bronson69の日記

いつか読み返して楽しむための文章。

くもりガラスの夏

土曜日。フジロックに向かう彼女を見送り朝6時、部屋にひとり。二度寝する感じでもなく、何をしようか酒でも飲むかと考えて、唐突に気がつく。今日だった。年に一度くらい、何があったというわけでもなくただ海が見たくなることがあるのだけれど、今日がその日だった。気がついたら居ても立ってもいられなくなり、洗濯するつもりだった青いアロハを引っ張り出す。くしゃくしゃのアロハに袖を通し、紺色のステテコを履く。敷物とモバイルバッテリーとタオルと財布、「summer,2013」とプリントされたくたくたのトートバッグに放り込み、鍵の横にあった古い古い日焼け止めも投げ込んで、駅までおんぼろの赤い自転車を漕ぐ。早朝の光。早朝の空気。心が膨れ上がっていく。どこの海に行こうか。人のいないところへ行こう。せっかくの休みなんだから。

 

空いた電車に揺られること三十分、葛西臨海公園NEWDAYSでは生ビールを280円で売っている。せっかくなのでそれを一杯、あとロング缶を何本かとサングリア、それにブルボンのおいしいココナツミルク。よく冷えた生ビールを飲みながら浜辺へ向かう。まだ水族館も開いてない時間、公園には犬の散歩とランナーくらい、よこしまな思いを抱いているのは僕だけかな、それにしてもビールが美味い、心なしか酔うのも早い、寝起きでなんも飲んでないから吸収効率がいいのかな。いまの俺はスポンジか、はたまた海綿脱脂綿、水分そそげばなんでも吸うぞ、矢でも鉄砲でも持ってこい、できればビールも持ってこい、あとは冷やしたキュウリなんかいいな、気ぃ使わないでいいからね、あったらでいいからね。

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海に来ていつも思うのは、海よりも空のほうが大きいのだということ。汐風、海の匂い、遠くに見える大型船、それだけでは海じゃなくて、どこまでも広い球形の空、綿のような低い雲と膜のような高い雲、強くなったり優しくなったりする光、そういう全部がひっくるめて海なのだということ。ひとのいない浜辺、イヤホンから流れる音楽、冷たさを保ったビール、遠くにはウィンドサーフィンの群体が行進する、ベンチに寝転んで空を見る、高い雲から低い雲に濃い灰色が降りているのが見える、あれはダウンバーストだろうか、それとも雲の上に夕立ちが降っているのか、もしかしたら上昇気流かもしれない、時間とともに気温は上昇していく、ロードショーは続く、真っ黒い鳩は石の上に留まる、海の真逆を向いて留まる。


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写真を撮ると音楽が止まる。イヤホンを外し、波の音を聴く。遠くに羽田を立つ飛行機の音がする。雲の中を飛ぶ飛行機の音。姿は見えず音だけが聴こえる。音をたよりに雲の真ん中を見つめていると、遠くの雲の切れ間からひゅっと飛行機が顔を出す。飛行機は音よりも遠くを飛んでいる。早く、早く、早く遠くまで行かなくちゃ。飛行する君と僕のために。

 

 太陽が高く登る時間になっても人はほんとに疎らで、いるのは親子連れのファミリーばかり。水泳帽のおじいさんが沖合を精力的に泳いでいる。幼子は波打ち際で遊んでいる。泳ぐ準備なぞしてこなかったであろう夫婦の父親が、膝をまくり、娘を抱いて海へ入っていく。膝丈のところでほんの一瞬躊躇して、しかし迷いはなく、そのまま服を濡らして海へ行く。幼い娘の服を濡らさぬよう、けれどなるたけ海を味わえるよう、注意深く海と娘を繋げていく。母親は浜辺からそれを見ている。笑っている。娘はなにを見ているのか、僕のところからはわからない。父親は胸まで海につかっている。風が微かに吹いている。縮緬の波が水平線まで続いている。遥か遠くにゆっくりと鳥が飛ぶ。雲の切れ間から太陽が顔を出す。直射日光が肌を焼く。高く高くゲイラカイトが上がっている。どこか遠くに白煙のようなものが見え、ヘリコプターが離着陸を繰り返す。視界の隅で魚が跳ねる。海と空とその間と、見えるすべてが騒がしく、それでいて平穏である。

 

物心ついてからずっと、世界に違和感を感じていた。あらゆるものが奇妙なかたちに見え、すべてに慣れることがなかった。夢なのだと思っていた。この世界のすべてが、空も海も友人も家族も自分も、すべてが起きたら忘れてしまうような荒唐無稽な夢で、夢だからあり得ないようなかたちをしているのだと思っていた。夢を見ている自分もまた、いまの自分からは想像もつかない得体のしれない何かなのだと思っていた。いまここにいる自分と夢を見ている自分、それらはまったく結びつかないもので、お互いに想像することすらできない別の世界の存在なのだと思っていた。そうでなければこの違和感は説明がつかない、そう思いながら、エイリアンの眼で世界を見ていた。

 

海を見ていたらなぜだか急にそのことを思い出した。思い出したら、エイリアンの眼まで蘇ってきた。世界が初めて見るもののように思えた。それでも風は心地よく、空と海とはどこまでも広く、サングリアは甘く鼻腔を擽った。どうでもいいや、と思った。ここは気持ちいい。だから何でも構わない。もう少しだけお酒を飲んで、ベンチに身体を横たえて、空だけを見て、それから目をつむるなり、本を読むなりして、葛西へ行ってカレーを食べて。

 

目を覚ます。身体を起こし、あたりを見回す。寝ていたのはつかの間のことのようだった。霞がかかったように景色がかそけく見える。いやにいい具合に視界がぼやけるな、と思ったら、メガネがベタベタに汚れているだけだった。レンズを拭いたら、海辺の景色がクリアに見えた。メガネのせいで過剰に夏に見えていたのかな、と思ったけれどそんなことはないようだった。くもりガラスの向こう側、夏はきちんと夏だった。