bronson69の日記

いつか読み返して楽しむための文章。

高架

6月最初の日曜日。東京は朝から晴天。

 

職場のピクニックにいくという彼女を駅まで送る。夏のような強い日差し。背中が暑い。首すじの汗が雫になる。空気はからりとしているから、風がそよげば心地よい。こんな日に木かげでピクニックは楽しいだろうな。大荷物を抱えた彼女の背中が地下鉄の階段に消えていくのを見送る。家に帰り、窓を大きくあける。まだ朝といっていい時間だけれど、酒を飲むことにする。冷蔵庫から出してすぐの夏酒をコップで。冷えた芳香が喉を通過する。呼吸が少し熱を帯びる。最近はすぐに酔いがまわるようになった。きょうも一杯で心地が変動してしまう。これはやっぱあれなんだろな、年くったってことなんだろな。

 

昔の話をする。大学の、たぶん二年の終わりごろのことだったと思う。当時住んでいた、多摩ニュータウン小田急線の外れの線路沿いのアパートでの出来事だ。友達がどやどやと俺のアパートに遊びに来て、馬鹿みたいに飲んで、みんなベロベロになってワーワーやってたら、真夜中にひとりの女の子と男の子がケンカを始めて。まあそのふたりがつきあってたってのは後からわかるんだけど、そんときゃまだみんなそのことを知らなくて。ケンカの原因はなんだったかな、忘れてしまった、とにかくだんだんエスカレートして、いま思うとほんとそういうのよくないと思うんだけど、男のほうが女の子を理詰めで追い詰めて、泣かして、そしたら女の子がパッと家を飛び出してしまって。あ、ヤベえってみんなで探しに行って、夜中のニュータウンを探し回ったんだけど見つからず、携帯鳴らしても俺んちのテーブルの上でバイブするだけ、どうする警察連絡するか、いやそれも大げさすぎないか、そうこうしてるうちに夜も開けてきて、いよいよ警察か、ってなったときに玄関がガチャって開いてその子が帰ってきた。だいじょうぶ、どこにいたの、心配したよ、寒かったでしょ、あったかいお茶いれるからね、とりあえず入んな、って家に入れて、みんなでお茶飲んでたら、ぽつりぽつりと話し始めた。

ケンカして、ぜんぜん優しくないこと言われて、ほんともういいやってなって、死のうと思った。死のうとして外に出てぱっと顔上げたら線路の高架があったから、電車に轢かれようって思って斜面登って線路に入った。サンダルで斜面登んの超きつくて、かたっぽ脱げてどっかいっちゃって、片足裸足になった。でも死ぬからもういいって思った。そんで、とりあえず歩こう、電車来たらそのまま轢かれようって、終点の方に向かって歩いた。線路、めちゃくちゃ静かだった。照明も消えてて、月明かりでレールがぼんやり見えるだけ。終点の方、お店とかもないし、家の電気もみんな消えてるし、街灯がぽつんと見えるくらいで、ほんとに暗かった。でも怖いとかはなくて、電車こないなって、それだけ。

で、歩いてたら、あっ終電、ってなった。終電終わってるからたぶんこれ電車こないな、って。そしたらなんか面白くなっちゃって、ひとりでめっちゃ笑った。笑いながら歩いて、そのまま終点の駅までいって、誰もいないホームのベンチで少し座ってた。そしたらうっすら明るくなってきたから、駅員さんに見つかるとめんどいし、ホームの脇から道路に出て、また歩いて帰ってきた。

危な、終電終わっててよかったよ、貨物列車とかこない路線でよかった、死ななくてほんとによかった、とりあえずサンダル探しにいこう、ケンカのあれは後でふたりで話して仲直りせえよ、ってひとしきり喋って、それからみんなで無くしたサンダルを探しに行った。え、マジでここ登ったの!?みたいな、ほぼ藪の斜面をみんなで探した。あったー!って上の方からドロッドロのサンダルを掲げた彼女が降りてきて、みんな死ぬかと思うくらい笑った。そんでそのままデニーズ行って、モーニングでビール飲んで解散した。そういう思い出。

 

最近よくこのことを思い出す。思い出して、真夜中の高架の上をひとりで歩くってどんな感じなのだろう、と想像する。

音もなく、誰もおらず、ただ月と星と夜空とレールだけがある。レールは大きくカーブして丘の向こうに続いている。見渡すと多摩丘陵がぎゅうっと黒く、夜空の藍と対象的に映る。ほとんどの家の電気は消えて、斜面にそって四角と三角のシルエットだけが浮かんでいる。静謐のなか、どんなふうに歩いているだろう。月を見上げているだろうか。それともじっとレールを見つめているだろうか。何かを考えたり思い出したりするのだろうか。それともぜんぶ忘れて空っぽになって、諦念を全身にまといながらただレールにそって歩くのだろうか。

ケンカしてカッとなって死のうとして、って全然いい話じゃないんだけれど、そのシチュエーションだけは、なんだかとても美しく思えてしまうのだ。

 

そんなことを考えながら飲んでいたら、いつのまにか潰れていた。起きたらもう夜だった。ピクニック帰りの彼女を駅まで自転車で迎えに行き、自転車を押しながら二人で歩いた。朝から潰れるまで飲むと休日も潰れるということがわかったよ、と言ったら、上手いこと言ったっぽいけどそれ別に上手くないからね、と言われた。少し肌寒い、月のきれいな夜だった。