盛岡へ
最近の僕なんかは出来事は記録に残さずただ思い出せない記憶の海に沈んで消えていくほうが美しいんじゃないかって気持ちとそれでもぜんぶ忘れてしまったあとに思い出すあの素敵さを思うと記録残しとくのも大事だよなって気持ちの狭間でゆらゆらしちゃっていろんなことがあったんだけども結局薬局なんにも書かずに日々は過ぎていってしまうから困ったものだ。めっきり秋。踏切と遮断機。季節の変わり目。体調を崩しがちなシーズンですが皆さんにおかれましてはお元気ですか。普段文字を読んでも音声は再生されないタイプなのにお元気ですかって書くときだけは井上陽水の声で再生されてしまうのはいつになったら収まるのだろう。あのCMは昭和が平成に変わるときのころのやつだから、かれこれ30年近く症状が続いていることになる。これはもう立派な呪いと言えるのではなかろうか。広告は呪。記憶は呪い。
そういえばこのあいだ盛岡へ行ってきた。何をしに行ったのかというと、好きなひとに自分の好きな風景を見せたかったのだ。
目的は存分に達したので大変に満足。予定外の楽しみもたくさんあった。朝市(盛岡にはほぼ毎日やってる朝市があるのだ)にひさびさに行ったら青唐辛子が馬鹿みたいに安くて頭に血が上り爆買いキメてしまったり、久々の福田パンで頭に血が上りただでさえデカいコッペパンを八個も購入し一日ずっとコッペパンを食べ続ける羽目になったり、平安時代から残る浄土庭園眺めてチルアウトしてたらすぐとなりで石川さゆりの野外コンサートが始まって爆音で漏れ聴こえる津軽海峡冬景色と静かな風景とのギャップに感受性がバッファオーバーフローしたり。ほんと、楽しかった。
この旅行のことも、きっといつかはひとまず忘れてしまうのだろうし、そうなってからなんかのきっかけでポツリポツリと思い出すのはたいそう素敵じゃないかと思うので、いつかやってくるその日を楽しみにしている。そのときはあまりヒントが多すぎないほうがきっと楽しい。だからこの日記にも説明はあまり書かない。ただ写真が並んでいるくらいでちょうどいいのだと思う。ふたりで写真を見て、そのときの服装とか、食べたものの味とか、歩いた道とか乗ったバスとか、そういう細かいひとつひとつについて、ああでもないこうでもないとほじくり返すのが楽しいんじゃないかと思う。いつか、そんなに近くではない未来にそういう日が訪れるのを心から楽しみにしている。