章から、強めの炭酸くらいの刺激を受けたりする。強めの炭酸は毒だろうか。薬だろうか。

 

「毒にも薬にもならぬ」って言葉を打ち込みながら、視界に入るものたちについて、これは毒なのか薬なのか、みたいなことを考えていた。部屋のサイズに比してやや大きすぎるテーブルは毒か薬か。飲みかけのゼロコーラのペットボトルは毒か薬か。青い表紙の読みかけの漫画は、残り四枚になった八枚切りの食パンは、はたして毒か薬かどちらだろうか。たぶん世の中のもののほとんどは毒にも薬にもならぬものなのだと思う。毒と、薬と、毒でも薬でもないものとで三国志をやったら、たぶん最終的には毒でも薬でもないものが天下をとる。もちろん統一にいたる過程にはいろんな紆余曲折があると思う。追い詰められた毒と薬が同盟を組んだりする。毒薬同盟。ダンプ松本が出てきそう。毒薬とは毒なのか薬なのか。もしかして毒でもあり薬でもあるものなのか。なんだろう、何がと言われるとわからんけれど、なんかズルくないか、それ。

 

武蔵野館で「マンチェスター・バイ・ザ・シー」を見た。丁寧で誠実な映画だった。いい作品だと思ったけれど、僕のための映画ではなかった。ケイシー・アフレックのこの悲しみはちょっときれいすぎるな、と思った。人間って、そんなにいつまでも純粋な悲しみを保ち続けられるものだろうか。悲しくて悲しくてたまらない、死ぬまでずっとこの悲しみが消えることはない。そんなふうに思っても、私たちのほとんどは、悲しみに殉ずることが出来ない。忘れてしまうし、癒やされてしまう。悲しみは、消えることはなくとも、薄れていく。時間とともに質感は変質していく。愛する人を喪ったあと、悲しみを抱えながら、それでもひとは飯を食う。眠れなかった夜が、いつしか眠るための夜になる。旅行にだって行くだろう。恋にだって落ちるかもしれない。それは救いでもあり、残酷さでもある。悲しみを抱えた人が出家するのは、あれは悲しみを失いたくないからなのだと思う。悲しみの状態に自分を固定しておきたいのだと思う。そうでないと、癒やされていってしまうから。それが恐ろしくてたまらないから。

俺はケイシー・アフレックが楽しむところを見たかった。娘を死に追いやった自分がいま生活を楽しんでしまっている、そのことに苦しむ姿が見たかった。その上で、どう向き合うのかを見たかった。乗り越えて先へ進むことを選ぶのか、罪悪感と悲しみに殉ずることを選ぶのか。

 

久しぶりに天気がいい。これから洗濯機を回し、たぶん少しだけ二度寝して、それから長尺のお芝居を見に行く。たっぷり六時間。腰痛が炸裂しないといいのだけれど。