bronson69の日記

いつか読み返して楽しむための文章。

アーの湯、赤ちゃん、玉田企画

三連休だった。

 

土曜日だけどいつもと同じ時間に起床。風呂に入り、散髪に行く。安床でいつもと同じオーダーをする。それでもいつもちょっとずつ違った仕上がりになるので人間の仕事という感じがある。きょうの美容師さんはなかなかよい塩梅に仕上げてくれた。

 

帰宅して軽くゼルダやって試練の祠を2つほど潰して休日出勤の彼女をやさしく起こし、普通に起こし、強めに起こし、起きたところでミッションクリアで家を出る。地下鉄地下鉄JR、電車を乗りつぎ蒲田に到着。ディデアンでスリランカカレーのビュッフェ。

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カレーが6種類。ナス、バナナの葉、フィッシュ、インゲン、オクラ、豆、チキン。それからサンボルが4種類。普通のポリサンボル、辛いチリサンボル、キャベツのサンボル、オニオンのサンボル。他にも副菜がいくつか。ご飯は雑穀米とスパイスライス。とりあえず全種類を皿に乗せ、まずは個々の味を確かめ、ちょっとずつ混ぜ合わせていき、最終的にはすべて混ぜ合わせて渾然一体となった味を楽しむ。しみじみと美味い。ビュッフェなので仕方ないのだけれど、いくつかのカレーは冷めてしまっていて、本調子ではないのだろうなあ、という感じ。フィッシュカレーの魚臭さが苦手な感じだったので、二回目はフィッシュカレー抜きで。ついでにチキンカレーも抜いて、ベジタリアンな一皿に。美味い。よくわからないけど身体に良さそうな、アーユルヴェーダな風情がある。ところでアーユルヴェーダって何のことなのだろう。調べれば一発でわかるのだろうけれど、簡単にわかってしまうには惜しい言葉だと思うので調べないままここまで来ている。

 

バスに揺られて蒲田温泉へ。コントユニット「明日のアー」主催のイベント「アーの湯」を見に来た。

 

コント、浪曲、何でもレンジでチンする会、高速紙芝居、ドラえもん好きが言われるとキレる言葉、弾き語り、かっこいいポーズ、絵描き歌、有毒動物の危険性について、朗読、提案、いなり寿司のストリップ、こういう演目を、銭湯の宴会場で、ビールと釜飯をやっつけつつ見る。開演は一時、終演は八時。要するにあれです、宴会芸のフェスです。やってることはとても知性を感じる芸ばかり(馬鹿にいなり寿司のストリップはできない)なのに、見ているとどんどんIQが下がっていくこの不思議よ。AC部の高速紙芝居とロロ島田桃子さんの朗読、それに玉川大福さんの浪曲、このあたりちょっと芸のレベルが別格でした。ネタはたいそうくだらないのだけれど、そのネタと芸の落差がたまらなかった。七時間公演のラストはダンシングクイーンに合わせてみんなで盆踊り。謎の一体感に包まれて大団円。終演後も宴会場に居残ってしばし飲み続け、黒湯の温泉に浸かって終電で帰宅。よいイベントでした。

 

日曜日。子どもの産まれた友人の家で出産祝いの集い。嗚呼、生後三ヶ月の赤ちゃんの可愛さよ。順繰りに赤ちゃんを抱っこしつつ近況報告をする。学生時代も含めればもう十数年の付き合い。十数年の間にそれぞれに様々がありながら、それでも仲の良い友人関係は代わらずに続いている。よく晴れた日曜の午後、集まって赤ちゃんを愛でている。なんだろう、この普通さ。圧倒的な普通さ。あまりにも普通で、普通に幸せで、信じられない気持ちになる。こんなふうになるなんて、思ってもみなかった。こんなふうな幸せな一日を過ごすことがあって、そのことを幸せに思う、そんなことが実際に起こるなんて、想像もできなかった。帰りがけ、駅までの道すがら、そんなことを話したらみんなおんなじように思っていたようで、なんだか少しホッとした。

 

月曜日。三連休もいよいよ終わり。イベント続きの土日に疲れた感じもしつつ、小竹向原のアトリエ春風舎へ。玉田企画「少年期の脳みそ」、最終日にすべり込み。すごく良かった。部活とかサークルとか先輩後輩とか、幼なじみとか長過ぎる春とか、そういうなんとなく、何かしらのきっかけがあれば簡単になくなってしまうような人間関係。その初々しさ、不穏さ、儚さ。ダブルスの二人は部活を引退すれば疎遠になるだろう。同棲する二人はいつか「私たちこれからどうするの?」という言葉を発するだろう。大学生と高校生のカップルは就職か進学かどちらかがきっかけとなって別れるだろう。すべての関わりが「このままではいられない」ような種類のもので出来ているから、実際に為されているのがどんなにコミカルなやり取りであろうとも、舞台の上には常に終わりの気配が漂っている。それがたまらない。作中では関係の変化は描かれないのだけれど、だからこそ、変わる前の最後の瞬間を切り取ったような美しさを感じる。咲き誇る朝顔のような美しさ、というとちょっと言い過ぎだろうか。笑ってやがて切なくなる、ではなく、笑いと切なさが常に同居するような、そんな作品でした。

 

コンテンツの摂取のしすぎでちょっとグロッキー。ぐったりと疲れたけれど、よい三連休だった。