bronson69の日記

いつか読み返して楽しむための文章。

連休

濁流のようにゴールデンウィークが流れていく。あんなにたくさんあったのに、気がつけばもう余命は幾ばくもない。俺はコップに水が半分入っているのを見ると「まだ半分もある」と思うタイプの人間だけれど、なぜか「まだまだ連休たくさんあるじゃん」とは思えない。「もう連休終わっちまったのかな」と聞かれて「まだ始まっちゃいねえよ」とは答えられない。もう始まってしまったし、始まってしまったからには終わってしまう。ねえ、なんで連休すぐ死んでしまうん。

 

楽しい時間は早く過ぎる。それが真理であるならば、楽しい楽しいゴールデンウィークが爆速で過ぎていくのは自然の摂理ということで、ならば僕にできることはせめて忘れないように書きとめておくことくらいだ。

 

代々木公園でピクニック。晴れてて暖かくて自由で解放されててとてもよかった。スタートは5人くらいで、各々が持ち寄った小さくて可愛い柄の敷物を並べて敷いてささやかな陣地を作って腰を下ろしてお酒を飲んだ。周りには謎ルールの球技(輪になってバレーボールしてるんだけど時折スパイクやブロックが入る、あとサーブもある)を楽しむ外国人グループ、赤い縄で緊縛の練習をする怪しげな集団、それにのんびりとノーマルなピクニックをする様々な人々。最初5人でスタートした集いは、フラリフラリと人が増えていき、終わるころには20人くらいになってた。ひとしきり飲んで内容の無い話をしてゲラゲラ笑ってトイレに立って、少し離れたところから我々の陣地を見ると、みんなが持ち寄った小さな敷物がいくつもいくつも連結されて、カラフルなパッチワークのようだった。バラバラのまま繋がってるその感じがなんだかとても良いなと思った。

 

別の日。井の頭公園に三浦直之のお芝居「パークス・イン・ザ・パーク」を見に行った。「パークス」という井の頭公園を舞台にした映画があって、そのスピンオフ、ということになるのだろうか。映画は未見。とてもユルくて、自由で、可愛いお芝居だった。場所と観客と俳優が作り出す、柔らかくて優しい世界。想定外やハプニングがふわりと許容される。開始前に島田さんや三浦さんが撒いてた桜の花びらをみんなで拾うシークエンスは楽しかったなあ。すぐ拾えると思ったんですけど多く撒きすぎました、これぜんぶ拾わないと公園の人に怒られるんですけどもう仕方ないです、これ以上ここで時間使うと音出しできる時間内に終わらなくなっちゃうんで先に進めます、みなさんご協力ありがとうございました!こんなアナウンスが芝居中に挟まれ、しかしそれがまったく雰囲気を壊すことなく、むしろ穏やかな空気を作ることに貢献していた。たぶん公園のなせる技なんだと思う。誰でもそこにいて構わない、そこで何をしていてもよい、そんな空間。ひとが集い、思い思いの時間を過ごす。そういうひとを眺めながら、ここらにはいろんなひとがいるのだな、いろんなひとがいろんなことをしているのだな、そういうふうにできているのだな、それが当たり前のことなのだな、と肌で感じる。だから、良い都市には良い公園が必要なのだと思う。

 

五月。藤の大棚を見たくて、あしかがフラワーパークへ行った。通勤ラッシュのような電車に揉まれること三時間、栃木県の富田駅で降りる。歩いてフラワーパークへ向かうと、たくさんの人、人、人、そしてそれを上回る花、花、花。

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花を見すぎて脳がバグったのは初めての経験だった。花のゲシュタルトが崩壊した。むせ返るような花の香りってやつを体験したのも初めてだった。化学物質過敏症のひとはここにきたらどうなるのだろう。完全に天然由来の香りだけれど、たぶん普通に具合悪くなるんじゃないか。そのくらい強い香りだった。あと中華圏の方々の自撮りポーズのバリエーションの多さに感心させられた。さすが四千年の長きに渡って積み重ねられた自撮りの歴史である。我々とは年季が違う。

 

宿は鬼怒川温泉にした。偶然にも、僕が予約した宿は彼女の子供時代の家族旅行の定番の宿だった。ここ来たことある、このお風呂見覚えある、彼女は移動するごとに記憶とエモが蘇っている様だった。どうせなら部屋も同じならよかったのだけれど、そこまで上手くはいかなかった。温泉で疲れを癒やし早々に就寝。翌日は日光へ。日光はとにかく湯葉だった。湯葉をめっちゃ推してくるのに豆腐はどこにも見当たらないのは何故だろう。湯葉が美味いなら豆腐も美味いのでは。とりあえず揚げ湯葉饅頭(要するに饅頭の天ぷら)と湯葉むすび(炊き込みご飯のお握りに湯葉を巻いたもの)が凶悪に美味かった。つまみ食いをしながら、東照宮を目指し長い坂道を登る。「お寿司 中華料理」と書かれた看板に首を捻りつつ歩いていくと、今度は「お寿司 聖飢魔II」と並んで書かれた看板を見つける。日光におけるお寿司とは何なのだろう。我々の知っているお寿司と日光のお寿司は別物なのだろうか。検証したいところだったが、両店ともシャッターは降りていた。後ろ髪をひかれながら坂を登り、東照宮手前の金谷ホテルでランチにする。ふかふかの赤絨毯の感触が足裏に心地よい。いいなあ。一度泊まってみたいなあ。

東照宮は中国だった。装飾の色使い、元ネタになってる故事成語や逸話、それらが尽く中国なのだ。
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自分の知ってる寺社仏閣や桃山〜江戸文化との乖離がすごくて混乱する。儒学の影響だろうか、などと考えて調べながら拝観するも資料が見つからない。そもそもの自分の認識が間違えてるのか、当時の建築・美術としてはこの感じは普通のものなのだろうか。誰か詳しいひとがいらっしゃれば是非ご教示いただきたいものです。あととにかく人と坂がしんどかった。かの有名な眠り猫を見るための行列があったのだけれど、眠り猫を目指し並んでいると、そのまま山の上にある家康の霊廟へ続く長い長い石段に誘導されてしまうシステムになっており、しかも人が多すぎて後戻りすることも困難で、数多のお年寄りが石段の途中で難儀していた。加藤鷹みたいな外見のお爺さんといたってノーマルな外見のお婆さんが支え合い励ましあいながら石段を登っていて何というか愛だった。若いころはいろいろ苦労もあったのだろう、いまは幸せそうで何より…みたいなことを勝手に考えてしまう。実際は昔からラブラブだったのかもしれないし、むしろお婆さんがやんちゃしてたのかもしれない。真相は不明なので妄想するしかないのである。

境内の中で何箇所か、お堂に上がれるスポットがあり、そこではお坊さんの解説を聞けるのだけれど、喋りがこなれすぎてて逆に違和感だった。なんだろなこのこなれ方、坊さんっぽくないんだよな、なんかに似てんだよな、と思いながら解説を聞き、先ほどみなさんがなさったお参りね、あれと同じだけのご利益のあるお守りがこちらになります、全6色に加えて陽明門の回収記念でいまだけの限定カラーをご用意しました、なんとゴールドです、金ピカですよ、ね、ご利益ありそうでしょう、のあたりでこれはただの実演販売なのでは…ってなった。でもよく考えるとそもそも東照宮とは家康を神格化することで徳川幕府の権威を高める政治的装置なわけだから、いまの東照宮が現世利益を追い求めることはアティチュードとして正統っちゃ正統なのだ。

 

東照宮を見終えるころには日が暮れかけていた。寒くなってきたね、温かいものを食べたいね、そんなことをいいながら参道を下り、茶店の看板の「お食事」「蕎麦」の文字に吸い寄せられるも軒並み閉店済みで、やっと見つけたのは参道の外にあるお肉屋さんだった。我々はそこで唐揚げを注文し、店先のベンチに座った。酷使した脚を曲げると関節がバキバキと音を立てた。しかしよく歩いたね、早く温泉に入りたいね。そんな言葉を交わして少しふくらはぎを擦った。それから、山の端の色が群青色に変わっていくのを眺めながら、唐揚げが揚げられるのをふたりでじっと待っていた。

 

帰ったらその日の夜に末広亭深夜寄席に行こう、そのためにもチェックアウトしたら遊ばずにそのまま帰ろう。そう言って朝10時すぎの特急列車に乗る。大荷物(帰路の荷物というものはなぜあんなにも膨らむのだろう、そんなにお土産買ってないのに)を抱えて新宿駅に降り立ち、なぜかそのまま高島屋のパティシェリアに行ってケーキを食べる。たぶんあまりの疲労に身体が糖分を欲したのだと思う。ひとり二つのケーキを食べ、タクシーで家に戻り、そのまま熟睡。昼過ぎに起きて公園へ行き、日暮れまで何をするでもなく日光を浴びる。帰宅してダラダラとしているうち落語の時間が近づくも、二日間歩き通しの疲労で完全に駄目になってしまい断念。凪でラーメンを食べ、彼女を駅まで送って帰宅。柴田聡子の「後悔」をリピート再生しながら潰れるように眠る。

 

この休みのあいだ、ずーっと「後悔」をリピート再生していた。旅行中もホテルの部屋で聞いていた。メロディも声も歌詞もすごくいい。旅行のあいだもつい口ずさんでしまって、そしたら彼女にもそれが伝染して、ふたりで口ずさみながら歩いていた。バッティングセンターでスウィング見て以来実は抱きしめたくなってた、のところばっかり歌ってしまうので、彼女の中ではこの歌はバッティングセンターの歌ということになっているらしい。柴田聡子のバッティングセンターの歌。それはそれで悪くない呼び方のような気がする。

 

五月の連休はこんな感じで過ぎていった。