bronson69の日記

いつか読み返して楽しむための文章。

インフルエンザと観劇の記録

あっというま3月。穴ぐらから這い出てみれば季節は春。紅白の梅花、雪帽子の猫柳。自分の生活に書くほどのことなんて何もないぞと思いつつ、書かない日が続いてしまうとそれはそれで不安になる。なんともわがままだと思うがどうするのが正解なのかわからない。とりあえずいまは書いておきたい気分なので、備忘のやつを録します。

 

まだ2月だったころの週末。座・高円寺に神田松之丞・玉川太福二人会を見に行く。芸人人生初のダブルブッキングを華麗にさばく松之丞さん。すっかり本格派の風格。講談はこんなに素晴らしい芸なのに、一向に若手が入ってこないのは何故なのか?このあと20年も経ったら男の講談師は自分だけになるかもしれない。そんな枕。笑いながらも笑えなかった。落語家より競争率低くて狙い目だと思うのだけれど。太福さんは昨年蒲田ととで見たときと同じネタ。銭湯でのアラフィフ上司とアラサー部下の死ぬほどどうでもいいやりとりを朗々と謡いあげる。ゲラゲラ笑ったあとは友達と四文屋へ。片肘ついて牛鍋をつつきつつ「アレはもう見たかい?じゃあアレは?ああ、アレも良かったよねえ、なにしろ…」という感じの会話を3時間。あのときの我々の頭を叩いたらきっと文明開化の音がしたと思う。そんくらい「安愚楽鍋」の挿絵まんまだった。教科書に載ってるこれです。


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翌週。インフルエンザ。ちょっと喉イガイガすんなー咳でるなーと思ってたら全身がけいれんみたいに震えだし、あっこれ知ってる急激に高熱が出るときのやつだ、と体温計を連打すると測るたびに五分ずつ熱が上がっていく。近所の病院にすべりこむ頃には40度。加えて気管支炎も発症し、きっちり一週間仕事を休むはめに。元気なときは、もしいまインフルエンザになったら溜まってた録画を消化し本を読みNetflixをやっつけ…なんて皮算用をしていたのだけれど、いざ病人になってみると、まったくそれどころではなかった。ひたすら転がって介護されるだけの肉塊でしかなかった。介護してくれた彼女に感謝。自分も忙しいのに何くれとなく世話をしてくれて、おかげで衛生的な環境でゆっくりと静養することができた。何より心細くないのがよかった。高熱で朦朧として天井がぐにゃぐにゃに見えているときも、咳きこんで寝れなくてクッション抱えて丸まってる夜も、ひとりじゃないんだと思えるだけで本当に心強かった。ふたりはいい。ふたりがいいと思える人とふたりでいられる、というのは本当に本当に幸運なことだな、と思った。

 

どうにかこうにか回復し、隔離期間も過ぎて家から出られるようになり、土曜はほりぶん「荒川さんが来る、来た」を見に阿佐ケ谷へ。鎌田さんのお芝居はこれで3回目。フルパワーで走り抜ける混沌に巻き込まれる快感を堪能。あの快感はいったい何なのだろう。しかも終演後には何かスポーツに参加したような謎の爽快感に満ち溢れていた。まったく訳がわからない。楽しい。お芝居に影響されどうしても餃子が食べたくなったので鍋屋へ。皮の分厚い大陸風の餃子を心ゆくまで味わう。そこからrojiへ移動し、ウイスキーの品揃えの良さを賞賛しつつ、チーズとドライフルーツとサブカルゴシップみたいな話で終電まで。久々の正統派サタデーナイトをがっつりやって、明けて日曜は昼から横浜。KAATで木ノ下歌舞伎、「勧進帳」。これまでで最もスタンダードかつ洗練された内容だった。わかりやすく、しかし工夫が凝らされ、原典に忠実でありつつ普遍性があり、ラップでありモードであり歌舞伎であった。名刺がわりになり得る作品だと思う。しかし中央線から横浜は遠い、乗り換えが少なかろうが遠いものは遠い。観劇後は中華街「南粤美食」で中華。狭い厨房にはびっしりと乾物が並ぶ。スペアリブ、海老雲呑麺、干し貝柱と干し肉の土鍋ご飯を注文。全部美味しかったけれど、土鍋ご飯はやばかった。干し肉がすごい。旨味の爆弾みたいになってる。干すだけで肉はこんなにも美味しくなるのだろうか。お店イチオシの鳥の塩蒸しが品切れだったのが心残り。次回KAATに行くときは絶対にリベンジしたい。この店に行けると思えば遠い横浜も少し近くなる。良いお店にはそういう魔力がある。美食の魅力は百里を超える。いつか僕が会社をやることがあったら、べらぼうに旨い社食を作りたい。何があっても社食のために出社しようと思えるような、日替わりのためにあすの出社が待ち遠しくなるような、そんな社食を作りたい。というか今すぐそういう社食がほしい。そうでもないと仕事に行ける気がしない。要するに働きたくないのである。風邪、ほぼ治りて、仕事、したくなし。街、春めいて、仕事、したくなし。そんなような心持ちでうだうだと春の夜を過ごしている。