bronson69の日記

いつか読み返して楽しむための文章。

靴の話

秋の訪れとともに誕生日がやってきた。誕生日なんてもう何十回と繰り返してきたわけだけど、今年はなんだかいつもよりたくさん歳をとったような気がする。急に冷え込んできたせいだろうか。枯れ澄んだ秋の空気のせいで急に老け込んだような気分にさせられているのだろうか。それとも人に教えるタイプの仕事が増えたからだろうか。ダイエットのため極端に食事を減らしているせいで弱っているのだろうか。これら全部のせいか、それとも全部的外れか。考えても理由はわからない。わからないが、とにかくやけに歳をとったような気がする。

 

誕生日なので物欲を開放し、靴を6足買った。彼女とナイキのアウトレットに行き、誕生日プレゼントにとハイテクスニーカーを3足買ってもらった。それから、これはアウトレットではなく、ゴアテックスのスニーカー(これもナイキだ)を1足買った。数日後、Amazonがセールになっていたので、会社用の革靴を2足買った。靴を箱から出し、鏡の前でほんの少しファッションショーをして、新品の靴をおろすときにだけ許される、家の中を靴のまま歩き回る感触を確かめたあと、玄関に6足の靴を並べた。既存の靴だけでも収納の限界を迎えていた玄関は、瞬く間に靴で溢れ、足の踏み場もない状態になった。イメルダ・マルコスになった気分だ、と彼女に言ったら、イメルダ・マルコスAirの入った靴なんて持ってなかったと思うよ、と言われた。

 

イメルダ・マルコスは、インドネシアのマルコス元大統領の婦人だった女性で、靴をたくさん持っていることで有名だった。イメルダは本当にたくさんの靴を持っていたし、また毎日のように靴が増えていったので、何足の靴を持っているのか、自分でもわからないほどだった。イメルダは靴が好きだった。洋服も帽子もかばんも好きだったけれど、彼女にとって靴は特別だった。ピンヒールもブーツもスニーカーも、マノロラニクもルブタンもドクターマーチンも瞬足も、靴ならば何だって特別だった。色もサイズもジャンルも、そういうことは何も気にせずとにかく靴を買い漁ったので、マルコス家のシューズクロークはあっという間にいっぱいになった。リビングのソファの上や流しの下はもちろんのこと、キングサイズのベッドの上にまで靴は侵食した。マルコス邸は、いまや大きなシューズクロークだった。

 

大統領はイメルダに、なぜそんなに靴が好きなのか、と尋ねた。イメルダは、わからない、と答えた。わからないけれど、落ち着くの。靴に囲まれていると、とても安らいだ気持ちになれる。わたしは本当は、靴を所有したいのではなく、靴になりたいのだと思う。この家をこんなふうにしてしまって、あなたには申し訳ないと思っている。でも、このシューズクロークみたいな家にいるとき、わたしは靴みたいだと思える。だから、わたしは幸せ。ここにいるときがいちばん幸せ。そう言って微笑むイメルダがあまりに美しかったので、マルコス大統領は何も言えなくなってしまった。大統領は、イメルダを深く愛していたのだ。

 

イメルダは、ますます靴にのめりこむようになった。あまりに靴が増えすぎたので、大統領はホテルに泊まる日が多くなった。大統領がたまに自宅に帰るとき、イメルダはたいてい眠っていた。深夜に帰宅するときはもちろん、昼間に帰る場合でも、リビングのソファの上で、靴に囲まれるようにして眠っていた。靴の夢を見ているのだろうな、と大統領は思った。靴になって、人間ではなくひとそろいの靴としてこの家に存在しているイメルダを想像した。それから、この家にある膨大な靴のうち、どれかひとつがイメルダだったとして、自分はイメルダだった靴とそれ以外の靴を見分けられるだろうか?と考えた。わたしのイメルダへの愛はイメルダが靴になったくらいで盆百の靴とイメルダとを見わけられなくなる程度のものなのだろうか?ということと、靴になっても見分けられるほどの愛でなければ愛と呼ぶべきではないのだろうか?ということが、2ついっぺんに頭に浮かんだ。イメルダの寝顔を見ながら、そういうあれこれを考えているうち、大統領は分かってしまった。イメルダはいずれ靴になる。靴になったイメルダはもう自分のことなど認識できなくなるだろう。でも、イメルダはそれをこそ望んでいる。特別な、かつてイメルダだった靴になるのではなく、ありふれた、どこにでもある、特別ではないただの靴になることを望んでいる。

 

大統領は、ほんの少しだけ泣いた後、イメルダが目を覚まさぬうちに家を出た。大統領は、その翌日、政敵の放った刺客に暗殺された。イメルダは、靴に囲まれて眠る暮らしを続け、そのまま天寿を全うした。イメルダは死ぬまでイメルダのままで、靴になることはなかったが、大統領がそれを知ることはなかった。