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bronson69の日記

いつか読み返して楽しむための文章。

鍋、塊肉、誕生日

この間、大学時代の友人と、ここ数年ずっと行きたいと思っていた大木屋に行き、塊肉を焼いた。大きいものは単純にテンションが上がる。海鮮サラダ、塊肉、海鮮、塊肉、もんじゃ、もんじゃのコース。なぜもんじゃが二回もあるのか理解に苦しんだ。お腹はもっと苦しかった。塊肉は美味いのだけれど。二度目はないなー。でも数年越しの宿題をやっつけたようで嬉しかった。大木屋のあとは新宿に移動。地下のバーでウイスキー。古くて安くてピシッとしていて大衆的でとても良い店。近況を報告しつつ飲む。みんな変わらんな。仕事してんだかしてないんだかわからんようなところが変わらん。飄々としている。バリバリやってます、みたいなやつはひとりもいない。そういうタイプじゃないからいまだに仲良くしてるんだろうな。

 

この日の集いの名目は僕の誕生日祝いだった。我々が集まるときは誰かの誕生日を名目にすることが多い。特にプレゼント等は送らない、ただそいつの飲み代を安くするだけ。本チャンの誕生日は、恋人がお祝いしてくれた。美味しい手料理と、ジャン・ポール・エヴァンのチョコレートとラズベリーのケーキ。プレゼントは僕には分不相応なくらい素敵で高価な鞄。包みを開いて驚いていると、彼女は僕に、ねえ早く持ってみせて、と言った。新品の鞄に適当にものを詰めて、上着を羽織って鞄を持つ。手に持ったり、肩にかけたり。彼女は僕の周りをくるくる回って、うん、思ったとおり、と笑った。流石に高すぎるかなと思って迷ったんだ、でも見つけちゃったから、絶対に似合うと思うやつ見つけちゃったから、もうこれしかない!って思い切ったんだ、イメージどおりだよ、すごく似合ってるよ、これにしてよかった。嬉しそうに眼をキラキラさせて話す彼女を見ていると、分不相応に感じていたその鞄が、自分に似合っているような気がしてきた。僕の思う僕のイメージと、彼女の思う僕のイメージはたぶん違っていて、彼女の思う僕のイメージのほうがたぶん素敵で、ならば僕は彼女の思う僕のイメージに僕を近づけていきたいと思う。彼女の思う僕が本当の僕であればいいと思う。素敵な鞄に似合う素敵な僕でありたいと思う。

 

鍋が美味しい季節になった。きょうは鶏つくねとクレソンと牛蒡の鍋を作って食べた。鍋は良い。出汁をとる、という行為が良い。土鍋に水を貼り、昆布をいれ、火にかける。そうして沸騰するまでの間に、味付けの方針を考える。実際には何を作るか決めて買い物をしているのだけれど、いまならまだ引き返せるぞ、どうする、どうする、と考えるのが好きなのだ。カレー作りでスパイスをテンパリングしているときに似ている。まだ未分化の、選択肢を豊富に抱えた状態、料理モラトリアムな状態が好きなのだな。未来が決定してないのがいい。決定してしまうとつまらない。後は作業だもの。ああそうだ、俺は作業が嫌いなのだな。仕事と同じだな。

 

クイズ☆タレント名鑑が復活してくれて嬉しい。名前がスター名鑑になった意外はほぼそのまんま。口が悪くてゲスくて面白い連中の飲み屋話をずーっと聞いてるような感覚。たぶん30歳より下の人は意図的に置いてけぼりにしてる。北野印度会社とか統一教会飯星景子とか年寄りしか知らんし。でも知らなくてもよいのだ、昔のとんねるずなんか、視聴者が知り得ない楽屋話を説明もせず延々やっていて、それがバツグンに面白かったのだから。「面白いひとが面白おかしく喋って盛り上がってる」という光景は、話の中身がわからなくても面白いのだ。センスと回転と熱量、三拍子揃った様を毎週楽しめるのだと思うととても嬉しい。

 

秋が駆け足で過ぎていく。

ここ最近はこんな感じ。