bronson69の日記

いつか読み返して楽しむための文章。

鉄クズ

ちょっと経験のないくらいの忙しさが数ヶ月続いている。一日一日を乗り切ってればそのうち馴れるだろうかと思っていたが、どうやらそういうものでもないみたいで、気がついたらなんかもうくっちゃくちゃに丸めた新聞紙みたいになってしまっている。疲れている。やさぐれている。壊れている。手首と肘のあいだとか、股と膝のあいだとか、真っすぐであるべき部分にいくつもいくつも関節ができて、それら全部が曲がったままガチガチに固着している。波をかぶる右半身にはフジツボカメノテがびっしりと張り付き、鍾乳洞の中の左半身には何本も石筍が伸びている。眼には五寸釘が刺さり、耳には鉛が詰められている。ため息をつくためだけに口があり、悪夢を見るためだけに脳がある。過去の殺人が発覚しそうになる夢を見て、痛いくらいの動悸とともに目を覚まし、どこまでが夢でどこまでが現実か区別がつかず真夜中に怯えている。野ざらしの鉄クズみたいにただ錆びていくだけの日々が続いている。

 

ひとりだったらきっとこのまま朽ち果てて、鬼怒川沿いのホテルみたいに廃墟になっていたのだろうけれど、幸いにもいまの僕には優しい彼女がいて、色々と世話を焼いてくれるので、なんとか踏みとどまっている。優しくて聡明な彼女は、自分も疲れているというのに、スクラップの山の中から僕を探しあて、へばりついたフジツボをバリバリと剥がし、石筍をポキポキと折り、関節をゴキゴキと伸ばしてくれる。洗浄し、漂白し、型を整え陰干しし、なんなら少し彩色もほどこして、柔らかな布で包んでくれる。風通しのよい、静かな薄暗い場所でそっと寝かせてくれる。そういう工程を経て数日の後、気がつけば僕は人間性を回復している。連休前までガチガチのギチギチになっていた頭と身体がほどよく緩み、あちこちに隙間ができている。精神に余裕が生まれている。

 

そんでようやっと文化的な娯楽を楽しめるようになったのがGW後半。静岡に行き、駿府城公園周辺の野外で2日たっぷり好きなお芝居を見た。目抜き通りの交差点で羽衣の「果物夜曲」を見て涙し、文化会館の駐輪場でロロの「グッド・モーニング」を見て涙し(白子ちゃんの『見せもんじゃねーぞ!!!!』ってセリフで笑いながら泣くのだ、見るたびに)、範宙遊泳のピュアネスとポップネスに幸せな気分にさせられた。ストレンジシード、気候も良くて混んでもいなくて、ほんと快適だった。さわやか新静岡セルバ店もすぐそこなので観劇の合間にげんこつハンバーグもいける。はじめてのさわやか、とっても素敵な体験でした。

 

そんで日焼けと足腰の痛み(地べたに座っている時間が長いので身体が痛くなるのだ)を抱えて帰京して今日。明日からは仕事。少なくとも向こう3ヶ月は多忙。嫌。シンプルに嫌。もう仕事なんてしたくない。でもいきなり辞めたら暮らしがなりたたない。選択肢は無いのだ。また鉄クズに近づいていくのを覚悟しつつ、多忙な日々に戻っていくしかないのだ。