bronson69の日記

いつか読み返して楽しむための文章。

ていねいに暮らす

引き続き風邪をひいてる。声が出なくなって、熱が出て、「死ぬ…たぶんというか絶対死なないと思うけど、いまこの瞬間の素直な感想としては死ぬとしか言いようがない…」みたいな一日があって、そこからはなんとか脱した、みたいな今日がある。

 

いわゆる「ていねいな暮らし」みたいなものに憧れていた時期がある。流行りの服じゃなく10年保つ服を自分で繕いながら着て、旬の食材を出汁からきちんと料理して、裏山に花が咲いたら花瓶にいけて、みたいなやつ。いまは当時ほどの憧れはないけれど、でもやっぱり、ちょっと憧れる気持ちはある。いざやるかっていったら、やらないんだけどさ。

 

ここ数年思っているのは、「ていねいな暮らし」をやらなくても、「ていねいに暮らす」ことができてれば充分なんじゃないかな、ということ。ことさらにクウネルな生活を志す必要はないのではないか、それよりも、自分にとっての普通の生活、30数年生きてきて出来上がった自分なりの暮らし、そういう普通の日々を、なんとなくではなく、きちんと面白がって暮らすことが大事なんじゃないかな、と思う。例えば毎朝の駅までの道のりで肌で感じる冬の空気、匂いに負けて吸い込まれた吉野家の牛丼の味、冷え切った身体がコタツの中でじんわり溶かされていく感覚、そういう毎日の場面のひとつひとつを、慌てて飲み込んだりせず、ちゃんと噛んで、噛みしめて、ていねいに味わって暮らすほうが絶対に面白い。ほっといても季節は巡るし、どうしてもすべては変化していくし、だからいまこのときはいまこのときにしか存在せず、同じ場面は二度とやってこない。すべては通りすぎてしまうから、そうであるなら、ただ通りすぎるのではなく、隅々まで味わいつくして通りすぎたい。あらゆるものに風情はあるから、あらゆるものの風情を感じたい。そんなことを思っている。

 

いまの僕は風邪をひいてしんどいのだけれど、それでも、治りの悪さに年齢を感じるのとか、正月休み明けの少し混み合う病院とか、薬局いったらインフルエンザじゃないことを珍しがられるのとか、へろっへろな身体を引きずるようにしてトボトボ歩く侘しさとか、そういうことのひとつひとつに風情を感じる。面白がってる自分がいる。

 

なにがあっても面白がって過ごしたい。少しもていねいじゃない、むしろ怠惰で粗雑でありふれた毎日を、ていねいに味わって暮らしていければいい。いつかすべてを振り返るとき、幸福とか不幸とか、そういうぜんぶを飲み込んで、味わい深い人生だった、って思えるようでありたい。それさえできれば、あとはみんなオーケーなんじゃないかと思う。

 

でもとりあえずいまははやく風邪を治したい。治ったら蒲田に行ってスリランカカレーと黒湯を存分に堪能したい。銭湯の休憩スペースで彼女といっしょにふぃーってなりたい。そういう風情を味わいたい。

ああ。早く治んないかなあ。