bronson69の日記

いつか読み返して楽しむための文章。

小沢健二「フクロウの声が聞こえる」

まとまらないけど、徒然と。

 

初めて聴いたのは、「魔法的」ツアーの東京公演。まるでアッパーな賛美歌のような、祝祭的で神聖でどこまでも優しい歌に、棒立ちになってただただ涙していた。なんとか音源で聴きたい、と思っていたら、たったの一年三ヶ月で発売の運びとなり、しかもSEKAI NO OWARIとのコラボまで発表され、自分がどういう感情を抱いているのか自分でもよくわからなくなり、例えて言うなら味の素を知らないひとに味の素の味を説明しようとしているときのような気持ちでむむむとなっていたら、発売日前日の朝に音源が届けられた。

 

正直に言うと、最初は戸惑いがあった。無声音が強く感じられどこか寂寥感を覚える小沢健二の声と、のぺっとして甘いFukaseの声はあまり相性がよくないように感じられたし、セカオワっぽさの強いアレンジも、なんだかディズニー映画の主題歌のようでチャイルディッシュに聴こえた。ライブで感じた荘厳さが小さくなってしまったように思えた。

 

けれど、何度も何度もリピートしているうちに、ストンと腹落ちした。この曲のFukaseは、りーりーなんだな。小沢健二の愛息子の凛音くん。この歌は、Fukase演ずるりーりーと、健二パパの歌なんだ。「晩ごはんのあとパパが散歩に行こうって言い出すと、チョコレートのスープのある場所まで!と、僕らはすぐ賛成する」歌い出しの歌詞からしてそうでしかあり得ない。なんで気がつかなかったのだろう。そうだとすると、何故セカオワなのか、何故Fukaseなのか、全部がはっきりと理解できる。この曲が父と子のデュエットであるから、子どものような声を持つFukaseが必要だったのであり、この曲が優しいフェアリーテイルであるから、そのような世界感を保ち続けているセカオワが必要だったのだ。

 

この曲はフェアリーテイルである、とはどういうことか。それは、この曲が我が子に向けた世界のガイドブックになっている、ということだ。世界がどういう場所であるかを伝え、世界が生きるに値する場所であることを伝え、これから世界に出ていく我が子に最大限の祝福と勇気を与えること。

ヴィトゲンシュタイン曰く、世界とは可能世界の総体である。同じことを岡崎京子は「pink」でこう書いている。「この世は何でも起こりうる 何でも起こりうるんだわ きっと どんなひどいことも どんなうつくしいことも」。この世界ではどんなことでも起こり得る。想像を超える悲劇と想像を超える奇跡が同時に起こる。世界とはそういう場所である。世界はありのままに残酷で、ありのままに美しい。

この世界に起きる奇跡の中で最大のもの、それはわたしたちが存在するということである。存在には理由がない。根拠がない。意味もない。私たちは、すべてのものは、ただ存在する。世界は無根拠な存在を承認している。それは途方もない奇跡である。無条件の承認を愛と呼ぶなら、私たちは存在するだけで世界に愛されていることになる。存在が奇跡だと認識するならば、世界は奇跡で溢れていることになる。見えないどこかで鳴いているフクロウ。静かに幹を揺らすプラタナス。チョコレート色の池で音を立てて跳ねる魚。そのすべてが奇跡であり、愛であり、だから世界はありのままで美しく、その美しさはそのまま私たちの美しさでもある。その事実は、私たちを強く強く勇気づける。残酷さや悲しみに耐えるだけの力を与えてくれる。それでもどうしようもなく悲しいことや辛いことがあり、打ちのめされてしまうときは、クマさんを持って眠ればいい。誰もが自分だけの大切なクマを持っている。それは親に与えられるものかもしれないし、自分で見つけ出したものかもしれない。クマさんを抱えて(あるいは抱えられて)しっかりと眠り、しっかりと食事をとる。それさえ出来れば、あとは恐れることなどないのだ。

 

この曲は、小沢健二版の「バナナブレッドのプディング」なのだと思った。大島弓子がバナナブレッドのラストで書いていたあれだ。長いけどまるっと引用。

おかあさん ゆうべ 夢を見ました

まだ生まれてもいない赤ちゃんが わたしに言うのです
男に生まれたほうが生きやすいか
女に生まれたほうが生きやすいかと

わたしはどっちも同じように生きやすいということはないと答えると

お腹にいるだけでも こんなに孤独なのに
生まれてからは どうなるんでしょう
生まれるのがこわい
これ以上ひとりぼっちはいやだ というのです

わたしは言いました。
「まあ生まれてきてごらんなさい」
「最高に素晴らしいことが待ってるから」と

朝起きて考えてみました
わたしが答えた「最高の素晴らしさ」ってなんなのだろう
わたし自身もまだお目にはかかっていないのに

ほんとうになんなのでしょう
わたしは自信たっぷりに子どもに答えていたんです

 

この世界ではどんなことでも起こり得る。世界はどこまでも広く、どこまでも深い。自分の想像の及ばないところにも世界は広がっていて、そこではフクロウが鳴いたり大きな魚が跳ねたりしている。美しいことだけでなく、恐ろしいことも起こるけれど、そのときはクマさんを持って眠ればいい。この曲は祝福の歌なのだ。父から子へ、世界が存在することの素晴らしさを伝え、これから世界に向かって扉が開かれていくことを祝福する。世界と我が子を丸ごと言祝ぐ、神のいない賛美歌。

 

それにしても今夜のMステ、最高だったな。もう何度もリピートして見てる。ボーカル二人のバランスがめっちゃ良くなってる。音源よりMステのほうがずっと好きなんだけどこれはどういうことだ。Mステバージョンで音源出してくれたらもっぺんお金出す。ああ、配信でいいんだけどなあ。やってくれんかなあ。