bronson69の日記

いつか読み返して楽しむための文章。

ダスト・バニー・ライド・オン

何日か前の夜中にタイトルだけ書いてそのままほかしといたら何を書こうとしてたんかまったくわからなくなった。なんぞミッシェル・ガン・エレファントのこと書こうとしとったんかなあ。でもいま別にミッシェルのことで書くことなんもないなあ。むかーし、リットン調査団が漫才のツカミで「どーもー、ミッシェル・ガン・エレファントですー」ってやってたの思い出したけど、そこからなんも広がらんしなあ。そいえばリットン「どーもー、ギターウルフですー」なんてのもやってたなあ。「どーもー、ブランキー・ジェット・シティですー」「どーもー、ナンバーガールですー」これらはやっとらんかったなあ。「福岡市博多区から来ました、ナンバーガールと言います。………………蝦夷の地に。ひとり佇む少女が居たねえ。……あの娘って、誰。…それが例えば透明少女(言い終わらぬうちにカットインする田渕ひさ子のギター)」これはいまでもソラで言えるくらい覚えてる、1999年のライジングサンロックフェスティバルのThis is 向井秀徳。後ろの方でビール飲みながら見てた。男友達と、そいつといい感じになってる女の子と、その女の子の連れの女の子と、4人で見てた。あれなあ、いま思えば、あいつ、連れの女の子と俺のことくっつけようとしてたよなあ。俺はそんなの何も気にせずにひとりで最前列に特攻→バテて後方で休憩→また最前列に特攻を繰り返してて、誰ともろくに会話してなくて、真夜中のミッシェル・ガン・エレファントでダイブした拍子に靴が脱げて、転換のタイミングでスタッフに聞いたら同じような経緯で脱げた靴がこんもりと山になってるとこに連れて行かれて、真っ暗な中、ギターウルフの轟音を背中で聞きながらひたすら靴を掘り続けたんだった。黒のナイロンのコンバース、掘り当てたときは嬉しかったなあ。そこで体力使い果たして寝こけてしまってスーパーカー見逃して、目覚めたら夜と朝の合間のなんとも言えない空の下、ブラッドサースティ・ブッチャーズがエモいって言葉でしか表現できないような、泣きたくなる音でギター鳴らしてたんだよな。あれは本当に良かったなあ。

 

ここまで書いて寝落ちした。目が覚めていまは朝の4時。たぶんあんときのブッチャーズと同じくらいの時間。飲んでもないのに自分語りってのは、あれすかね、老いたってことすかね。でもなあ、死なない限りはまだまだどんどん老いるんだよなあ。老いたらもっと自分語りするようになんのかなあ。老いて老いて老いつくして、老いの果てに手が届くくらいまで老いたら、自分語りもそれ相応にレベルアップすんのかな。自分の概念が拡張されて、私とあなたの、過去と未来の、ひとつとすべての境目がなくなって、何を語っても自分語りみたいになんのかな。それとも、どこまでが自分なのか、何が自分かわからなくなって、何も語れなくなったりすんのかな。語り得ぬものについては沈黙しなければならない。でもさ、黙ってたら何も伝わらないじゃんか。仲良しこよしの友達ならそれでいいけどさ、せっかく一緒に住んでるわけだし、思ったことは何でもぶつけあわないと、本当の関係は築けないと思うんやんか。テラスハウス見てると一定の間隔でこういうこと言うやつが出てくるけど、俺ほんと苦手。全部オープンにしないと仲良くなれないなんてそんなん嘘。仲良くなったから色々とオープンにできる、が本当。と思う。ベースに揺らがない信頼感が構築されて、お互いの存在を肯定し合ってる、ちょっとやそっとじゃ変わらない、そういう関係になって初めて深いことが言えるようになる。そういう信頼感ってのは貯金みたいなもんで、どうしたって時間がかかる。コツコツと積み上げるしかない。積み上げんのサボんな、と思う。思うんやんか。思うんやんかさ。