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bronson69の日記

いつか読み返して楽しむための文章。

本気で好きな人

ちょっとした切っ掛けがあって、昔の日記を読み返した。やたらとエモい文章を前に、恥ずかしいような、切ないような、懐かしいような、何とも言えない気持ちになった。

 

そこには嘘偽りないそのときの本当が書かれていた。あなたでなければいけない、別の誰かでは駄目なのだ、あなたがいない人生なんてただの地獄だ。その言葉はすべて本心で、本当で、思い込みでも誤解でも何でもないただの真実で、だから言葉がやたらと重たくて、あのときのことを思い出してしまって具合が悪くなりそうだった。

 

ただ、僕はもう、その言葉が真実であった世界に暮らしてはいない。あれほど大切だったあのひとのことを、いまの僕はなんとも思っていない。恨んでも憎んでもいないし、好きでも嫌いでもない。ただどこかで元気でいてくれればいいな、と思っている。それは僕の人生において少しでも関わりを持ったひとみんなに対して抱くような、人類愛的な優しさの発露に近くて、そのひとだけの特別さみたいなものはもうほとんど感じられなくなっている。あの特別さはどこかに消えてなくなってしまった。

 

いま、僕には恋人がいる。そのひとのことをほんとうに大切に思っているし、そのひとなしの生活なんてもう考えられないし、考えたくもないと思ってる。そう思ってる僕の気持ちはどれだけ伝わっているのだろうか。あのひとは、疑うことを知らない子どものような天真爛漫さと野生動物のような警戒心を併せ持っているようなところがある。もしかしたらこいつは元彼女にまだ気があるのでは、元彼女を好きでなくなったようにわたしのこともいつか好きでなくなるのでは、わたしのことは好きなのかもしれないけれど一番では無いのでは…?どうも常にそういう疑念の眼で僕を見ているような気がする。で、そういうところも可愛いな、なんて思ってしまうので僕もたいがい重症なのであった。

 

警戒心をほどくには、とにかく積み重ねていくしかない。蛍がキタキツネを餌付けしたときのように。「信じる」とは意志のチカラによってなされる能動的な行為であり、「信じている」とは安心の積み重ねによって得られる生体反応である。だから、僕は根気よく積み重ねていかなければならない。僕がどれだけ彼女を大切に思っているか、どれだけ好ましく思っているか、僕の眼に映る彼女がどんなに綺麗か、そういうことのひとつひとつを伝えていければいいと思う。言葉だけではなくて、いつのまにか包みこむように、染み込むように伝えられたらいいなと思う。10月の秋の公園の風の涼しさや日向の暖かさ、だんだん色づいていく木の葉、手のひらに刺さる枯れた芝生の感触、僕の気持ちもそういうものと同じようにそこにあったら素敵だな、と思う。そうして毎日を過ごしていれば、きっといつかは伝わるだろう。まあ、焦る必要はないのだ。僕らはずーっと一緒にいるから。僕はただ、ああ、きょうもかわいいなあ、と思って笑顔を浮かべていさえすればいいのだ。

 

ねえ。

きょうもとっても可愛いよ。

愛してるよ。