bronson69の日記

いつか読み返して楽しむための文章。

キングオブコント2019(というか空気階段)

いちばん好きなTVショーが今年も終わった。

 

一言で、めっちゃ楽しかった。今年は審査がいまの5人に委ねられるようになってからベストの大会だったのではないだろうか。(審査員に期待するのをやめたとも言える、けど言わない)

 

あまり長々と書く気分でもないのでサクッと書いてしまうけれど、僕は漫才とは演者の面白さを提示する芸能で、コントとは世界の面白さを掬いあげる芸能なのだと思っている。

「自分を演ずる」が漫才、「世界を描写する」がコント、と言い換えてもいい。

 

もちろんすべてがそうだと言い切るつもりはないし、そもそも全く的外れなことを言っているかもしれないけれど、僕はそんなふうに思っている。

 

漫才師には、自分の面白さに自信を持っている人が多いように見える。彼らの多くは平場に強い。自分のキャラを保ったまま、グイグイと前に出ることができる。対話の中で直接的に笑いをとることができる。

コント師は、面白がっている。周りを見渡し、見過ごしたっていいようなポイントに目を留め、ひとりでゲラゲラ笑っている。まったく無関係の2つのリズムがたまたま同調してしまう瞬間、皆が自分の合理性に従った末に発生する不条理、なぜだか自分でも説明できないけれどどうしようもなく笑えてしまう仕草や間、日常の中でそういう場面を見つけては、心を震わせつつ笑っている。

 

コント師を見ていると、自分へのちょっとした不信と、世界への信頼を感じる。俺はそんなに面白くはないかもしれないけれど、俺の見ているこの世界はとんでもなく面白いぞ。僕にはコント師はそんなふうに思っているように見える。(考えすぎなのかもしれないけれど。)

 

なんでこんな文章を書こうと思ったのかというと、空気階段の水川かたまりの「お笑いのある世界に産まれてよかったです」というコメントを聴いてボロボロ泣いてしまったからだ。翌日のライブでかたまりは「清潔な気持ちになってあのコメントを言った」と発言したらしい。かが屋の加賀曰く、落ちた後も楽屋に留まりモニターを見ながら「面白えなあ、面白い番組だなあ」と繰り返していたらしい。

 

かたまりという、天使性が強くて、生きづらさを抱えていて、どこまでも純粋で潔癖で、それでいて汚れた世界をどうしようもなく理解し愛着を抱いてしまう、そういう人間が放つ「お笑いのある世界に産まれてよかった」は、どこまでも真っ直ぐに僕の胸を撃ち抜いた。ほんと良かったよな。面白いことばかりの世界に産まれて、自分と同じくその面白さにヤられた人間がたくさんいるこの世界に産まれて、ほんとうによかったよな。俺たちの人生はクソみたいだけど、それを上から見たらこんなにも笑えるんだよな。俺たちは世界でいちばん面白い風景の一部であり得るし、世界でいちばん面白い風景は、面白い芸人の数だけいくつもいくつも舞台に広がるんだよな。俺たち、死ななくてよかったな。生きててよかったな。俺らはこんなにも面白い世界の一部だぞ。ほんとによかったな。

 

飲みすぎた。もう知らね。とりあえず空気階段の大踊り場と単独ライブのチケットは確保した。あー楽しみ。楽しみ楽しみ楽しみ。楽しみだー。