bronson69の日記

いつか読み返して楽しむための文章。

雑記

今週の平日が終わった。相変わらず忙しい。ちょっとずつ忙しいのに慣れてきた。鈍感になってきた。細かいことを考えたり、風景を面白く感じたり、そういう場面が少なくなってきた。良く言えば仕事に集中できている、ということだし、悪く言えば人生の楽しみを失っている、ということになる。嫌すぎる。仕事に集中なんてしたくない。仕事のギアは常にローに入れときたい。生産性はできるだけ低くしたい。ひとに怒られないくらいの最低限の仕事だけをして、あとは調べものと見せかけてWikipediaで関東の私鉄の歴史を学んだり、Excelで資料を作成してると見せかけて超人強度100万パワーのウォーズマンが1200万パワーの光の矢になるために用いた計算式を関数で打ち込んだりして過ごしたい。いかにも会社ーッて感じのオフィスで机に座ってスーツ着て仕事をしてる自分がいる、そのことのおかしさに急に気づいてひとり肩を震わせて笑ったりしたい。ほんでまあ特に出世もしないがクビにもならず、役にはたたんがなんとなく憎めないオッサンとして末永く余生を過ごしたい。そう、余生でいいのだ。職場の俺は余生でいい。昼間のパパはちょっと違う。昼間のパパは余生だぜ。

 

なんの脈絡もなくドキュメント72時間について希望を述べるのだけれど、頼むから欲を出さないでほしい、と思う。何かしらの「特別な瞬間」を撮影しよう、などと考えないでほしい。ドキュメント72時間は、ニュース番組のアンチテーゼなのだと思っている。特別なことではなく、普通のことをお知らせするニュース番組。こんなに悪いことが起こりました、こんなにおめでたいことがありました、それはそれで大切だけれど、そればかり見ていると感覚が狂ってしまう。普通の人がいます、普通の人が沢山います、特別なことはないけれど、毎日それなりに嬉しかったり悲しかったり何かを考えたり思い出したりしながら暮らしています。そういうことを、頭ではなく、感覚として理解する。多様な普通が無数に存在するということ、それこそが普通であるということを体感する。そういう光景を美しいと感じることもあるけれど、それはたぶん副次的に得られるオマケみたいなもので、最初からそれを狙っていくのは違うのだと思う。

 

tofubeatsの曲が頭の中でループし続けている。ドキドキはいま以上、baby、君だけを見て、君だけを見て、導かれる、導かれる、ナナナナ。いい曲だ。ぼんやりとして、うわっついて、穏やかで。ドキドキはいま以上、君だけを見て、導かれる、導かれる。珍しいハンミョウを見つけたときのファーブルみたいでもある。ハンミョウは別名をミチオシエといい、観察者のちょっと先を道案内するように飛ぶ習性があるのだ。子どもの頃に読んだファーブル昆虫記にたしかそう書いてあった。ファーブルは昆虫記で、シートンは動物記で、植物記とか魚類記とかは特に誰も書いてはいなかったように記憶している。なぜだろう。観察して記録する種類のひとはもっとたくさんいたはずだと思うのだけれど、みんな何をしていたのだろうか。本はあれども書名がフォーマットに沿っていない、それが問題なのかも知れない。だとすれば、例えば「解体新書」は「杉田玄白人体記」であるべきだし、「日本全図」は「伊能忠敬海岸線記」であるべきだ。べきなのかな。どうだろ。どうなんだろ。なんかよくわかんねえな。

 

夢を見た。PPAPよりも以前からアップルとパイナップルをモチーフにした作品を撮り続けている老いたフォトグラファーについての夢だった。何らかの映画の舞台挨拶か、アートフェスのオープニングの特別対談か、そんな感じの舞台だった。なぜアップルとパイナップルなのか、ですか、そうですね、最初はやはり語呂合わせです。語呂合わせが初めにあって、並べてみたら、色や大きさの対比が面白いと思った。それが一番最初です。そうして写真を撮り始めて、あるところで気がついたんです。この2つの果実は、わたしの心の形そのものなのだと。小さく引き締まって緊張感のある、ツヤツヤとした赤い塊。それから必要以上に大きくあろうとする、刺々しくだらしなく濁った黄色い塊。2つの塊が、左胸と右胸、ここにひとつずつあるんです。ですからこれらの写真はすべて、果物でありつつ、セルフポートレートでもあるわけです。この作品はですね、スライスした食パンに、こちらもスライスしたアップルとスライスしたパイナップルを載せたものです。パン・アップル・パイナップルです。こちらの写真の、この銀色の玉はですね、丸のままのアップルに、アップルが見えなくなるまで針を刺していったものです。アップルに痛みを与えたかったんです。ペイン・アップル・パイナップルですね。こっちはですね、見ただけではわかりませんが、アップルの中をくり抜いて、豚肉を詰めています。ピーマンの肉詰めのような状態です。つまりポーク・イン・アップル・パイナップルですね。老写真家の独白は延々と続く。大真面目に解説し最後はダジャレで落とす、この芸風はケーシー高峰と同じではないか。夢の中の僕はその発見に興奮し、それを共有してくれる相手を探していた。残念ながら夢の中では誰にも伝えられなかったので、ここにひっそりと書いておくことにする。