bronson69の日記

いつか読み返して楽しむための文章。

しばらく前の日曜日

日記なのに間が空いた。

 

昼過ぎに家を出て、明治神宮に向かう。そろそろ地元より東京住まいのほうが長くなるけれど、明治神宮には行ったことがなかった。明治神宮前駅より原宿駅のほうが明治神宮に近いことも知らなかった。参道の鳥居のデカさと森の深さにテンションが上がる。七五三の子どもたちがたくさん歩いている。自分の七五三のことは全く覚えていない。ただ、実家の古いアルバムには、羽織を着て志村けんの真似をしている5歳の自分の写真が残っていて、だから七五三はやったのだと思う。普段着ない綺麗な服を着て、じっとしていることを要求され、すぐに飽き、あのころ世界で一番面白い存在だと信じていた志村の真似をしていたのだろうと思う。あのころの僕の世界は志村サイズだった。志村より面白い概念が存在するとは思いもしなかった。志村が凄すぎて、大きくなったら志村になりたい、とすら思えなかった。当時の僕の夢のひとつは、ドリフの新メンバーとして志村の横に立つことだった。あとビックリマンチョコの工場で働く人になりたかった。または遊び人になって働かずに暮らしたかった。今の僕は、志村の横でもビックリマンチョコの工場でもない場所で働いている。どの夢も叶うことなく今がある。

 

明治神宮は広い。七五三の親子、花婿さんと花嫁さんの行列、外国からのお客さん、何をするでもない我々、それから神様。様々な人々が神様の懐の内でうろうろとしている。全国の酒蔵が奉納した酒樽がずらりとならんだ一角があった。松竹梅、富久娘、開運といった縁起のよさそうな酒樽に並んで、「鬼ころし」の真っ赤な酒樽が三つ並んでいた。あの樽ひとつで紙パックいくつ分だろうか。やはり酒樽にもあのストローが付属しているのだろうか。酒樽からストローで吸う酒はどんな味がするのだろうか。

 

明治神宮を出て、青山のファーマーズマーケットに向かう。屋台で何か食べようとするけれど、美味しそうなものには大行列が出来ている。会場の端っこで青森県のフェアをやっていて、売店では十和田バラ焼きを販売している。甘辛いタレの香りが食欲をそそる。ひとつ買い求め、おにぎりかなにか主食になるものはありませんか、と尋ねると、あちらの列にお並びいただいて簡単なゲームにご参加いただいた方に青森県産の新米のおにぎりを無料で差し上げております、と返ってきた。ふうむ、と「簡単なゲーム」の様子を観察する。4組の二人連れが舞台に並んでいる。二人連れの片方は舞台に開いた穴から顔を出し、こちらからは見えない体の部分をなにやら必死に動かしている。もう一人はその顔の前に立って大声で応援をしている。しばらくそうこうしていると何らかの基準によって勝敗が決したようで、顔ハメをしていた側がぞろぞろと舞台に出てくる。二人連れは無言で袖に消えていく。捌けながらおにぎりをもらう彼らの顔は、一様に敗者のそれだ。そこに勝者はいなかった。我々はおにぎりを諦め、甘辛く脂っこいバラ焼きを単体で食べた。美味しいけれど、単体で食べるには辛い味だった。心底おにぎりが欲しかった。けどあのゲームだけは絶対にやりたくなかった。まさかこんなところでこんなに強くてしょうもない葛藤に襲われるなんて。そんなこと思ってもみなかった。

 

そこから上野に飛んで、純喫茶に入った。僕はクリームソーダを注文した。彼女もクリームソーダを注文した。さほど広くないテーブルには、フォトジェニックなクリームソーダが二つ並んだ。


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何時間その店にいたのだろう。彼女は仕事をし、キーボードを叩いた。僕はクリームソーダを飲み、なくなると置いてあるスポーツ新聞を読んだ。興味のない競馬や競輪のページまで、全紙きっちり読んだ。読むものがなくなり、広島カープについて書かれた記事を改めて読んでいると、彼女がパソコンを閉じた。もういい、もう限界だ、ご飯だ、ご飯を食べよう。そして我々は閉店間際の豚かつ屋さんに飛びこんで豚かつをお腹いっぱい食べた。幸せなお腹を抱えて、秋葉原まで散歩して、それから家に帰った。

 

しばらく前の日曜日は、だいたいこんな一日だった。