読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

bronson69の日記

いつか読み返して楽しむための文章。

帰省

子供のころ、盆と正月には父親の実家に行くのが習わしだった。父の実家は北東北の山裾にあり、ガチガチに山で田舎で農村だった。僕は一族の中で最も年下の子供だったので、非相撲的な意味で随分と可愛がってもらっていた。お小遣いもらったり、山に連れて行ってもらったり。けれど、僕はそこに行くのが嫌だった。生来の人見知り気質もあるし、それ以上に嫌だったのは、親戚たちの話す言葉がまったく理解できないことだった。同じ県内でも、県庁所在地に住んでいた僕と、農村に住んでいた親戚たちとでは、使用言語が全く異なっていた。まだ健在だった祖母は僕をたいそう可愛がってくれたけれど、何を言われてもスワヒリ語で話しかけられているようにしか思えず、両親に通訳してもらう必要があった。近くに両親がいないときは最悪で、親戚の誰かが気を使って通訳をしてくれるのだが、スワヒリ語からスワヒリ語に通訳をされて理解が進むわけもなく、ただみんなに申し訳ないという気持ちだけが幼い胸に広がるのだった。

たまに、大人たちが揃って出かけて、自分と祖母と二人で家に残されるときがあった。そうすると、祖母は必ず僕と話をしたがった。色々なことを訪ねられた。言葉が伝わりづらいのは祖母もわかっていたようで、問いはどうやら簡単なクローズド・クエスチョンになっているようだった。はいといいえで答えられる質問。だから僕はいつも、うん、うん、と曖昧にうなずいていた。僕はうなずく機械だった。うなずきトリオうなずきマーチだった。

ひとしきりうなずいて、会話が途切れると、僕はいつも祖母の肩をもんだ。特に孝行をしたかったわけではない。言葉が伝わらない相手に対して好意を伝える方法をそれしか思いつかなかっただけである。未開人ならば贈与をするところなのだろうけど、僕はあいにく幼い子供で祖母にあげられるものは何も持っていなかった。わかりやすく甘えたり、子供らしくはしゃいで見せたり、そういう可愛げみたいなものも持ちあわせていなかった。父の実家にいるときの僕はこまっしゃくれた陰気なガキで、親戚たちが求める無邪気な子供像みたいなものとは少し違っていて、そういう期待と自分とのズレみたいなところに罪悪感を覚えていた。だからいつも、肩をもみながら思うことは、ごめんね、だった。おばあちゃんごめんね。言葉がわからなくてごめんね。聞かれてることに答えられなくてごめんね。つまらないと思っててごめんね。ここに来たくないと思っててごめんね。本に出てくるみたいな、おばあちゃんに会うのを楽しみにしてる子供じゃなくてごめんね。みんな可愛がってくれてるのに、それを嬉しいと思えなくてごめんね。いまだって早く帰りたい、帰って本を読みたいって思っててごめんね。おばあちゃんのこと、嫌いじゃないよ。好きになれたらいいと思うよ。おばあちゃんのことを大好きな孫じゃなくてごめんね。心の中でそんなふうに思いながら肩をもんでいると、祖母はいつも無言で泣いて、それから僕に追加のお小遣いをくれようとするのだった。僕はそれを必死に拒否した。これでお金を貰うわけにはいかない、と思った。文化人類学的に言えば、互酬性の規範が成り立たない、という感覚だろうか。僕はとにかくフェアでいたかったのだ。

追加のお小遣いを断り、自宅へ帰る車の中で、父が言った。おばあちゃんの肩もんでらったってな。おばあちゃん喜んでたぞ。孫はたくさんいるけど、みんな小遣いもってくばっかりで、肩もんでくれて金はいらねって、そんなのしてくれるのあの子だけだ、って言ってたっけ。そう言われてまた罪悪感が募った。

中学生になってからは、部活で多忙だと言い訳をして、父の実家には行かなくなった。三年生のときに祖母のお葬式に行ったのを最期に、ほぼ20年、親戚とも顔を合わせていない。

 

ここまでが前段で、ここから20年ぶりに父の実家に行ってきた話をするつもりだったのだけれど、なんか眠くなってきたのでなるべく短く。

 

顔を覚えている親戚の多くが他界していた。歳の近い従兄弟やなんかは軒並み結婚して子供もいた。自分の両親が甥っ子の子供を猫可愛がりしていた。完全に孫を可愛がる感じになっていて、良かった良かった、本物の孫は見せてあげられないかもしれんから、その分までその子を可愛がってあげてくれ…と思った。田舎は庭が広いのですぐにバーベキューをする。星空の下、知り合いの漁師さんから直送された魚介を焼いて飲む酒は最高だった。親戚はみんな僕のことを家族だと認識していて、でも僕の方はすっごい久しぶりに合う友達くらいの感覚で、そういうズレみたいな、ああ、みんないつでもここに帰ってこいって言ってくれるけど、自分はここに帰らないしここを帰るところだと思ってないんだ、ここは自分の居場所じゃないんだ、みたいなことを確認して、ひとり感傷的な気分になった。自分の話をしたくなかったので、従兄弟の兄弟の話を引き出すことばかりしていた。パッと見は対照的で、真面目で実直な兄とチャラチャラしてるやんちゃな弟。けれどそれは田舎の家で期待される長男像と次男像を忠実に再現しているだけで、実際は二人とも大変に責任感が強く、真面目な男なのだった。焚き火を見つめながら、お互いがお互いのいないところで「あいつが羨ましかった、あいつはすごいと思う、尊敬している」って言い合うのヤバかった。お前らなんだBLか。田舎は朝早く夜遅いので日付が変わる頃にはみんな寝てしまって、寝つけない僕はひとりで墓参りに行った。村の墓地は小高い丘の上にある。子供のころは遠いと思ったお墓だけど、20年ぶりに歩いてみたらめちゃくちゃ近かった。徒歩5分。うちから最寄り駅より近い。歩いているうちにお墓がどうでもよくなって(お昼のうちに墓参りは済ませてある)、道路にそのまま寝転んだ。寝転んで星を見ながらハイボールを飲んだ。月が明るくて、見渡す限りの星空!とはいかなかったけれど、それでも充分な星空だった。空を見上げて、祖母や親戚やその他にも何人か、顔を思い浮かべながら、心の中で手を合わせた。戻って寝ようとしたら玄関にカギがかかっていたので仕方なく庭のベンチで寝た。田舎なのに戸締まりはしっかりしている。まったく世知辛い世の中だ。

 

そんで朝になって自分の実家(ややこしい)に帰って、世界一好きな蕎麦屋で蕎麦を食べ、世界一好きな音楽を聞きながら世界一好きな川沿いを散歩して、お土産買いこんで東京へ戻った。

 

これで今年の夏休みはおしまい。

楽しかったな。