ひとりはこわい
昨日は結局、2時くらいまで飲んでいた。
僕はここのとこ食べ物を受け付けなくて、この日もやっぱりあまり食べられなかった。
でも久々のお酒はやけに美味しく感じて、食べずに酒ばかり飲み、したたかに酔った。
飲んでる間中、僕はなんだか妙に強気で、これから自分がどんないい部屋に住むか、どんなにカッコよくなるか、彼女がどれだけ後悔するか、そんなことを冗談めかして話して、彼女はそれを聞いて笑ったり突っ込んだり。
彼女の笑いの半分は会話を楽しんでのもので、もう半分は肩の荷が下りた安心感からくるもののように見えた。
家に帰り、いつものようにひとつの布団に並んで寝た。
夢を見た。いくつもいくつも夢を見た。
二十年前に好きだったアニメの声優が働くソープランドに呼び込まれる夢。
見たこともない知らないカップルが腰に下げたしめ縄で巨悪と戦い生き残る夢。
夢を見ては目が覚め、眠っては夢をみて、また起きた。
朝方、最後に見た夢はこんなものだった。
部屋にいる。
昨日、飲みながら検索していた、一人暮らし用の家だ。
新宿御苑の駅から歩いて10分、三十㎡の1DK。
築浅で、シンブルだけど高級感のある、デザイナーズ物件。
別れるなら、俺、良くなりたい。
きれいでスッキリした部屋に住みたい。
休日に一日ダラダラ寝て過ごすんじゃなくて、早起きして散歩してコーヒーを挽いて飲むような、きちんと暮らすための部屋がいい。
そう言って探した部屋だ。
夢の中のその日は恐らく休日で、時間はまだまだ太陽が起き抜けのころ。
南向きの窓から優しい光が部屋に差し込む。
僕はひとり、壁に背を当て、ベッドの上で座り込んでる。
いまよりかなりやせ、いまよりかっこよくなり、いまよりすこし老け込んでいる。
動かずにじーっとしている。
夢を見ている僕は気づく。
この世界には誰もいない。
この部屋の外には、人間は誰もいない。
僕はひとりでこの部屋にいる。
ただ、何もせず、いつまでも部屋にいる。
永遠の、空っぽの時間が流れる部屋に。
目が覚めた。
動悸がし、肩がこわばり、僕はパニックになっていた。
怖かった。
生まれてこの方見た夢の中で一番怖かった。
夢ではなかった。
あれは、ただの、僕の未来だった。
死にながら生きている未来。
僕は寝ている彼女の背中に向かって、助けて、と言った。
どうしたの。
夜中だったけど、彼女は眠っていなかった。
怖い夢を見たんだ、引っ越した部屋の中でひとりきりになる夢。
どこまでもどこまでもひとりになる夢。
怖くて怖くてこんなになるなら死んだ方がマシだと思うような夢。
僕は怖い、ひとりになるのが怖い、本当に本当に生きていけないくらい怖いよ。
助けてほしい。助けられるのはあなただけだよ。
人助けだと思って、僕と一緒にいてほしい。
震えながら、そんなようなことを話した。
ごめんね、私にはなにもしてあげられない。
だいじょうぶだよ。
怖がらなくてもだいじょうぶ。
あなたはおもしろいし、やせたらかっこよくなるし、きっとすぐに素敵な人が見つかるよ。
背中を向けたまま彼女は言った。
駄目だよ。
そのうち彼女はできるかもしれない。
でも、違うんだ。
何もかも通じ合えると思えたのは、いままで生きていてきみだけなんだよ。
他の人では、最初の情熱が終わったら、あとは駄目になってしまう。
お願いだよ、なんでもする、ペットでも奴隷でもいい、お願いだからボクと一緒にいて。
懇願する僕はみじめで、論理のかけらもなくて、ぐしゃぐしゃで、くずれくずれてどうしょうもない。
「別れ際はスマートに、こちらから追いかけてはいけません。しばらく連絡をたったころ、相手が寂しくなるのを待ちましょう。」
恋愛工学的にはこれが正解、僕の行動も発言もぜんぶ間違い、残念でした。
でもこれしかできなかった。
怖くて怖くてパニックの僕には、ああやってわめくしかできなかった。
もうやめよう。
もう決めたんだよ。
悲しませて本当に申し訳ないけれど、わたしも胃が痛いんだよ、本当に。
私だって強くないし、そんなふうに言われ続けるのも、もう辛いよ。
大人なんだからさ、ひとりだってきちんとしなきゃだめだよ。
彼女は正しい。
そして恋愛工学も正しい。
正しくないのは僕だけ。
大人なのにひとりがこわい、僕だけ。
昔にもらった鎮静剤と昼の明るい太陽のおかげで、これを書いてる僕はまあまあ落ち着いている。
正しいことをしなくちゃな、と思っている。
正しさってすごいよね。
なんてったって正しいんだから。
僕も正しくならなくちゃいけない。
なれるかな。なれるかな。
なれなかったら、どうなるのかな。
開いた窓から外を見る。
5階の窓からは11月の青くて高い空が見える。
真下を見れば、いつもと同じ黒くて硬いアスファルト。
僕はそれを交互に見ている。
どっちだって変わらない。
どっちだってたいして変わりゃしないのかな。
そんな風に思ってる。
思ってるんだと、思ってる。