bronson69の日記

いつか読み返して楽しむための文章。

ウンゲツィーファ「さなぎ」

ウンゲツィーファ「さなぎ」@東中野 驢馬駱駝。

東京は大雪の予報。

 

ぼんやりしている。
例えば夜と朝の間の時間。
まだ暗く、朝とは言えないのだけれど、さっきまでの夜とは明らかに異なっている。
黒だったものが紺になり、次第に群青になっていく。
ゆっくりと、だけど確実に変化している。
もうじき夜は明ける。
明けてしまう。
否応なしに迎えてしまう覚醒の前、最後に残った青い気だるい気配がそこにある。
刻一刻と変化していくのを感じながら、いつまでも何も変わらないみたいな顔をして、道端に座って空を見上げている。

 

どうしようもないことばかり起こる。
真っ暗な山道で飛び出してきた動物を跳ねるとか。
孫がいるような年齢で二回りも年下の女性と付き合っていたら子どもがほしいと言われてえ?だって俺もうすぐ定年なっちゃうよ?なんてつまらないことしか言えなくなっちゃったりとか。
ずっと演劇やってて未来が見えなくて家族の理解もなくて不安で不安で彼女にすがってばかりいたら彼女に一年海外に行くって言われて寂しいけど止められもしないとか。
彼女に寂しいって言ったけど彼女はあんま寂しそうじゃなくて向こうで恋人できたらどうする?って言われてそんなん悲しくて死ぬ、って言ったけどでも好きな人ができるなんてそれ自体はどこにいたって止めようもなくてどうしようもないよなって思う、とか。
世の中には(つうか俺たちには)そういう仕方ないことがたくさんある。
何も出来ない。
どうしたらいいのかも、どうしたいのかもわからない。

 

わからないのは誠実だからだ。
これだけは胸を張って言える。
俺は(私は)ずっと誠実なままでいる。
何に?自分の気持ちに。
私は誰も傷つけたくない。
自分だって傷つきたくない。
だから何もかもが上手くいく完璧なハッピーエンドじゃないと少なくとも積極的には受け入れられない。
でも私は馬鹿でも世間知らずでもないから、そんなのは望んでも得られないってわかってる。
だから動けない。
何もできない。
布団の中で、できるだけ温かくいられる姿勢で、じっとしていることしかできない。

 

布団の中で、物事は繋がっていく。
不安は不安と接続していく。
距離や時間は障壁にならない。
イメージの世界ですべては繋がっていく。
イメージがイメージを呼ぶ。
こことそこの境目がゆらぎ、いまといつかが同じになる。

 

決着の予感がする。
いつか夜は明ける。
いつか夢は覚める。
1年経てばビザは切れるし、懐妊を知らせる電話は急にかかってくる。
決着の瞬間はいつか必ず訪れる。
訪れたら、決めなくたって決まってしまう。
線が引かれたとき、その瞬間に立っていた方を選んだことになってしまう。
私は何も選んでいないのに、選んだことになってしまう。
私はそれを知っている。
いつか訪れると知っていながら、同時に「いつか」と「いつまでも」の違いについてはどこまでも鈍感でいる。

 

地球の回転に逆らって飛ぶ飛行機に乗り、夜と朝の境目を飛び続けることを夢想する。

いつまでも終わらない、ただひたすらにやさしい朝焼けの景色のことを。

 

9階からのエレベーターを降り、外に出るとちらりちらりと小さな雪の粒が舞っていた。

空気は冷たく張り詰めていたけれど、積もるような感じはまるで無かった。

 

それから西荻の見晴料理店に行き、食事をしながらビールを飲んだ。

お芝居の余韻に浸るあまり、黙りこんでただただビールを飲む機械となってしまい、彼女の機嫌を損ねてしまったり、前菜のひとつで出てきた鮭ハラスの西京焼きがあまりに美味しくてわがままを言ってそれだけを焼いてもらったりした。

店内に流れるソウルシンガーの歌声が少し桑田佳祐に似ていて、サザン…?あ、違うか、というくだりを4回くらいやった。

 

凍りそうな帰り道、さっきは何を考えていたの?と聞かれた。

僕は、わからない、と答えた。

わからないことを、うっかりわかってしまうことのないよう、慎重に慎重に考えていた、というのが本当のところだったのだけれど、そんなふうに正確に答えようとするのがなんだか貧相な行いに思えた。

わからないままでいたかった。

家に続く道の街灯が新しくなっていて、真夜中の景色は夕暮れのような色に染められていた。

雪は相変わらず積もらない程度に降り続いていた。