bronson69の日記

いつか読み返して楽しむための文章。

夏の子供

すごくだらだらしている。だって夏なので。極度に面倒くさがりで、部屋なんかもうわやくちゃで、洗ったままたたんでない洋服とタオルに囲まれその真ん中で丸まっている。ぐるりと丸い洗濯物はまるで鳥の巣か魔法陣。鳥の巣ならば俺は雛だし、魔法陣なら召喚獣だ。雛を召喚した魔法使いの心境やいかに。魔力と電気は効率的にご利用ください。なんていいつつエアコンをガンガンにかけている。だって暑いもん。としまえんのプールのように部屋をキンキンに冷やし、寒いから毛布をかぶって丸まっている。丸まったままスマホをポチポチしている。海の近くの、景色のいい宿を探したりしている。海に行きたい。静かな宿で、部屋から海を眺めたい。どこにも出かけず、海を眺めて2日くらいぼんやりしたい。海はいい。大きくて静かなのがいい。水面が揺らめいたり音がしたりするのもいい。強い風がふいて沖に白波が立ったりするのもいい。海はいい。

 

それはそれとして海に行った。海辺に住む友達夫婦のところに、子どもが生まれたお祝いに。赤ちゃんは両親どちらにもよく似ていた。正しくハイブリッドだった。まだ首の座らない赤ちゃんを抱かせてもらい、その体温とサイズ感と独特のにおいをしっかりと刻みこんだ。いつか、初めてあったときはまだこんなに小さかったのにね、という話をするとき、きちんと実感を伴って話せるように。ソファに寝そべり、おなかの上に赤ちゃんをのっけてダラダラとくだらない話をしていると、それはもういつまでもどこまでも平和だった。赤ちゃんは平和の象徴だ。鳩なんかよりも、ずっと。

 

夕暮れのころ、みんなで海辺へ行き、シーグラスをひろったり、赤ちゃんと海のはじめての接触を見守ったりした。友達は波打ち際で赤ちゃんを抱きかかえ、その小さなつま先をそうっと波にひたした。赤ちゃんは泣くでも笑うでもなく、神妙ともいえるような顔つきをしていた。なんだか洗礼式みたいだな、と思った。

 


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 日が暮れるまで海で過ごして、それから歩いて駅まで向かった。ちょうど夏祭りの日で、そこかしこに出店が並び、いたるところに中学生くらいの子どもたちがいた。浴衣の女子とTシャツの男子のグループが嬉しそうに恥かしそうにしていたり、マンションとマンションのあいだのよくわからないスペースにDSを持った男子のグループが潜りこんでいたりした。微温い夜風に潮の匂いが混じり街全体が浮かれた空気に包まれて、正しく祭りの夜だった。こういう街で生まれ育つというのはとてもよいものだろうな、と思ったけれど、そういえば彼ら一家は近いうちに引っ越そうとしているのだった。でもどこで育つかなんて実はそんな本質的なことではないのだ。大切なのは、それが他のなににも代えられない経験であるってことだ。そもそも育つなんてのは誰しも一回こっきりの経験で、だから幼いころの思い出はあんなにも鮮烈で特別で、それがどんなに陳腐な場所であったとしても、故郷は特別な存在であり続ける。要するに何が言いたいのかというと、生まれてきて育つ、それだけで特別で最高でかけがえのないことで、だからあとはもう、幸多かれと祈るしかない。どんな人生も特別だけど、せっかくだから、どうせなら、幸多からんことを祈る。健やかであることを祈る。祈る。祈る。祈り続ける。