bronson69の日記

いつか読み返して楽しむための文章。

飽きたら終わり

引っ越したい。そう思って賃貸サイトを見ていたら、小田急線に条件の合う部屋を見つけた。小田急線。これまで関わりのなかった路線。思い入れも知識も全く無い路線。京急田園都市線と同じくらい知らない路線。これも何かのご縁、以後お見知りおきを、ということで内見に行った。古いが部屋数の多い、駅チカの物件。行ってみたら相応に古く、図面のとおりに部屋があり、駅はマンションの目の前だった。可もなければ不可もなく、何よりトキメキのない部屋だった。トキメキのない新居なんて、ワインビネガーのないポークビンダルーのようなものだ。この時点でテンションはだいぶ下がっていたのだけれど、せっかくだから街を見てみることにした。東北沢。代々木上原と下北沢に挟まれた、各駅停車しか止まらない街。駅の周りをぐるりと歩き、メインストリートをふらふらと歩き、この街には何も無いということがわかった。ここには何も無い。駅の他には、ローソンと郵便局がひとつずつあるだけ。昼時なのにご飯を食べるお店もない。そもそも通行人がいない。週末だというのに。ここは隠れ里か。平家の隠れ里か。隠れキリシタンの住む隠れ里なのか。ぼのぼのの「なにもしないをしてるんだよ」を思い出した。なにもないがある街、東北沢。暮らすイメージが全く湧かない。焼けつく太陽。無人の街。汗だくになって歩く僕ら。まるでゾンビ映画みたいだ。しかもこの街にはゾンビすらいないのだ。恐るべし小田急線。このままでは干上がって本当にゾンビになりそうだったので、代々木上原方面に移動する。歩く途中、大きなモスクを見つける。トルコブルーの色彩が美しい。しげしげと眺めていると、見学デキマスヨ、と声をかけてもらう。二階ノ礼拝堂ヲゼヒ見テクダサイ。お言葉に甘え二階へ。入室前に注意書きを読む。モスクに入るのは初めてなので、失礼のないように念入りに読む。いざ入室すると、広い礼拝堂の真ん中に人影。礼拝中かな、邪魔してしまったかな、と思ったが、おじさんが扇風機にあたりながら寝っ転がってスマホをいじってるだけのようだった。なんだそれは。ヒマで仕方ない海の家か。焼きそば食いてえな。畜生。そうだ俺は腹が減っているのだ。モスクを出て上原へ向かう。上原には確かロケ弁で有名な金兵衛の直営店があったはずだ。ひさびさに銀だらの西京焼き弁当を食べたいぞ。銀だら、銀だら、その一心で駅を通り過ぎる。小洒落たカフェを尻目にただただ弁当の直売所を目指す。気分はやたらとストイック。久住昌之の漫画の主人公みたいな感じ。で、久住昌之の漫画なのでオチがつく。金兵衛は目の前で閉店。なんとなくそんな気はしていた。時間的にもう夕方だし。仕方ない。気を取り直してお店を探す。あてもなく商店街を歩く。開いているお店はない。そのまま歩くと代々木八幡駅に到着。開いていたスパゲティ屋さんに飛び込む。古いが清潔。夕方のアイドルタイムなのにそこそこお客さんがいる。老夫婦やファミリー。男性の一人客もいる。店員は三人。みなコック服とコック帽をピシッと着こなしている。調理の作業分担も完璧。所作に無駄がなく動きが美しい。これはきっと美味いぞ、美味いに決まってるぞ。そう話していたら、やっぱり美味い。

 

出来事はもう少し続くんだけど、なんだろ、急に飽きた。だからこの話はこれで終わり。

 

「自分の人生を生きよう」みたいな言葉を見かけるといつも思うこと。

言わんとしてることはわかるし、正しいと思う。他者の欲望、他者の怒り、他者の悲しみ、他者の規範、そういうものに振り回されず、自分の選択の結果、自分で紡いだと思える生を送りたいですね。それはまったくその通りで、賛同しかない。

で、それはそれとして、思うことがある。

誰にどう影響され、あるいは支配されるのであっても、わたしの人生はわたしの人生でしかあり得ない。わたしは、どうやっても、わたし以外の人生を生きることはできない。どんな紆余曲折があろうが、親の言いなりだろうが、世間体だけを気にしていようが、それはそういうわたしの人生である。

 

ああもういいや。これも投げ出す。眠る。

気が向いたら何か書くかも