bronson69の日記

いつか読み返して楽しむための文章。

カレーばかりの土曜日

梅雨もあけ、気がつけば7月も後半戦。太陽がグッと顔を近づけてきて、ツッコめる間柄だったらいや近い近い!近いから!ってひたいを押しのけるくらいの距離感になってる。ツッコめない間柄だったらエッ何コイツってなりつつなるべく自然に距離をとり、偶然なのか意図的なのか、横目で様子を伺う。動けるくらいの満員電車で起こりがちな現象。太陽の側としては、この距離感についてどう思っているのだろうか。わかっててわざとやってるのか、それとも俺だってくっつきたかねえど後ろがめっちゃ押してくるからさ、みたいな不可抗力的なやつなのか。不可抗力にしてもこの態度はふてぶてしすぎやしないか。もっとこう、あっすいませんすいません、体あたってますよね、でも僕も押されちゃってこらえきれなくて、ほんとすいません、あっあっすごい、押されてる、すごいグイグイくる、後ろグイグイくる、なんだろ牛なのかな、ってそんなわけないですよねハハハ、すいませんすいません…みたいな感じだったら、ダメだ更に腹立ってきたな。太陽め。

 

土曜日。昼すぎ、空腹で起床。疲労困憊な彼女は昼食よりも睡眠をチョイスしたので、ひとりでランチにいく。どこにするかしばし考え、近所なのにいったことのないネパール料理の有名店へ。ダルバートな気分だったのだけれどランチメニューにはダルバートはなく、仕方ないのでネパールセットというやつを注文。
f:id:bronson69:20170723103937j:image

白米、サラダ、ダルスープ、大根と鳥肉のタルカリ、アチャール。要するにサラダのついたダルバートでした。スパイシーかつ塩分も強め、でもシンプルで優しい味わい。東北の家庭料理のよう。ほっこりと美味い。インドやらネパールやらスリランカやら、スパイス料理を食べ進めていくと、「スパイシー」って言葉の意味合いが変わる。「辛い」って意味では使えない言葉になる。だってほとんどのスパイスは辛くないんだもの。辛いのは、チリとグリーンチリ、あとはブラックペッパーくらいのもので、あとは香りや深みを出すやつばかり。だからまったく辛くない「スパイシー」もある。クミンシードとコリアンダーパウダー使った炒め物とかがそんな感じ。

 

しっかり食べてお腹も膨れ(南アジア料理のお店、ワンプレートの量が凄すぎると思いませんか、なんでああも大盛りがデフォなんだろう)、帰宅途中に新規オープンの業務スーパーを発見。昨日オープンでセール中とのこと、見てみると大特価が爆発。特に肉。逆上して黒毛和牛のステーキと豚バラ肉のデカい塊を購入。ついでに寄り道もう一軒、パン屋で彼女のランチを物色。芸術劇場に支店のあるあのパン屋です。名物のハンバーガーはなかったけれど、最近ハンバーガーよりもお気に入りのバインミーを購入。甘辛いチキンのやつと、オムレツのやつ。オムレツのバインミー、この店でしか見たことがないけれど、これがめっぽう美味いのだ。大荷物ぶら下げて汗だくになって帰宅。彼女はまだスヤスヤだったので、枕元にバインミーふたつを御供えする。なんとなく手を合わせお参りする。音を立てずに、静かに二拝二拍手一拝。祀られてるなど気づきもせずに彼女はすややと眠っている。これからも眠っている隙を突いてこっそりと祀っていこうと思う。信仰を集め、少しずつ神に近づけていこうと思う。本人の預かり知らぬところで霊験あらたかにしてやろうと思う。そのうち、動物がやたらと言うことを聞いたり、機嫌の良し悪しと天候が連動したりするようになったりしたらいいと思う。そんなふうに僕は思う。

 

目覚めた彼女とバインミーを食べる。よく冷えた桃とハーゲンダッツのバニラをつまみに、キンキンに冷やした季の美をロックで飲む。飲みながら録画していた「ぼくらの勇気 未満都市」のスペシャルを見る。脚本のあまりのアレさに心までキンキンに冷えていく。「ぼくらの勇気」とはあの脚本にGOを出したことだろうし、「未満都市」とは作品のレベルのことなのだろう。そのまま流れで「ハロー張りネズミ」を見る。なるほど、これは確かにとんねるずだ。80年代後半から90年代初めにかけてのあの感じだ。でもなんだろう、やりたいことはわかる気がするけれど、魔法がかかってる感じがしない。「まほろ」や「リバースエッジ」は上手くいってたと思うんだけど、なんなんだろな。ただエンディングのSOIL&PIMP SESSIONS+野田洋次郎の歌はめちゃくちゃかっこよかった。あまりに良すぎて歌のとこだけだけ3回見てしまった。あとちょっと太った瑛太ハイキングウォーキングのQ太郎にそっくりだと思うんだけどどうですかね。「わにとかげぎす」も見た。悪くない。でも有田哲平、コミュ障な感じがまるでしない。受け答えにしても振る舞いにしても堂々としてて、オドオドしたところがないんだもん。間が良すぎるせいだと思う。誰かと有田哲平が会話するシーン、有田の間が良いせいで、変な空気にならないのだ。普通にモテるひとの会話じゃん、と思ってしまう。しばらく見てたら印象変わるのかなあ。これで「悦っちゃん」も微妙だったら、今クールは「やすらぎの郷」一択になってしまう。それはそれで楽でよいのだけれど。

 

そうこうしてると夜も遅い時間になり、晩ごはんは西早稲田スリランカ料理のお店へ。自転車ギコギコ漕いでいく。戸山公園の急坂を一気に下る。切り裂く夜風が心地よい。店について、彼女はワンプレートを、僕はバナナリーフ包みをオーダー。

 

これが
f:id:bronson69:20170723115749j:image

 こうなるので

 
f:id:bronson69:20170723120144j:image

こうするわけです。

 
f:id:bronson69:20170723120238j:image

 

パイナップルカレーの甘みと酸味、ゴーヤのカレーの苦味、ココナツポリヤルのココナツ感とカツオ節感、豆のカレーにビーツのカレーにチキンカレー、それらが渾然一体となってじんわりと辛くたいへん喜ばしい感じ。良く言えば食べやすい、でも個人的にはもう少しクセがあるほうが好みかな。大阪や蒲田ではフィッシュカレー(けっこう魚臭いやつ)も合盛りされていたので、その差なのかな。今度食べるときはフィッシュカレーを別に頼んでみようっと。そっからまた自転車ギコギコ汗かいて自宅に戻り、明日のためにポークビンダルーの仕込みをして、深夜の銭湯へ。温冷交互浴を繰り返し、最後は水風呂でキンキンになって締め。冷たい冷たい魚になって、夏の夜の蕩けた空気を泳いで帰る。部屋のベッドでディープリラックスに包まれつつ、ゴッドタンを見ながら眠る。

 

幸福か不幸か、損か得か、それはわりとどうでもよくて、そんなことより味わい深いかどうかのほうがずっと大事だと思っている。幸福にも不幸にも同じように趣きがあり、風情がある。わたしがここにいることの面白さを思う。私が観測するから世界が存在するのだ、という独我論的な世界観と、認識などとは一切関係なく世界は存在するのだ、という現象学的な世界観と、その双方を本当らしく思う。わたしが認識するから世界は存在し、その世界の中にわたしがいる。世界の外側と内側と、その双方にわたしがいる。まるでクラインの壺のような位置にわたしがいる。そのことを無意識の片隅に沈めて日々を暮らす。毎日キョロキョロとあたりを見回し、あるいは胸のうちを見つめ、初めて見るものであるかのように世界や感情を眺める。そういう面白さに支えられている。

 

きょうは昨日仕込んでおいた豚肉でポークビンダルーを作る。それから洗濯をして、たぶん昼寝をする。通販で買ったアロハシャツを受け取って、遅めのお昼でポークビンダルーを食べて、それから先はどうすっかな、物件でも探しに行こうかな。