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bronson69の日記

いつか読み返して楽しむための文章。

素直

同じ部署の後輩が会社を辞めた。
「やりたいことができたから」という退社理由はとてもまっとうで、心の底から応援したいと思った。

先輩にも後輩にもとても好かれていた女性だったので、何日にもわたって送別会が続いた。
一番仲良しだった同期の社員は六日連続で送別会に出たそうだ。

退社の前日、僕らの職場の送別会があった。
ひとりひとり送別の言葉を送り、涙なんかもあったりして、おおむね良い送別会だった。

送別会がお開きになる直前、ラストオーダーから残ったグラスが空になるまでの間、退職する後輩から声をかけられた。

いろいろとありがとうございました、送別会たくさんやっていただいたんですけど、きょうは特に、ぐっとくる送別会でした。
そうか、それはよかったけどほんと、いなくなるとさみしくなるね。
また泣いちゃうからやめてください、それより、ひとつ質問していいですか。
何?
きょうもそうだし、いろんなところで言われたんですけど、私って、素直なんでしょうか?自分では、そうは思ってないんですけど…

素直。
確かに、きょうも何人かがそんなことを言っていた。
「その素直さを失わずにがんばって」
「素直な姿勢がひとを引き付けるんだと思います」
そんな言葉が送られていた。

後輩は、明るくて人望があった。
けれど、けして聞き分けのよいタイプではなかった。
むしろ、自分が正しいと思ったらテコでも動かないタイプだった。
(同時に大変賢いひとだったので、彼女が正しいと思うことは、往々にして正しいのだった。)
相手が上司だろうと先輩だろうと関係なく、自分の意見をまっすぐ主張し、そうなった彼女を説得するのは骨の折れる仕事だった。

そうだなあ、「言われた通りにする」のが素直なのだとしたら、君は素直とは違うね。
僕は言った。
だけど君には、素直というか、まっすぐな雰囲気があるよ。
語弊があるかもしれないけれど、育ちがよい、というのかなあ。
お金持ちとかってことではなくてね、ご両親に愛されて育ったみたいなさ、正しい自信を持っている人だと思うし、人格に歪みがないな、とも思う。
それって結構すごいことだし、努力しても後天的に得られるものではないんだよ。
そういうまっすぐさみたいなものを評して、みんなは「素直」って言うんじゃないのかな。

後輩は、親指で顎を触りながら、僕の話を聞いていた。
照れますね、なんか。
嬉しいけど、照れます。
面と向かってこんな褒められるの、久しぶりです。
あ、これ、褒められてるのでいいんですよね?
後輩は言った。
もちろん、褒めてるんだよ。
恥ずかしいでしょ、僕も恥ずかしい。
ついでに、いいことを教えるよ。
送別会とか結婚式とかさ、ここぞのときに真面目な話をするときはさ。
自分でも恥ずかしくなるくらい、ほんとうのことをいうのがいいよ。
自分の心の中にある、その人について思ってることの中から、いちばん照れくさくて恥ずかしいものを拾って、そのまんま伝えるといい。
恥ずかしがらずに、目を見てね。

僕はそこまで話して、グラスに半分残ったビールを一息に飲んだ。
そろそろお店をでなくちゃいけない時間だった。

次の会社でも、がんばってね。
立ち上がりながら声をかけた。
はい、あの、たくさん送別会やっていただいて、いろんなこと言われたんですけど、いま言われたことがいちばん嬉しかったです。
ほんとに。

後輩は僕の目をみてそう言ってくれた。
嬉しかった。
やっぱり素直な後輩だな、と思った。