bronson69の日記

いつか読み返して楽しむための文章。

「カルテット」「夫のちんぽが入らない」

火曜。カルテット。第一話。なんだろう、幸せな時間だった。ブルーグレーに覆われた画面。タイトルロゴ、別荘の壁紙、マイクロバスの車体。満島ひかりが好きだと言った、真冬の薄曇りの空の色。指し色はオークだ。暖かみを感じさせる、樹木の色。冬の森のような、寒々としているけれどどこか暖かい、そういうカラーリングの画面が続く。そういう二面性のモチーフは至るところに現れる。内気なのに大胆な女性、神経質なのにルーズな男性、親密なようでいて秘密ばかりの関係。お互いの本当のところはまるでわからない、だけれども共感することはできるし、一緒にいることもできる。それはバラバラの旋律を弾きながらひとつの曲を奏でる四重奏のようでもあるし、中央に空虚を持ちながら円でつながるドーナツのようでもある。それを表現するのは坂元裕二の必殺技、噛み合わないけれど回転する会話。4人ってメインキャラの数もちょうどいいと思う(『問題の多いレストラン』や『いつ恋』はキャラが多すぎてとっちらかってまってたと思ってる)し、脂ののった主演陣の演技も最高だし、脇を固めたもたいまさこイッセー尾形も完璧だった。これを形にしたプロデューサーは褒め称えられるべきだと思う。それともTBSが褒められるべきなのか。いまのTBSには「無闇に数字に振り回されず本当にいいものを作ろう」みたいな気概を感じる。そうじゃなきゃ元旦にお笑いキャノンボール放送しないでしょ。この調子でつきすすんでほしい、もちろん商業的にも成功してくれればなお嬉しい。

 

水曜。遅くまでカルテット見てたので寝不足。仕事帰り、新宿で彼女と待ち合わせ。待っている間、地下鉄のホームのベンチに腰を下ろし、こだまさんの「夫のちんぽが入らない」を読む。一気に読了。まるでジョン・アーヴィングの長編を読んだかのような読後感。この世界には幸福も不幸もなく、ただひとりひとりの人生だけがある。そのことを思う。「普通」も「まとも」も「当然」も「当たり前」もなく、ただ個人が歩いてきた道のりだけがある。我々は、すべてのひとりひとりの私は、こんなはずではなかった生を歩き、私にしかわからない形で和解をする。そのことの美しさを思う。僕のいるホームには2分刻みで電車が止まり、そのたびに大量の人を吐き出し、また吸い込んで去っていく。雑踏のなかでこの本を読めて本当によかった。かけがえのないワンノブゼムに囲まれて、自分もそのひとりになれて本当によかった。

 

彼女と合流して帰宅、ナスとカリフラワーと豚肉のビンダルー、芽キャベツクランベリーとナッツのサラダ、トマトとアボカドとモッツァレラのサラダ。健康的で美味しい。ごちそうさまでした。

 

早寝したかったのにもう一時。早いなあ。平日でももっとゆっくりしたいなあ。コンテンツを楽しめるだけの時間がほしいなあ。 

 

とりあえずきょうはもう寝よう。

おやすみなさい。良い夢を。