bronson69の日記

いつか読み返して楽しむための文章。

クリスマス・イブ

12月24日。クリスマスイブ。

 

イブなので外に出ることにした。乗り慣れた小さな赤い自転車に乗って昼間の歌舞伎町へ。イブの歌舞伎町はドンキで買ったようなサンタ服の呼び込みがたくさん。ラーメン二郎の行列はいつもより少なめ。二郎歌舞伎町店、改装して普通に美味しくなったらしい。行ってみたいと思うのだけれどどうも足が向かない。二郎、ブタとヤサイは好きなんだけどラーメンがそんなに好きじゃない。麺抜きがあればいいのにな。量的にもちょうどいいだろうに。

 

二郎をすぎてラブホ街へ。まだカップルは多くない。夜はずいぶん混むのだろうな。大きなカバンを持った女性がひとりでホテルから出てきて歩きながら電話をかけている。お仕事中だろうか。僕も帰ったら片付けなければならない仕事がある。ハッピーホリデーの連休だけど、働いてるひと、たくさんいるのだろうなあ。みなさんどうも、お互いお疲れ様ですね。もうひとふんばり、がんばりましょうね。

 

大久保通りのコリアンタウンを抜けて、新大久保のイスラム横丁へ。クミンパウダーにコリアンダーパウダー、ガラムマサラマスタードシード、ブラウンカルダモンとフェネグリーク、ココナッツミルクを何缶か、あとバスマティライスも購入。スパイスはテンションが上がる。これだけ買って2000円。安い。興奮して鼻息が荒くなる。興奮したせいか小腹が空いたので店先で焼いてる鶏の串焼きを購入。軽めのスパイス風味。マサラ・ミーツ・京都みたいなあっさり感。軽く胃を温めて帰宅。

 

イブなのでさっそくカレーを作る。大きめにスライスした豚の肩ロース肉。あらかじめコリアンダーパウダーとにんにくとしょうが、それに赤ワインビネガーでマリネしておいたもの。カシアとマスタードシードベイリーフクローブを油で熱し香りを出す。刻んだ玉ねぎを黒くなるまで炒める。焦げを恐れず強火でやるのがコツ。にんにくとしょうがをいれ、トマト缶。強火で水分をとばす。食べごろのもんじゃくらいのテクスチャーになったら肉を投入。同時にスパイス。チリペッパー、ターメリックコリアンダーパウダー、クミンパウダー。肉の表面が色づいたら、赤ワインビネガーと水。あとは煮込めばポークビンダルーの出来上がり。

 

イブなのでもうひとつカレーを作る。作り方は前に書いたことがあるので省略。玉ねぎと鯖缶をスパイスと油でエイヤっとやってココナッツミルクを入れ、最後に角切りのトマトを加えて少しだけ煮込んで完成。サバカレー南インド風。

 

それから部屋の掃除なんかもチャッチャッとやって、イブなので銭湯に行く。Tシャツにフリース一枚で外に出る。流石に寒い。でもこうやってガンガンに冷えたほうが風呂がよくなる。スイカに塩みたいなものだ。でもあれですね、いざ風呂に入ってみると、身体を洗ってるうちに温まってしまって、湯船につかるときの感動はあんまりないですね。身体も水で洗うべきだったのかな。湯船にしばらくつかって、それからサウナへ。内臓が熱を持つまで留まって、満を持して水風呂。この一年ですっかり水風呂が好きになってしまった。毛穴と毛細血管がぎゅっと閉じていく感じがたまらない。ギンギンに冷えた状態で風呂やサウナに入り、毛穴と毛細血管がじわ〜っと開いていくのもいい。それを繰り返してなんだかよくわからなくなるのも好き。自律神経としてはどう思ってるのだろう。ありがたいのか、パニックなのか。

 

銭湯からの帰りは薄着が心地よい。指先が冷える前にちょうど家まで帰りつく。明石家サンタをみたり、大島弓子の「ロングロングケーキ」を読み返したりしながらダラダラと仕事をする。のんびりと仕事を終わらせ、寝ようとして、うとうとしたり目が覚めたり、なんだかんだで夜が開ける。クリスマスの朝が来る。

 

きょう、恋人が日本に帰ってくる。今夜、八時になれば、サンタがうちにやってくる。それが待ち遠しくてたまらない。

 

わたしもあなたも、ありったけ幸せでありますように。

メリークリスマス。

暖かな冬の夜

朝からなんとなくどろんとしていた。何が、というわけではないけれど、なんだかはっきりしなかった。いつのまにかシャツを着て、いつのまにか靴紐を結んでいた。ぼうっとしたまま電車に乗り、ぼうっとしたまま働き、そのまんまで一日が終わっていった。

 

ところで仕事をしながらふと思いついたのだけれど、ムヒってもしかして無皮ってことなのだろうか。痒くて掻きむしって皮膚が全部めくれあがる、みたいな。痒い?心配するな、皮がなくなれば痒みもなにもなくなるだろう…?みたいな。そういうことなのかなあ。そうだったら怖いなあ。

 

仕事は終わっていないのだけれどまあいいかという気持ちになって会社を出る。暖かい空気。強い風。まるで春の嵐のような。コートとセーターを会社に置いてきたのは正解だった。まだ雨は降ってこない。少し歩きたくなって、駅とは反対の方向に足を向ける。ぬるい水のようなぼんやりと戸惑った空気の中をゆっくりと進む。イヤホンを耳に入れる。小沢健二の「春にして君を想う」。耳に吐息のかかるような、囁くような歌声。

 

やりたいようにやった一年だったな。ようやくはっきりしてきた頭でそんなことを思った。とにかく自分に素直に過ごした年だった。好きなことだけをやった。好きなものを見て、好きな音を聴いて、好きな服を着て、好きな人とだけ遊んだ。お気に入りのソファに座り、ヒゲを生やし、かわいいトートバッグを持って、毎日のようにカレーを作った。とにかく楽しく、心地よく過ごすことが重要だった。そうこうしているうちに、大切にしたいひとと出会い、大切にすることを許され、大切なひとになった。ふたりで過ごす時間が増えるにつれ、また好きなものが増えていった。なにしろ何をしていても楽しいし、どこに居ても心地よいのだ。

 

気がつけば、身の回りが好きで溢れている。モノも、ひとも、時間も。まだまだ楽しいことがたくさん待っている。耳元で小沢健二が歌ってる。君と行くよ、歳をとって、お腹もちょっと出たりしてね、そんなことは恐れないのだ、静かなタンゴのように。いまよりお腹が出るのはちょっと恐ろしいけれど、それ以外は概ねオザケンの言うとおり。春のような冬の夜、クリスマス色の暖かい街。まだ雨は振り出さない。もう数日で恋人が帰ってくる。会ったら何を話そうか、来年はどこに行こうか。あれやこれやを考えながら、家までの道をゆっくりと歩く。少し汗をかきながら、一歩ずつ、踏みしめるように歩いていく。

 

 

 

 

 

 

胃痛、ビーフジャーキー

ビーフジャーキーを食べすぎて胃をやられた。味付けにエゲツないスパイスでも使ってるのか、何度も噛みしめる動きが胃酸過多を招くのか、胃の中で水分を吸ったジャーキーが膨らむのか、メカニズムはよくわからないけれど、晩飯代わりにビーフジャーキーを1袋食べたら胃が痛くて動けなくなった。

 

納得がいかない。ストレスで胃が痛い、カフェインで胃が痛い、コレはわかる。でもビーフジャーキーだ。どっちかと好物の部類だ。しかもきょうのはわりかし高級なやつだ。実際おいしかったし。なんでそれで胃をやられなくてはいけないのか。もたれる、ならわかる。もう僕もそういう歳だ。肉を食いすぎて胃が重い、それなら納得する。でも重たさではなく痛さなのだ。腹の中にあるのは、石ではなく棘なのだ。

 

書いてたらなんだか痛みが増してきた。痛み充増。震える痛みだ。胃が痛くて胃が痛くて震える。tomadくんなんかいい薬ないの、西野カナよりロックできるの、という気分。ところで恋人は西野カナのことをカナやんと呼ぶのだけれど、それを聞くたび僕の脳裏には空前絶後の400勝投手にして名球会天皇金田正一a.k.aカネやんのことが浮かんでしまう。カネやんかー。カネやんのトリセツ欲しがるひとたくさんいるんだろうなー。

 

胃が痛いのだけれど美味そうな食べ物についての情報ばかり見てしまっている。痛風鍋だのバスマティライスのいくらウールガイのせだの。たぶん胃酸出てるんだろうな。めっちゃ美味そうだもの。ああ、馬鹿みたいに美味いものを食べたいなあ。馬鹿みたいな顔で馬鹿みたいに美味いものを食べて馬鹿になりたい。3の倍数で馬鹿になります、3、6、9、12、15…って永遠にアヘアヘした姿をさらしていきたい。みたいな感じで美味いものを食べたい。食べたいなあちくしょう。

 

もう寝よう。「むにゃむにゃ…もう食べられない…」みたいな夢を見よう。猿に引き裂かれるような夢ではなく、味のする夢を見よう。夢はどうすりゃいいんだっけ、象に頼めば叶えてくれるんだっけ。まあいいや、寝ればなんとかなるだろう。

 

おやすみなさい。わたしもあなたも、良い夢を。

疲労回復

思いつきでモノを決めようとするエラいひとのところに行ってにこやかに道理を説きつつ要求を突っぱねる、という仕事をした。基本的にめんどくさいことはしたくないマンなのだけれど、それ以上に道理に合わないことはしたくないマンなので、たまにこういう仕事をやる羽目になる。無事にミッションはコンプリートできたのでよかったのだけれど、そのかわり緊張しすぎて胃にダメージを負ってしまった。ちなみに緊張の理由は、「エラい人と話したから」ではなく「慣れない人とシラフで話したから」である。要するに人見知りだ。酒入ってりゃなんてことないんだけどもなー。慣れない人と話すの、ほんと慣れないなー。

 

ぐったりとしてしまったので、早々に帰宅しメシを作った。やや脂の多い豚のロース肉をデカめに切って、醤油とニンニクとショウガと酒と砂糖とオイスターソース、それに片栗粉を揉み込み、適当に焼いたもの。下茹でした大根と鶏の手羽元を醤油とみりんとたっぷりの酢で煮込んだもの。それからデザートにマンゴーゼリー。基本はタンパク質、それとお酢。つまりは疲労回復メニューである。これらをゴシゴシと食し、平らげ、逃げ恥を見る。本編ももちろん面白かったのですが一番高まったのは終了後にちらっとやった「カルテット」の予告カットでした。年明けがほんと楽しみ。

 

来年の話をすると鬼が笑うというけれど、だとすると年の瀬の鬼ヶ島はどこもかしこも笑いに溢れているのだろうか。楽しそうだな。

 

ああもうだめだ、ねむすぎる。疲労回復メニューが効いてるのかな、身体が回復したがってるのかな。ねむー。

 

おやすみなさい。

 

 

 

ホットカーペット、時差

いつのまにか眠ってしまったようで、月曜の朝はホットカーペットの上で迎えた。カーペットに接している半身は熱を孕んでカラカラに乾いている。反対側は冷え切って固まっている。どうやら何もかけずに寝ていたらしい。半身は熱を持ちもう半身は冷え固まっている。要するにダイの大冒険フレイザードの状態だ。フレイザードのままでは会社に行けないので、まずはコップに水を汲んで飲み、それから熱めの風呂に入る。うちの風呂は狭く、僕の身体は大きいので、全身を水面下に沈める、ということができない。肩を入れれば膝が出るし、膝をつければ首が出る。智に働けば角が立つし、情に棹させば流される。無理やり浸かれば窮屈だ。とかくウチの風呂は住みにくい。それでもしばらく浸かっていると温まった血が全身を巡りだし、どうにかこうにか再起動に成功する。冷えていたほうの指をコキコキと曲げて伸ばし、そのように動かしてもフィンガー・フレア・ボムズが発動しないことを確認する。発動しなくてよかった。あれは禁呪だ。僕のような一般人が使ったら確実に寿命が縮む。ここんとこは人生が楽しいから、なるべくなら死にたくはないのだ。

 

仕事のあと紀伊国屋で本を買う。Hanakoの台湾特集と東京のレストラン特集。ここ最近はHanakoがナンバーワン好き好き雑誌である。デザインも好みだし、特集の中身も好きだ。毎号買ってるわけではないのだけれど、デザインも中身もなんだか好きなのだ。情報量は多いけれど軽やかなところがよい。押し付けがましさがないから平気で読み飛ばせるところがいい。台湾はここ何年か憧れ続けている。そんなに憧れてるならさっさと行けばいいのに、と自分でも思うのだけれど、どうにも腰が重い性分なのだ。パスポート申請のための書類をそろえるより、ホットカーペットに寝ころんで漫画を読んでるほうを選んでしまう。そんな人間なのでHanakoに加えて漫画も買った。卯月妙子の「人間仮免中つづき」と岩本ナオの「金の国水の国」。帰宅してホットカーペットに寝ころんで、前者から読んで、そのまま泣き崩れてしまう。本編もさることながら、オマケがキツかった。卯月さん、宮古の方なのか。自分は内陸の出身なので、家族や友人はあらかた無事だったのだけれど、それですらあのときは本当に辛かった。卯月さんの苦しみはいかばかりかと思う。震災のときのことは、思い出すと今でも辛くなってしまうのだけれど、でも同時に、直接の被害者でもない自分にはこんな気持ちになる権利はないのではないか、とも思ってしまうので、結果的に感情がうまく処理できなくなってしまう。

 

何とも言えない気持ちでスマホを弄っていると、海の向こうの彼女からメールが届く。いま起きた、ようやく月曜日がはじまるよ、いままでずーっと日曜日だったんだよ、信じられる、時差ってなんかものすごいね、起きてすぐ君はなにをしてるのかなって思ったよ、ねえいま何をしているの?僕はポチポチとメールを打つ。震災のときのことを漫画で読んで感情がぐしゃぐしゃになってて、だからいまメールが来たらいいのになあ、と思ってたとこだよ、助かった、ありがとう、しかしすごいタイミングだったね、ちょうどいいときにメールが届くよう時差がタイミングを調節してくれたのかな、時差もなかなか気が利くね、さすが西海岸の時差だね、洒落たことをするね。送信ボタンを押す。このメールも時差に乗って彼女に届くだろうか。慣れない海外で心細くなってくる、すこし寂しくなってくる、そういう頃合いをひ見計らって届けてくれればいいと思う。時差はこころ得てるやつだから、そのくらいはやってくれるんじゃないかと思う。こちらはそろそろ眠るので、あとはよろしく頼むよ、時差。

よく晴れた東松戸のホームにて

いま東松戸にいる。駅のホームで寒風に吹きさらされている。頭上には雲ひとつない青空が広がり、冬の太陽が短い昼間に全力を注いでいる。日差しが当たる頭と背中は暑いくらいで、それ以外の部分はキンキンに冷えている。一部分だけアツアツで、それ以外はキンキンで、ホームに並んでる自販機たちにシンパシーを感じている。

 

東松戸にいるのだけれど、別に東松戸に用があるわけではなく、成田から外国へ出張に行く恋人のお見送りに来ているのである。東松戸で待ち合わせて成田空港行きのアクセス特急に乗る手はずになっている、のだけれど、肝心の恋人はいろいろあって遅延が生じているらしく、仕方ないのでひとりホームで乗るはずだった特急列車を見送っているのだった。

 

キンキンでアツアツの状態でペットボトルのお茶を手にホームに立ち何本も電車を見送っていると、本格的に自動販売機の気持ちになってくる。東松戸駅改札内ダーマ神殿があったら自販機(冷温兼用)に転職できる気がする。僕が自販機になっていたら、遅れてきた恋人はどう思うだろうか。温かい飲み物と冷たい飲み物、どちらのボタンを押すだろうか。僕は待たされた腹いせに温かいいろはすみかんをガコンと落とす。怒ってるの…?と彼女は言うだろう。これからしばらく外国に行くのに、そんな揉め方はしたくない。和解のしるしに彼女の好きな温かいお汁粉の缶でも落としてみよう。彼女はそれを握りしめて成田へ向かう電車に乗り込む。自販機の僕はホームからそれを見送る。お汁粉の缶は冷え性の彼女の手を柔らかく温めるだろうか。しばし遠くへ向かう彼女のために、ありったけの思いをこめてあっためた、とっておきのお汁粉。帰ってくるまで冷めないように、彼女の手が冷たくならないように。手をつなげる距離に帰ってくるまで、僕のかわりに指先を温めてくれるように。

 

いってらっしゃい、気をつけて。

無事の帰りを待ってるからね。

ぼんやりとした一日のこと

ぼんやりとしている。ぼんやりとしながら毎日を過ごしている。なにしろ気候がいい。世間的には冬、寒い、でも個人的には最高の適温。歩いても歩いても暑くならない。熱いものを食べても暑くならない。最高最高最&高。コーヒーカップでランデヴーとおんなじくらい最高だ。最高なので遅い時間に中華料理食べてあんまり美味しくなくってどうしても口直しに甘いものが食べたくなったらちょっと遠くのロイホまでテクテク歩くなんてこともできてしまう。できてしまうことはやってしまうに決まってるわけで、だから僕らはスピッツの「ナナへの気持ち」を鼻歌しながら深夜の明治通りを歩いている。霧雨と小雨の中間くらいの、スコットランド人なら傘をささないくらいの雨が降っている。彼女はビニール傘をひろげて、僕の身長にあわせるように、傘を持つ手を高く伸ばす。いいよいいよ、手が疲れちゃうよ。そう言ってぼくはわざと傘の外に出る。彼女との身体距離が少し離れる。ほんの一歩離れただけなのに、なんだか少し寂しいな、と思っていると、彼女は傘をたたんで、一歩の距離を詰めてくる。傘をさすほどの雨じゃないね、これくらいの雨、生粋のイギリス紳士ならきっとレインコートだけで済ますよね。それで僕らは明治通りをそのまま濡れて歩いた。寂しくないくらいの身体距離を保ちながらロイホまで濡れて歩き、平日の深夜のガラガラのロイホラ・フランスのパフェとヨーグルトサンデーを食べ、日付が変わるまで取り留めもない話をした。寝て起きたら忘れてしまうような、楽しさだけが残るような、そんな話。たっぷり話しこんで、追加で頼んだシロップたっぷりのパンケーキも平らげて、眠くなってきたころ店を出た。明日も朝から仕事かー、行きたくないなー、みたいなありがちな話をしながら、ホテホテと歩いて家に帰った。朝まで眠って、翌朝は少しだけ遅れて会社に向かった。そんなだから、その日もやっぱりぼんやりとして一日を過ごした。

 

ぼんやりとしたある日のこと。

最&高な一日のこと。