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bronson69の日記

いつか読み返して楽しむための文章。

いわき総合高等学校総合学科第13期生卒業公演「魔法」

土曜日。あんまり楽しいことがありすぎて、一気に書ける気がしないけれど、書けるだけ書いてみる。

 

夏休み一日目。明日は弾丸帰省法事ツアーが待ってると考えると、夏休みらしい夏休みはきょう一日だけかもしれない。さーて何しよーかな、家でダラダラ過ごすのもいいよな、どーすっかな、と考えて、いわきにお芝居を見に行くことにした。ロロを主催する三浦直之の作・演出で、20人の女子高生がお芝居をする。彼女たちはいわき総合高校の演劇コースの生徒さん。けれど必ずしも演劇大好きっ娘ってわけではなく、演劇部に在席してるのはそのうちの二人だけ、らしい。あとは普通より少し演劇の訓練を受けただけの普通のいわきの女子高生。もしかしたら人生で最後の舞台かもしれない。そんでお芝居のタイトルが「魔法」。こんなんねえ、魅力しかないよねえ。

 

特急列車は満席だし、高速バスは帰省ラッシュでえらいことになるだろうし、と考えて、行きは常磐線の鈍行列車に乗ることにした。ここ半年くらいずっと、鈍行列車で北に行きたいと思ってたから、なんというか渡りに船だった。駅でラタトゥイユとチキンのサンドイッチ、それと缶のハイボールを買って、西日暮里を9時前に出る常磐線に乗りこんだ。片道4時間の長旅だ。カバンの中には単行本を一冊と、文庫本を二冊。イヤホンからはサニーデイ・サービスの「スロウライダー」。ヘイ、鈍行列車、スロウライダー、ヘイ、ヘイ。

 

東京の下町を通り抜け、利根川を渡るころには町並みが変わる。東京だと西側のニュータウンに見られるような、相似形の箱型の家がびっしりと並んでいる。ニュータウンは地形の起伏に沿って波打っているけれど、ここいらは土地が平たい関東平野ど真ん中なので、見渡す限りに相似形が並んでいる。この辺りは東京よりも土地が安くて建築の制約条件が少ないのだろうな、と思う。制約条件が少ないということは、みんな好きなだけ自由に振る舞えるということで、自由にした結果として相似形が並ぶのなら、ひとの欲望は似通っているってことになるのだろうか。最大公約数でまとめてしまえるくらいに。

電車は川を渡っていく。江戸川、利根川、それから名前の分からない小さな川を何本も。流れている水は好きだ。上流でも下流でもない、適度な川幅で、コンクリートに固められていない川。街の住人が毎日なんとなく渡っている川。生き物の匂いのする川。生きている川。

それから海。水戸から常磐線をさらに乗り継いで、福島県に入り、勿来駅のあたりに差し掛かったころ、車窓からきれいな海が見えた。


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海が見えてから一時間ほどでいわきに到着。とりあえずお昼ごはん、と久しぶりの半田屋で調子に乗って食いすぎてさっそく轟沈。しばし休んでから目的地へ向かう。

 

すごく立派な劇場で、でもアットホームな環境だった。客席には同級生や先輩、ご家族の方がたくさん。校長先生のご挨拶もあった。開場して15分後、生徒さん達が出てきて準備運動をする。20人のその立ち姿がもうなんとも言えず高校生で、もうそれだけでこみ上げるものがある。本職の女優さんとは違う、重心の定まらない立ち方。客席を見て友人と目を合わせ、照れくさそうに笑う顔。発声練習を間違えて、隣の友達とじゃれあう姿。高校生がそのまま舞台に立っている。「わざとらしく高校生を演じている高校生」ではなく、ただの高校生が、ただの高校生として、舞台の上で成立している。それだけで強烈な輝きを放っている。青春を描いたこの舞台は彼女たちにとって紛うかたなき青春そのもので、そしてそもそも舞台なんかなくたって彼女たちは青春を生きている。「青春を生きている」という事実が、立ち姿だけで伝わってくる。この状態で舞台に立てるなら、それだけで半分は成功したようなものだと思ったし、その予感は間違っていなかった。

 

この世界において「魔法」とは、かける側とかけられる側の協力で成り立つもので、本当はそこにないものをあたかもそこにあるかのように振る舞うような行為によって為されるものだ。それはつまり、演劇である。演劇こそが魔法なのだ、そう宣言して物語は始まり、いくつかの魔法を経て、最期には演劇を超えた、虚構性を超えた「魔法」を提示する。

 

すべてのシークエンスが最高で、みんなひとりひとり違った光を放っててほんとに最高だったのだけれど、どれかひとつというならば、やっぱりラストの「音楽が鳴るとき、体育館の裏で」に触れずにはいられない。

ダンスは得意ではないけれど、真面目なソソ。覚えの遅いのを気にして、みんなが練習をする体育館の中ではなく、体育館裏で練習をしている。クラス全体を気にかける安室。ソソの様子を見にきて、ダンスを教える。練習をサボって「少女漫画の場面にぴったりくる音楽」を探す暖かとときめく、居合わせる楓。サボり組の様子を伺い、練習に参加させようとする安室。「この漫画に合う曲を見つけたら練習に行くから」と言い訳をして逃げる暖かとときめく。ソソと練習を続ける安室。ソソがおずおずと安室に言う。「一緒に踊っでみてくれないかな…?」嬉しそうにオーケーする安室。漫画に合う曲を探し続ける暖かとときめく。楓が「ねえ、こんなのはどうかな?」とスマホをスクロールする。ソソと安室が「せーの、」で踊りだす瞬間、楓が音楽をかけて、それでー。

 

ここで江本祐介の「ライトブルー」のイントロが爆音で流れたとき、舞台の上で弾けるように踊るソソと安室を見ながら、僕の涙腺から涙が噴き出した。だって、この曲、この夏ほんとに毎日聴いてた曲だったから。この曲は恋の歌だけど、同時に青春の曲でもある。女の娘が青春をしているとき、恋をしていなくても3センチくらいは浮いてるし、きっと楽しいの連続だし、昨日の月9の話をするだろう。もちろんそれが虚構なのを僕は知っている。3センチ浮くどころか3メートル沈んだような毎日を送る青春だってあることを知っている。けれどそれでも構わないのだ。だってこれは魔法だから。魔法であるがゆえに、虚構が現実を覆うのだから。虚構であったとしても、舞台の上には現に輝いている女の娘たちが居る。彼女たちひとりひとりの毎日が浮いてるか沈んでるかはわからないけれど、いまこのとき、彼女たちは3センチどころじゃなく浮かんでいる。輝いている。舞台の上で輝いてみせるいまこの瞬間、彼女たちの青春は輝いている。

 

音楽は、空間や時間を超えて、交わらないはずのあそことこことを交わらせる。踊る身体は演じているペルソナと本当の人格を混同させる。輝いてるのは役柄なのか、本人なのか、わからなくなる。鮮やかな色した景色の中で、未来へ向かって、20人がダンスする。訳もなく心が踊る。息をするのも忘れるほどに。

 

本当に本当に素晴らしかった。

みなさんお疲れ様でした。

素晴らしいお芝居を、ありがとう。

 

帰りは特急列車にした。橙色の大きな夕焼けが車窓に乱反射してキレイだった。海はブルーグレーに染まっていた。日が暮れてから、真っ赤な花火も見ることができた。イヤホンからはずっと「ライトブルー」が流れていた。

 

まだ心臓がバクバクいってる。

強めの魔法にかかったみたい。

一日ずーっと素晴らしかった。

最高の夏休みでした。