bronson69の日記

いつか読み返して楽しむための文章。

木ノ下歌舞伎「東海道四谷怪談」

土曜。はじめての木ノ下歌舞伎。鶴屋南北、「東海道四谷怪談」通し。あうるすぽっと。

 

6時間は長いよな、途中寝ちゃったりすんじゃないか、寝ちゃって尻の肉が取れる夢など見てしまうんじゃないか、そんなことを思いながら劇場へ向かう。結果はと言うと、まったく寝なかった。6時間ずーっと面白かった。自分の集中力があんなに続くとは思ってもみなかった。尻は痛かった。眠っていたら肉が千切れる夢くらいは見ただろう、というくらいには痛かった。あと膝。6時間ずーっと同じ角度で曲げっぱなしだった、膝。

 

恥ずかしながら「東海道四谷怪談」がどんなお話かをきちんと知らずに生きてきたようなタイプの人間なので、今回の作品の新しさがどこにあるのか、みたいなことはたぶん全くわかっていないのだろうと思う。でも面白かった。現代劇みてるのと同じような感覚で面白いと思えた。口語体と文語体が入り交じるセリフ。現代劇の所作と歌舞伎の所作が入り交じる身体の使い方。歌舞伎のことを何もわかっていない自分がこんなことを言うのは気が引けるけれど、歌舞伎のかっこよい部分(見栄とか殺陣とか)をバッチリ残しつつ、情感的なドラマ部分は解説無しでわかるよう口語体で現代劇的に、という印象を受けた。

 

四谷怪談は怪談話ではなかった。忠臣蔵のスピンオフのような形態で、「お家が大事」という物凄くデカくて重い社会規範を内面化してしまった人びとが規範と思慕の情のあいだで引き裂かれていく、そういう悲劇だった。役者さんはみんな達者だったのだけど、伊右衛門を演じた亀島一徳さんは特に良かった。マザコンで、チンピラで、主君の病気を治すため高価な薬を盗んで逃げた小者をニヤニヤ笑いながらリンチする、まるで綾瀬のコンクリ殺人事件の犯人たちのようなド屑なのだけれど、何か憎めない可愛げとイイやつ感がある。いわゆる「本当はいい子なんです」というやつだ。いや、たぶん伊右衛門だって辛いのだよ。本当なら偉いサムライだったのに、主君お取り潰しで無職だし。お金はないけど、仲間や後輩の手前、イキり続けないといけないし。そんなんだからいっつも借金取りに追われて、家宝の薬まで取り上げられる始末だし。舅を殺してまで手に入れた最愛の妻・岩は仇討ちばっか急かしてきて自分を愛している素振りはないし。おまけにどうやら岩は死病を病んでるし。そんなところに金持ちの娘から惚れられて、死にかけの女房なんて捨てて婿になってよ、婿になってくれたら借金もチャラだし出世もさせるし生涯安泰ですよ…なんて誘われたら、そりゃ迷うっしょ、いくら惚れたオンナだっても迷うっしょ、迷った末にお岩を追い出す決断したってしゃーないっしょ、確かにその結果としてお岩は死んじゃったけど、ありゃ事故だし、そもそも顔がバケモノみたいになる薬飲ませたのは俺じゃないし、そもそも俺は薬のこと知らなかったし、ああもうなんでこんなことになんだよ!なんで思い通りにいかねーんだよ!なんとなくヌルくハッピーになれればそれでオッケーなのによ、なんで面倒くせえことばっか起こんだよ!ああ!あああ!クラスでいちばん脚はえーの俺なのによ!ああ!

 

いつのまにか伊右衛門に成りきって吠えてしまっていた。こう活字にしてしまうと完全なるド屑でこいつのどこに魅力が…?ってなるのだけれど、舞台で亀島さん演ずる伊右衛門を見ていると、憎めなくなってしまう。たぶん伊右衛門は、自分が頑張らなくていい範囲、自分がコストを負担しなくていい範囲であれば、優しくて気立てのいい男なのだ。お岩のことだって本当に好きだったのだ。ただ、ちょっと負荷がかかるとすぐに全部が面倒になってしまい、易きに流れてしまうのだ。俺はどうも、この手のクズを切断処理して憎むことが出来ない。自分もこういうとこあるしな、というのももちろんある。でもそれ以上に、こういう弱さというのは人間の根源的な弱さなのではないか、と思ってしまう。程度の差はあれ、「辛いことから逃げ出したい」という弱さは万民が共有するものであり、遠藤周作が「沈黙」で描きたかったもの、即ちイエスが共に背負ってくださる罪と本質的に同じなのではないかと思うのだ。

 

亀島さんの演技を見ていると、伊右衛門というキャラクターが「稀代の大悪党」ではなく「流されやすくて愉快で気のいい甘ったれのチンピラ」に見える。簡単に言えば、子どもなのだ。子どもだから、色んなことが自分に都合よく進めばいいとばかり考えるし、子どもだから、あれだけ酷いことをしたお岩と星の下で出会い直すような都合の良い甘い夢も見る。子どもだから、大人の論理にはムキになって反抗する。ラスト、伊右衛門を斬りにくる与茂七(この人もまた仇討ちのために女房死なせたり色々あるのだ…)との立ち回りの格好良さよ。あれは子どもの格好良さだ。クラスでいちばん脚の速い男子の格好良さであり、アメリカン・ニューシネマの格好良さだ。「明日に向かって撃て」の、「イージーライダー」の格好良さだ。根拠なき自信と、思想なき反体制と。ああ、あの立ち回り、ほんとカッコ良かった。斬られて倒れた伊右衛門、死んでるのにお腹めちゃくちゃ上下してたなあ。あんだけ動いた後に死ぬの、大変だったろうなあ。

 

劇場に入ったときはお昼だったのに、出たらすっかり夜になっていた。副都心線東新宿ロイホに移動し、佐藤錦のパフェを食べながらお芝居の話なんかをした。それからいつものお店でいつもの人たちとお酒を飲んだ。愛をお金で測るべきではない、しかしお金で表現できる愛もある、そういう話が同じところを何度も回転し、渦を巻いて洗濯機のようになっていた。あのペースで朝まで回転していたら虎だってバターになってしまう。閉店が早めでちょうど良かった。二軒目ではなんの話をしたのかな。あんまり覚えていない。でもなんとなく幸せな感じだった。概ね幸せな夜だった。