bronson69の日記

いつか読み返して楽しむための文章。

ロロ「BGM」

土曜の夜。下北沢スズナリ。

 

キュートで、ポップで、大人だった。三浦直之が描き続ける「一度生まれた『好き』の気持ちは、永遠に死なない」というモチーフは、今回は過去完了進行形ではなく、過去形で表現されていた。「あの頃から好きだった、もしかしたら今でも心の何処かで好きなまんまでいる」から「あの頃は好きだった」になっていた。いわゆる「いい思い出」というやつだ。我々の多くがそうであるように、舞台の上の彼らにとっても、思い出は音楽と分かちがたく結びついている。奏でられる音楽は、思い出と結びついて、自分の背中を押してくれたりするし、誰かの背中を押したりもする。そうやっていつかの「好き」の気持ちは生き続ける。既に終わってしまった恋は、カチカチの化石になって、それでも優しい熱を放ち、誰かの心をあたためてくれる。

特別な思い出は、「好き」の気持ちにだけ宿るものではない。 仲良しの友達と過ごしているときの、どうってことなくてグダグダでめちゃくちゃ楽しいあの空気感、そのときはなんにも特別じゃないのに、きっといつかきょうのことを思い出してめちゃくちゃ特別だったなって思うような時間、なんてことなくてさりげなくて思い出そうとすると思い出せない数々の出来事、小沢健二が「さよならなんて云えないよ」で「本当はわかってる 二度と戻らない美しい日にいると そして静かに心は離れていくと」と歌ってる「美しい日」のこと、そういういつか本当に大切な思い出になるであろう時間が、舞台の上にはっきりと現出していて、何度か泣きそうになってしまった。

 

この日は大学時代からずっとつるんでる友人が一緒だった。終演後、飲みに行って、自分たちの「あのころ」の話をしたのだけれど、あまりにも思い出せなくて、そのことに笑った。そういえばあのころの僕らは「後から思い出せないようなくだらないことばかりを過ごしたい、くだらないことでゲラゲラ笑ってそれだけで消えてく毎日だったらいい」なんて話をしていた。現実にそうなってみると、ふはは、それも良し悪しだねえ、そんな話をしながら、台風の近づいてくる新宿で、ダラダラと飲んでいた。