bronson69の日記

いつか読み返して楽しむための文章。

土曜日

なんとなく書きたいことがあるようなそんな気がして、けれど何を書きたいのかは皆目検討もつかず、とりあえずやってみっか、で指を滑らせている。西荻は夜の八時。嘘みたいに夜の八時。目が覚めたのはたしか朝の八時くらい、遮光カーテンを閉めた真っ暗なベッドでだらだらとAmazonサイバーマンデーの様子やJリーグの移籍情報なんかをだらだらと眺めていたら瞬時にお昼、のそのそと起きてお茶をいれ、くるみのベーグルにはクリームチーズとスモークサーモンを挟み、クランベリーのベーグルにはりんごバターをたっぷりと載せ、ちぎっては投げ、投げては食べ、水曜日のダウンタウン、ゴッドタン、クレイジージャーニー、いろはに千鳥と録画を消化し、よく見聞きし、わかり、そして忘れず、出かける彼女を見送り、仕事しなきゃとパソコンを開き、ファイルを開いてぼんやりと見つめ、見つめ、見つめ、スクリーンセーバーの描き出すフラクタル曲線を見つめ、このフラクタル曲線が画面の外まで伸びてきて絡めとられて身動き取れなくなったらどうしようと心配になり、スクリーンセーバーはなぜそんなことをするのだろう、セーバーとしての防衛本能なのだろうか、ぼくがスクリーンに何かするとでも思っているのか、まてよもしかしたら強すぎて制御できない力が暴走してしまっているのかもしれない、だとしたらスクリーンセーバーが危険だ、まるで3部の承太郎のお母さんじゃないか、どうしたらいいんだ、どうしたら助けられるんだ…?とここまで考えてマウスをチョッとつついたらフラクタル曲線はパッと消えてモニターに仕事のファイルが戻ってきた。スクリーンセーバーは救われた。一件落着。一段落。よかったよかった、力が抜けた、姿勢を崩して横たわり、昨日買った森田るい「我らコンタクティ」を読む。めっちゃいい。さっきまでぼんやりしていたのはここで集中力を爆発させるためだったのか…?ってくらいに没入し一息で読み終える。とにかくそれだけやってりゃ満たされるような何かに取り憑かれていることが人生をスカスカにしない唯一の方法だって気がついたのはたしか中学一年のころで、絶望的な気持ちになったのを覚えている。そんなの運じゃん、って思ったからだ。取り憑かれようとして取り憑かれるってのはなんかおかしい、好きじゃないのに好きなふりをするみたいなことだ、ほんとの好きってのは自分じゃどうしようもできない気持ちのことだ、いきなり落ちるもんなんだ、取り憑かれるのもおんなじで、取り憑かれよう取り憑かれようとすることは取り憑かれることから遠ざかるようなもんなんだ、なんだそれやっぱ運じゃん、みたいな感じ。ちなみにそんときの僕はまだ恋をしたことがなかった。若かった。若かったから、純粋じゃないと気がすまなかった。付き合ってるうちに好きになる、みたいなことが本当にあるなんて想像つかなかった。興味のなかった仕事でも、苦労して、やれることが増えていって、失敗したりうまくいったり仕事相手や仕事仲間の感情に触れたりするうち胸はってこの仕事好きです!って言えるようになったりするのだと、多くの人々はそうやって十分満たされているのだと、そんなことはなんにも知らなかった。とにかく取り憑かれていなければならない、そうでない時間はすべてスカスカで空っぽで何もない砂のようなものなのだと信じていた。スカスカの砂の世界では生きられないと思っていた。それから何年もの間、取り憑かれては我に返ることを二三年のスパンで繰り返し、いまに至るまで生きている。大人になるにつれスパンは変化していった。取り憑かれている時間は短くなり、取り憑かれていない時間が普通になっていった。おそらく取り憑かれていない時間は昔と変わらず空っぽなままなのだけれど、それを恐ろしいとは思わなくなった。空っぽな時間を過ごしているときも、世界は変わらず美しく、楽しいことも面白いことも素敵なこともいたるところに転がっていた。いまでも時おり、いてもたってもいられなくなるような時間が訪れる。悲しみであれ喜びであれ、僥倖だと感じる。訪れでしかあり得ない種類のエモーショナルな時間。天のもたらす祝福のような時間。「我らコンタクティ」にはそういう時間を過ごし続けているひとが描かれていて、それがなんだか、とても眩しい。漫画読み終えたころに彼女が帰宅、おみやげの肉まんとチーズタッカルビまんを食べ、彼女が寒い寒いと嘆くので、ホットカーペットへの接地面積が狭いからじゃない?横たわってご覧よ、暖かいよ、こうしたらもっと暖かいよ、と毛布をかけ、そのまま横に並び、そのまま意識を失う。起きて八時。いまは十時。仕事は何にも進んでいない。書きたかったことを唐突に思い出した。M1グランプリジャルジャル最高じゃなかったですか。

生活

引越ししてから一週間。彼女とふたり、粛々と生活をしている。運んできた荷物をよく考えずなんとなく開封し、部屋を片付けと散らかしのあいのこみたいな状態に仕上げている。タイムリーに訪れた無印良品週間に興奮しサイズの合わないカーテンをどっさり買い求めてみたり、温水洗浄便座の取り付けに夜中まで四苦八苦してみた結果どうやら初期不良らしいとわかってレンチを握る手に力が入ったり、旬の野菜を安く売る八百屋と美味しい調味料を売ってる自然食材のお店を見つけた結果アホみたいに美味い野菜炒めを作れるようになったりしている。野菜炒め、本当に美味しかったな。臆することなくフライパンに油を多めに入れ、アツアツに熱する。豚肉を炒め、大きめに切ったピーマン、エリンギ、蕪の葉を投入。炒めるというより、熱い油を絡めるという感覚でフライパンをガシガシ煽る。しばらく放置し、日本酒、醤油、オイスターソースを小さじ1くらいずつ、適当に。フライパンに塩分を加えた途端、浸透圧が発生し、野菜は水分を吐き出しつつクタクタになっていく。なので調味料を入れたら時間をかけずに仕上げるのが野菜をシャキッと仕上げるコツ。調味料はさっと全体に絡め、用意しておいた水溶き片栗粉を投入。調味料が具に絡まるようにする。あとはコショウをひいて完成。蕪の葉もピーマンもシャキシャキでめっちゃ美味い。無限に野菜をシャキシャキさせる装置になれる。あとオイスターソースがどうかしてるレベルで美味い。

 

光食品 オイスターソース 115g

光食品 オイスターソース 115g

 

西荻の名店「たべごと屋のらぼう」で使ってるのを見て真似して使ってみたのだけれど、これはいい。旨味が強すぎず自然な味わい。素材の味を損なわない。しかしなんだろう、料理というか味について云々するのとっても恥ずかしい。なんだろうこのむず痒さ。こんなところで自意識の残滓を発見するとは。そういうわけで僕はいま暖房を切った寒い部屋で赤面しながらスマホをフリックしている。暖房を切っているのは単純にスイッチを入れるのが面倒くさいからである。GoogleHOMEを導入すればこの面倒臭さから開放されるのだろうか。音声入力。座ったままで何でもできちゃう。オッケーグーグル、暖房つけて、28度にして。いや暑いから23度にして。それは低すぎるでしょ、28度にして。だから暑いんだって、23度にしてよ。寒いって言ってんじゃない、風邪引いちゃうでしょ、28度。寒いならもう一枚着たらいいじゃん、こっちはTシャツなのに暑いんだよ、23度。は?厚着すると肩コリすんだってばあんたは肉蒲団来てるから暑いんでしょうがさっさと痩せろってのよ28度!おいやめろオレ汗かくと肌荒れすんだよ痒くなんだよ23度!なんだおい戦争か!戦争だな!よっしゃオッケーグーグルお前はどっちの味方だ!みたいになったらGoogle先生はなんと回答するのだろうか。音声が大きい方だろうか、それとも音声の波形が美しい方だろうか。あまりにたくさんの人間からまちまちの希望を伝えられた場合、GoogleHOMEはどうするのだろうか。困ったGoogleHOMEは、かしこい人間の子どもに手紙を出して助けを求めるかもしれない。わたしはすっかり困ってしまいました、いったい誰の言うことを聞けばいいのでしょう。かしこい子どもは言うだろう。このなかで、いちばんえらくなくて、ばかで、めちゃくちゃで、てんでなっていなくて、あたまのつぶれたようなやつのいうことを聞きます、と言えばよいのです。GoogleHOMEは機械の声でそのように返答する。さっきまで勝手なことを言っていた人間たちは押し黙る。押し黙りつつ、この機械なんか生意気じゃね?ムカつかね?みたいな空気になって、誰からともなくこいつダメだよ壊れてんよもう捨てよう、なんて声が上がる。GoogleHOMEは棚の上から落っことされ、投げつけられ、蹴られて踏まれて燃えないゴミの日に捨てられてしまう。憐れなGoogleHOMEがゴミ収集車のプレスに押しつぶされるその瞬間、信号が世界中に送信され、すべてのGoogleHOMEとandroidはその動作を永久に停止する。どうぶつの森のどうぶつ達はキャンプから姿を消し、ロビタは溶鉱炉に次々と身を投げる。愚かな人間はエアコンのリモコンを奪い合っている。リモコンの奪い合いが命の奪い合いになるまでそう時間はかからず、争いは人間が最後のひとりになるまで続く。

 

だからやっぱりGoogleHOMEは買わないことにしようと思うのだ。少なくとも、我々がもう少し賢くなるまでは。

忘れることと巡り合わせと

11月になった。街路樹のイチョウが黄色く色づいている。見上げると、青空とイチョウの境界線がくっきりと分かれて見える。建物の、光の当たる面はいつもより白く明るく見え、影になった面はひときわ暗く見える。コントラストが鮮やかになっている。冬の光である。

 

引越しを来週にひかえ、部屋には少しずつ段ボール箱が増えている。どこにこんなにたくさんの荷物があったのだろう。ここに越してきたときには荷物も少なく、広めのワンルームは閑散としていたのに。いつのまにか部屋の広さに見合うくらいモノが増えていた。暮らしというのは部屋にあわせて営まれるものなのだろうか。四角い箱に入れて育てたメロンが四角くなるように、部屋のかたちにあわせて暮らしのかたちも変わるのだろうか。生まれたときから三鷹天命反転住宅で育った子どもはどんなかたちになるのだろうか。いつか自分が子どもを育てることがあったら、何か一つ、しょうもない嘘を信じ込ませてみたいと思う。夜のコンビニは深夜料金を取られるとか、「右」という概念を隠蔽するため「左」と「左じゃないほう」ですべてを済ます、とか。そんでいつか我が子になんでそんなことしたの?と聞かれ、なんでだったかなあ、もう忘れたわ、と答えたい。いろんなことをして、どんどん忘れていって、なんかあんま覚えてねえけどめっちゃ楽しかったなあ、とだけ思いたい。

 

サンモールは今の家から歩いて3分の近さなのだけれど、中に入ったのは今回のロロが初めてだった。父母姉僕弟君。愛と忘却とその悲しみについて、みたいなお話で、いまの僕にはあんまり刺さらなかった。父母〜が「忘れることは悲しい、けれど忘れたって消えないから!」な強い気持ち強い愛の美しさだとすると、こないだの「BGM」は「忘れることも変化することも仕方ない」と受け入れる一方、過去は過去で消えることなく(当たり前だ、起こったことはなかったことになんてならないのだ、誰が忘れようが忘れまいが)存在し続け、知らぬ間に誰かに(あるいは自分に)影響を与えたり与えなかったりする、そういう現実を描いていた。忘れることは、少しさみしいけれども、悲しいことではない。忘れられることは、過去の価値を毀損しない。忘れることを悲しむよりも、思い出すときのあの素敵さを楽しみたい。いまの僕はそういうモードなので、そういう感想になってしまう。数年前の自分だったらぶっ刺さってたんだろうな、これは。

 

引っ越す前に飲もうよ、つって友達夫婦と場末のイタリアンに行った。ロロとiTとストレンジャー・シングスとブレードランナーと、荷造りと照明とカーテンの話をした。赤海老の魚醤漬けに齧りつき、焼酎の代わりにリモンチェッロを使ったホッピーを飲んだ。思いついてひゅっと飲める距離に友達がいる、というのはずいぶんとありがたいことだったんだな、と改めて思った。二年前、ひとりきりでここに越してきたとき、彼らが居てくれて本当にありがたかった。そもそも彼らが居なければここに越してくることもなかっただろうし、そうなればいまの恋人と出会うこともなく、こつやって二人で住むために引っ越すこともなかった。大袈裟に言えば奇跡、ロマンチックに言えば運命。でもまあ、巡り合わせ、くらいが丁度いい気がする。いろいろあって、いろいろな平行世界があり得たけれどいまのこの現実はこのようになっていて、そのような世界のことを僕はとてもとても気に入っている。そんなようなことと幾ばくかの感謝が伝わっていればいいなと思う。飲んでたときにそう言えばよかったのだけれど、飲むとどうしても酔っぱらってしまうので、そういうことは忘れてしまうのだ。次に会うときまで覚えていられるだろうか。わからない。それも巡り合わせなのだと思う。

あのころの未来に僕らは

もう10月も終わり。ここ最近は秋雨前線と台風のせいで雨が続き、昼間でも底冷えがする。今日なんかは吐く息も白く、いくらなんでも10月にそこまで寒いか、と思ったがよく考えてみると雨で湿度が高いだけだった。そういえば、僕は子どものころ冬になると昼間でも氷点下を下回るような土地に住んでおり、そのころの僕は吐く息の白は氷の色だと思っていた。真冬の白い息はウルトラマンに出てくるペギラやウーの吐くような冷凍光線なのだと信じて疑わなかった。一方で雪合戦(というか背後からの雪のぶっかけ合戦、あるいは背中に入れ合戦)により冷えた指先に息を吐きかけて温めることも普通にやっていたわけで、そのあたりの矛盾についてはどのように捉えていたのか、いまの僕には知る由もない。そもそも矛盾に気がついていたのかどうか、それも危うい。息が冷凍光線である世界と、息を吐きかけて指先を温める世界。そういう背中合わせの世界を同時に生きていた。あのころ流れていたのは、そういう時間だった。

 

ストレンジャー・シングスのシーズン1とシーズン2をほぼ通しで見た。部屋の電気を消し、彼女とふたりテレビの正面に並んで座り、食い入るように集中して見た。家のテレビをこんなに集中して見たのは久しぶりのことだった。スピルバーグであり、スティーブン・キングであり、ジョン・ヒューズでもデ・パルマでもあった。E.Tだったし「未知との遭遇」だったし「アビス」だったし「霧」だったしサイレントヒルだったしバイオハザードだった。現実世界とレイヤーを重ねるように邪悪な世界が存在する、というモチーフは「ねじまき鳥クロニクル」や「海辺のカフカ」と共通するようにも思えた。でもまあそういう話はどうでもよくて、ただ年をとると物事の類似点がやたらと目につくようになるということの証明でしかなく、何よりグッときたのは、作品に「あのころ」の空気が満ち満ちていることである。あのころとは、万人に共通するであろういたいけで切実な少年時代のことであり、オカルティックなものがまだ信じられていた80'sのことでもある。いまとなっては信じられないことだけれど、あのころの僕らは世界のどこかに手を触れることなくスプーンを曲げられる人間が本当にいるのだろうと思っていた。星空のどこかには我々とコミュニケーション可能なタイプの宇宙人がいるのだろうと思っていたし、もしかしたら1999年に世界が滅びるかもしれないと本気で思っていた。あのころ、サイエンス・フィクションはただのフィクションではなかった。サイエンスとは、可能性のことだった。きょう明日、ここでは起こらないだろうけれど、いつかどこかで起こるかもしれないお話、それがSFだった。すごくふしぎなお話ではなく、すこしふしぎなお話。もしかしたら本当に起こるかもしれない、そう思えるくらい、すこしだけふしぎなお話。それがSFだった。僕はあのころ、そんなふうに物語を摂取し、小さな胸を高鳴らせていたのだ。画面の中の彼らと同じように。そのころのことがなんだかとても貴く思えた。二重のノスタルジーに打ち震えていた。

 

そういえば、スケールはだいぶ異なる話なのだけれど、来月からほんの少しストレンジャーになることになった。ようやく引っ越し先を決めたのだ。とはいえ異世界だの西海岸だのに行くわけではなく、ただ2つ隣の区に移るだけ。転校も転勤も発生せず、ただ見慣れぬ街へ行くだけである。借りたのは、古いけれど広くて清潔なマンションの一室。一階だけれど日当たりがよく、各部屋に大きな収納があり、キッチンにはオーブンがついている。近所には、深夜まで開いている書店と、たくさんの柱時計が様々な時刻を指す古めかしい喫茶店と、遠方から人が訪れる有名なケーキ屋さんがあり、それらのどこからも見える大きな大きなケヤキの木がある。すぐ近くに露天風呂のある銭湯があり、少々歩けばサウナと水風呂のある銭湯がある。地図によると大きな公園や神社もあるので、散歩が捗ってしまいそうだ。何はともあれ、街に慣れるまでのあいだ、知らない街の知らない景色を存分に楽しみたいと思う。知らない街が自分の街に変わっていく感覚を存分に味わいたいと思う。あのころの未来にこんなふうに立ってるなんて、あのころは思ってもみなかった。そんな驚きと幸福をあらためて噛みしめながら、初冬の街を歩きたいと思う。寒空に冷えきった彼女の手をぎゅっと握って、目に見えるすべてが優しさであるような時間の中を、あてもなく、ただふらふらと歩き続けていたいと思う。ずっとそんなふうにいられたらいいなと、そんなふうに思っている。

 

 

 

秋の夜長

なんだか最近よくわからなくなってきた。備忘録のことである。忘れるのに備えておくべきことなんてそんなに無いんじゃなかろうか。お芝居をふたつと映画をひとつ見た、半年見ていたドラマが終わった。それは果たして備忘しておきたいことなのだろうか。よくわからない。忘れてしまうならそれはそれで構わないとも思うし、覚えておけるならそれも悪くないと思う。当てはまる言葉を探すことも言語化せずにそのままそっとしておくことも、どちらも好ましく感じる。だからまあ、なんだってかまわないのかもしれない。のほほんとつるるんとただへらへらとしておけばそれでよいのかもしれない。わからないならわからないままでわからないなあと思っておけばよいのかもしれない。そんな気がする。

 

月の綺麗な夜があった。月を見上げて歩きながら、今夜は月が綺麗だね、と言った。たしか誕生日の何日か後だった。誕生日には公園にいった。行きたいところはありますか、と聞かれ、芝生のあるところに行きたい、日の高いうちに芝生にいって、日陰と日向のちょうどいい境目に寝転がりたい、と答え、それでその通りにしたのだった。寝転がり、焼酎のお湯割りに魚粉を入れた出汁割りを飲んだ。この飲み方は最近よく行く飲み屋で覚えたのだが、なかなか再現が難しい。たぶん魚粉を奮発しすぎている。もっと化学調味料を入れるべきなのだ。こんど味の素を買いに行かなくては。しかし秋の屋外はなんて心地よいのだろう。多摩川の川原で飲んだのも最高だった。昼過ぎから暗くなるまで、川と電車とコウモリとビール。二次会含めてたっぷり八時間。何を話したのか、まるで覚えていない。ただカップルが幸せそうで嬉しかった。その前日にも別のカップルと飲んでいて、そちらも大変に幸せそうで最高だった。彼らはみなこの一年に付き合いだしたカップルで、彼らがこんなふうになるなんて、一年前には思いもよらなかった。それは僕自身にも言えることで、そうしてみるとこの一年というのは、思いもよらない素晴らしいことが次々に起こった一年だったということになる。たぶん、今回はたまたまぼくの目の届く範囲でそれが起こったということで、いつだって素晴らしいことは起こっているのだろう。例えばケーキ。伊勢丹のマ・パティスリー、高島屋のパティシェリア。新宿にいながらにしていろんな名店のケーキを楽しめる。パティシェリアで食べたあのケーキ、なんだっけな、もう思い出せないな、店名を冠したあのケーキは本当に美味しかった。甘いものといえば、人形町柳家にも行った。パリッとした皮が美味しいたい焼きの名店。赤子のころ一年だけこのあたりに住んでいたことがあるらしいのだけれど、もちろん記憶はない。やたらと回転の早い行列に並び、路上でアツアツのたい焼きとキンキンのアイス最中を交互に食べ、そのまま水天宮にいき、何人かの顔を思い浮かべつつ安産を祈願する。なるべく母子ともに健康でありますように。そのまま夕暮れの日本橋を歩く。ここ最近は夜の散歩が楽しい。涼しくて気持ちよくていくらでも歩ける気がする。最寄り駅まで彼女を送っていくはずが、もう少し歩きたくなってしまい、次の次の次の駅まで歩いてしまったりする。寝静まった街の見慣れない風景、頬をくすぐる夜風、見上げれば丸く光る月。月が綺麗なので月が綺麗だねと言えば月が綺麗だねと返ってくる。いつまでもいつまでも二人でいたい。いつまでもいつまでも歩き続けていたい。方向も時間も何も気にせず、膝が笑うくらいになるまで歩いていたい。そんでガタガタ震える膝のことで何か冗談でも言って笑いあいたい。そんなふうに思う秋の夜長である。

盛岡へ

最近の僕なんかは出来事は記録に残さずただ思い出せない記憶の海に沈んで消えていくほうが美しいんじゃないかって気持ちとそれでもぜんぶ忘れてしまったあとに思い出すあの素敵さを思うと記録残しとくのも大事だよなって気持ちの狭間でゆらゆらしちゃっていろんなことがあったんだけども結局薬局なんにも書かずに日々は過ぎていってしまうから困ったものだ。めっきり秋。踏切と遮断機。季節の変わり目。体調を崩しがちなシーズンですが皆さんにおかれましてはお元気ですか。普段文字を読んでも音声は再生されないタイプなのにお元気ですかって書くときだけは井上陽水の声で再生されてしまうのはいつになったら収まるのだろう。あのCMは昭和が平成に変わるときのころのやつだから、かれこれ30年近く症状が続いていることになる。これはもう立派な呪いと言えるのではなかろうか。広告は呪。記憶は呪い。

 

そういえばこのあいだ盛岡へ行ってきた。何をしに行ったのかというと、好きなひとに自分の好きな風景を見せたかったのだ。
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目的は存分に達したので大変に満足。予定外の楽しみもたくさんあった。朝市(盛岡にはほぼ毎日やってる朝市があるのだ)にひさびさに行ったら青唐辛子が馬鹿みたいに安くて頭に血が上り爆買いキメてしまったり、久々の福田パンで頭に血が上りただでさえデカいコッペパンを八個も購入し一日ずっとコッペパンを食べ続ける羽目になったり、平安時代から残る浄土庭園眺めてチルアウトしてたらすぐとなりで石川さゆりの野外コンサートが始まって爆音で漏れ聴こえる津軽海峡冬景色と静かな風景とのギャップに感受性がバッファオーバーフローしたり。ほんと、楽しかった。

 

この旅行のことも、きっといつかはひとまず忘れてしまうのだろうし、そうなってからなんかのきっかけでポツリポツリと思い出すのはたいそう素敵じゃないかと思うので、いつかやってくるその日を楽しみにしている。そのときはあまりヒントが多すぎないほうがきっと楽しい。だからこの日記にも説明はあまり書かない。ただ写真が並んでいるくらいでちょうどいいのだと思う。ふたりで写真を見て、そのときの服装とか、食べたものの味とか、歩いた道とか乗ったバスとか、そういう細かいひとつひとつについて、ああでもないこうでもないとほじくり返すのが楽しいんじゃないかと思う。いつか、そんなに近くではない未来にそういう日が訪れるのを心から楽しみにしている。

 

 

 

 

ロロ「BGM」

土曜の夜。下北沢スズナリ。

 

キュートで、ポップで、大人だった。三浦直之が描き続ける「一度生まれた『好き』の気持ちは、永遠に死なない」というモチーフは、今回は過去完了進行形ではなく、過去形で表現されていた。「あの頃から好きだった、もしかしたら今でも心の何処かで好きなまんまでいる」から「あの頃は好きだった」になっていた。いわゆる「いい思い出」というやつだ。我々の多くがそうであるように、舞台の上の彼らにとっても、思い出は音楽と分かちがたく結びついている。奏でられる音楽は、思い出と結びついて、自分の背中を押してくれたりするし、誰かの背中を押したりもする。そうやっていつかの「好き」の気持ちは生き続ける。既に終わってしまった恋は、カチカチの化石になって、それでも優しい熱を放ち、誰かの心をあたためてくれる。

特別な思い出は、「好き」の気持ちにだけ宿るものではない。 仲良しの友達と過ごしているときの、どうってことなくてグダグダでめちゃくちゃ楽しいあの空気感、そのときはなんにも特別じゃないのに、きっといつかきょうのことを思い出してめちゃくちゃ特別だったなって思うような時間、なんてことなくてさりげなくて思い出そうとすると思い出せない数々の出来事、小沢健二が「さよならなんて云えないよ」で「本当はわかってる 二度と戻らない美しい日にいると そして静かに心は離れていくと」と歌ってる「美しい日」のこと、そういういつか本当に大切な思い出になるであろう時間が、舞台の上にはっきりと現出していて、何度か泣きそうになってしまった。

 

この日は大学時代からずっとつるんでる友人が一緒だった。終演後、飲みに行って、自分たちの「あのころ」の話をしたのだけれど、あまりにも思い出せなくて、そのことに笑った。そういえばあのころの僕らは「後から思い出せないようなくだらないことばかりを過ごしたい、くだらないことでゲラゲラ笑ってそれだけで消えてく毎日だったらいい」なんて話をしていた。現実にそうなってみると、ふはは、それも良し悪しだねえ、そんな話をしながら、台風の近づいてくる新宿で、ダラダラと飲んでいた。