bronson69の日記

いつか読み返して楽しむための文章。

夏の終わり

しばらく書いてなかった。ぼやぼやしていたらずいぶん間が空いてしまった。ぼやぼやしすぎて危うく誰かのいい娘になっちゃうところだった。危ない、危ない(福田和子のモノマネで)。最近の若者は福田和子のモノマネでは笑ってくれない。悲しい。しかし人が老いるのは自然の摂理である。人は老いる。死ぬ。そして生まれる。世代は常に更新され続けている。そういうふうにできている。だからまあ、仕方ないことではあるのだ。これから福田和子のモノマネで笑ってくれる人はどんどん減っていく。そのことを受け容れるしかない。悲しいなあ。別に悲しかないけれど、ううん、悲しいなあ。

 

お盆からしばらく、東京はおかしな天気だった。低く垂れこめた濁り雲。湿った空気がひやりともぬるりとも感じられる。肌寒いな、と感じつつ、少し動くと汗が滴る。晩夏であるが、残暑ではない。残暑の暑だけどこかにいってしまい、湿度だけが残っている。残湿である。響きが良くない。粘着質で諦めの悪い感じがして嫌ったらしい。秋になるならさっさと秋になればいい。夏でもなく、秋でもなく、ただべったりとした空気と疲労感だけが漂うこの季節をなんと呼べばいいのだろう。そんなことを考えていたら、8月も終わりの今になって残暑らしい残暑が戻ってきた。去りゆく夏を惜しむような残暑。

 

思い出してつれつれと書いてみる。ドラクエ113DSでプレイ中。一応ラスボス?は倒して、いまはクリア後の世界を楽しんでいる。昔よりかんたんになった気がするのは僕だけだろうか。レベル上げやら資金稼ぎやら、そういう作業をやらなくてもストーリーを進められるようになっている。レベルがかんたんに上がるので、適当にやっていても適正なレベルになってしまう。それゆえギリギリの冒険の切迫感みたいなものはあまり感じられず、堀井雄二のセリフとストーリー、それと過去作品のオマージュを楽しむゲーム、というふうになっている。それで充分に楽しいからそれで構わないのだけれど。この先、裏ボスを何ターンで倒すか、みたいになってくと難易度が上がるのだろうか。鈴本演芸場のさん喬・権太楼特選集は今年も素晴らしかった。やはりメンバーが充実しているときの寄席は最高だ。行ったのが今年も日曜だったので、終演後に上野グルメを楽しめなかったのが心残り。美味しいインド料理やら中華やらとんかつ屋やら上野には良い店がたくさんあるのだけれど、日曜はどこも閉まるのが早いのだ。来年こそは土曜にしよう。「やすらぎの郷」の展開にマジでダメージを受けた。今日び、婦女暴行をあんなふうに描いて許されるのか。若者をしばくかっこいい老人を描く、そのためのダシとして婦女暴行を扱い、またその扱い方も極めて粗雑。被害者は事件のことを伏せたくて被害届も出さなかったというのに、施設の職員も入居者も、噂をガンガンに広めていく。それは良くないことだ、というエクスキューズは一切ない。散々噂話を広めておいて、「今後あの娘にどう接したらいいのかな、知らないふりするしかないわよね」「あたしそういうの嫌だな、みんな知ってるのに知らないふりされるの、わたしだったら辛いな」このやり取りはマジ胸糞だった。みんな知ってるっていうその状況自体がおかしい、とは誰も思わないのか。入居者の老人たちはともかく、若い職員たちまで噂してるのは何なんだ。思えば倉本聰の作中での女性の扱いは昔から本当にひどい。「北の国から」のつららちゃんとかシュウとか。倉本聰はおじいちゃんだからもう仕方ないのだとしても、テレ朝にはこれを止めるスタッフはいなかったのか。とにかく悲しくなってしまった。それに引き換えNHK土曜ドラマ「悦っちゃん」の素晴らしさよ。ロクさんはユースケ・サンタマリアの役者人生でもナンバーワンのハマり役なのではなかろうか。才能豊かなインテリの作詞家であり、ヘラヘラしたお調子者であり、それでいて一本芯の通ったイイ男でもある。これはモテる…こんなもん全盛期のヒュー・グラントやんけ…と思いながら毎週土曜を楽しみにしている。あと門脇麦小雪に似ている。小雪から般若をひいて鳥を足すと門脇麦になるのだと思う。三鷹で観たままごと「わたしの星」もとても良かった。不在を埋めあわせる、ということ。伝えられなかったこと、受けいれてもらえないこと、どうにもならないこと。それら全てを、お芝居という虚構の中で解決する。しかし、高校生のダンスシーンというのはなぜあんなにもグッと来てしまうのだろうか。去年の「魔法」に続いて、この夏もまんまと泣かされてしまった。音楽も振付けも最高だった。良すぎたので10月のフェスティバル・トーキョーのチケットも購入した。ナカゴーもあるしロロもあるし「を待ちながら」もあるし木ノ下歌舞伎もあるし、観劇予定がどんどん入ってくる。やりくりが大変だ。家を探しに下北沢へ行って、旧ヤム邸に並んでカレーを食べたりもした。
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 これが物凄く美味しかった。美味しくて、自由だった。好きなようにスパイス使っていいんだな、と思えた。やや大げさだけれど、カレーの世界観が広がる一皿だった。あとは何をしていたのだっけ。友人との酒の席で醜態をさらして自己嫌悪に陥ったり、青野菜(しし唐、オクラ、ゴーヤ、青唐辛子などなど)を使ったカレー作りにハマったり、石ノ森章太郎佐武と市捕物控」を衝動買いして格好良さに痺れたり、そんな感じだろうか。基本的に朦朧としていた。何しろ真夏のカレーづくりは暑いのだ。玉葱やら大蒜やら生姜やら唐辛子やらの刺激物を強火で炒めるわけなので、キッチンはスパイシーサウナになる。やってるとすぐに汗だくになる。本気で朦朧としてくる。朦朧としてるうち翻弄されてしまう。彼女曰く、僕の部屋にはスパイスの香りが染みついているそうだ。自分では全然わからないんだよなあ。引っ越すとき、余計に敷金とられなければいいのだけれど。

 

 そういえば花火大会にも行った。花火は見たいが人混みは苦手だ、という話をしていたら、ならわたしの地元においでよ、そりゃ少しは人出もあるけれど、東京とくらべたら無みたいなもんだよ、無だよ無、無人の荒野に花火だけが打ちあがってるようなもんだよ、浴衣着るから一緒にいこうよ、と誘われ、ホイホイと誘いにのった。自宅から電車で一時間と少し、千葉の内陸の住宅街。駅の近くで待っていると彼女から連絡。浴衣の着付けに時間がかかってる、それに道路も混んでるから遅れそう、始まるまでに間に合わないかもだから、花火の見えるところで待ってて。それで打ち上げ会場の方へ歩いていくと大きなイトーヨーカドーがあり、その駐車場のはしっこの歩道の縁石のところにたくさんのひとが腰かけていた。一人分のスペースがあったので、僕もそこに腰をおろし、カップルや中学生や親子連れに混じって夜空を見上げた。僕のとなりには、中学生らしい女の子がふたり座っていた。彼女たちは、目線を空に向けることもなく、ヨーカドーで買ったらしいフライドポテトをつまみながら同性の憧れの先輩について話をしていた。先輩がいかに美人か、いかに聡明かを語り、先輩と会話できた放課後のひとときの素晴らしさを確かめあっていた。彼女たちにとっては、花火よりそのひとときの方がよほど輝いているようだった。僕はその声を聞きながら、電線越しに花火を見上げていた。
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それから、素敵な浴衣をきちんと着付けた彼女と合流し、花火を見上げながら住宅街を歩いて会場へ向かった。あ、ここは小学校の同級生のなんとかちゃんの家だよ、その子とはふたりで秘密の祭壇を作ったの、空き地の片隅にこっそり祭壇を作ってふたりでお祈りしたりしてたんだよ、こっちはなんとか君の家だ、ここはあのころはバレエ教室だったんだよ、そういう話をたくさん聞かせてもらった。次々に打ち上がる花火の真下、住宅街の路地裏が赤や青に照らされては消え、彼女の浴衣姿は艶かしく、まるで終わらない夏休みの夢を見ているような、そんな心地だった。

 

2017年の夏の終わりは、だいたいこんな感じで流れていった。