bronson69の日記

いつか読み返して楽しむための文章。

チキンカレー

ダメな週末を楽しく過ごした。
財布が軽くなり、内臓が重たくなった。
治りかけた風邪がぶり返した。

いろんな人と会って、いろんなお話をさせてもらった。
なんというか、みんな立派だなあ、すごいなあ、と素直に思った。
引け目、というのとはまた少し違うように思うのだけれど、どうしてみんなこんなに立派なんだろう、きちんとしているんだろう、良くなろうという気持ちが強いんだろう、どうして自分はそうじゃないんだろう、そういうことを久しぶりに考えた。

昔からずっと、楽しく過ごせればそれでいい、と思ってた。
今でもそう思ってる。
楽しければ、心地よければ、面白ければそれでよくて、自分自身が良くなったり、成長したりすることには興味もモチベーションもまるで持てない。
それは若いころからずーっと変わらない。

就職して社会人になったとき、同期のみんなが「成長したい」って口々に言うのがよくわからなかった。
みんな、なんとなくそういう空気になってるから、合わせて言ってるだけだろうと思ってた。
でもそれはどうやら違って、みんな本当に成長したいと思っていて、そのためにどういう試練を自分に課すか、どういう勉強をするか、どういう人生を歩むか、それを真剣に考えているようだった。
同期と「将来どんなふうになりたいか」の話をしたことがある。
みんな、しっかりした、具体的な目標を持っていた。
憧れのあの人みたいになりたい、こういう仕事をしたい、有名になりたい、独立したい。
僕は答えられなかった。
ただなんとなく、冗談ばかり言って過ごして、好きな本とか好きな映画を見ていられればそれでいいと思ってた。
正直にそう言ったら、まあそれもありなんじゃない、たぶん働いていくうちにやりたいことも見つかるよ、みたいなことを言われた。
それからもう随分になるけれど、相変わらずやりたいことは見つかっていない。
たまに面白い仕事もあるけれど、基本的には、ただ求められる仕事をしているだけだ。

朝方の酒場で、人生をケ・セ・ラ・セラで進んでいいのか、みたいな話があった。
僕はもう飲み過ぎてぐったりしていたので、人が話しているのを意識の遠くで聞いていた。
僕はケ・セ・ラ・セラ以外の生き方をしたことがない。
なるようになる以外の生き方があり得るのだとも思えない。
人生は切り開くものではなく降ってくるものだと思ってる。
運命論、決定論、そういう立場に近いのかもしれない。
とはいえただ流されているわけではない、欲しいものは欲しいと言うし、やりたいことはやろうとする。
けれど手に入るかどうか、やれるかどうかはわからない。
上手くいくことも、上手くいかないこともある。
どちらに転ぶかはわからないし、どちらに転んでもそれほど変わりはないと思ってる。
幸福か不幸かよりも、濃密か希薄かのほうが大切だ。
自分の声に従っていれば、不幸だとしても、濃密でいられる。
経験上、わかっていることはそれだけだ。

この先、流され続けて、どんなところにたどり着くんだろう。
不安になることもある。
でもまあ、それほどひどいことにはならないだろうと思ってる。
冗談を言える限りは大丈夫。
誰も笑わなくても、自分が面白いと思えていれば、たぶん大丈夫。

酔いが覚めて、なんとなくチキンカレーが食べたくなった。
適当に料理して、いまは煮込んでいるところ。
スパイシーなのが食べたくて、いつもより鷹の爪をたくさん入れた。
部屋がカレーのいい匂いに包まれている。
お腹空いたな。
早く食べたいな。