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bronson69の日記

いつか読み返して楽しむための文章。

切り取る

酔っぱらって面倒くさくなってるとき以外はなるべく毎日日記を書くようにしている。僕の日記は日記なので、基本的にはその日にあった出来事を書くことが多い、のかな?どうだろう、出来事じゃなくても適当に思いついたことを書いてるような気もする。でも思いつきでもそれはその日に思いついたことであるから、広い意味でその日の出来事ってことで良いのではないか。どうだろ。詭弁の匂いがするね。

 

書かれなかった物事について思う。毎日いろんなことがあるけれど、僕が日記に書き記すことはそのうちのほんの一握りで、書かれなかったことの方が圧倒的に多い。何を書いて何を書かないか、別に基準があるわけじゃない。多くの場合は考えてすらいない。自動書記状態になったとき、指の流れに乗っかるかどうか、それだけだ。リズムと流れで文章は生まれる。

 

僕は、未来の僕を楽しませるために日記を書いている。過去の日記を読み返すのはなかなかに楽しい。この娯楽に関しては、僕より楽しめる人間は他にいないだろうな、いつもそう思いながら読んでいる。そうやって何度も読み返して、反復と定着のプロセスを繰り返すうち、僕の記憶は編集され、書かれていることだけがあったことであるかのようになっていく。書かれていないことは記憶から失われる。好きとか嫌いとか、最初に言い出したのが誰だったのか、わからなくなっていく。

 

いまのところはそんなことはしていないけれど、嘘を書き連ねていけば人格を書き換えることだってできるかもしれない。日付を遡って、幼少時代から嘘の日記を書き連ねて、それを毎日読み込んでいけば、自分を上書きできるかもしれない。例えばジブラザダディの人生をそっくりトレースする日記を書いて、悪そなヤツはだいたい友達だと思い込むようになったら、フリースタイルダンジョンを見て俺はどう思うのだろうか。「あれ?俺がテレビに出てる!?」とは思わないよね、たぶん。だって記憶をどう書き換えようと見た目は変わらないから。「俺の偽物だ!」って思うのかな。でもそれもないよね。経歴がそっくりな別人ってのは普通に存在するわけじゃん。幼稚園から同じ学校通って同じ省庁で官僚になりました、みたいな。だとするとどうなるんだろう。「同じような人生辿ってきたのに、アイツは表舞台にいて、俺は、俺は……」みたいになんのかな。うわあ。人格を書き換えるメリットがまるでない。労多くして得るものが何もない。

 

別のことを考える。僕が日記に書かなかったことばかりを書いている僕の日記(ややこしい)があったとして、その日記によって書き換えられた僕は、いまの僕となにか違いがあるだろうか。これはたぶん、違いがあると思うんだよな。僕が僕目線で取捨選択した記憶を積み重ねていく、という行為は、行動と記録と、二重に僕の選択が含まれるわけで、僕の僕らしさみたいなものを複利で増幅していってるはずなんだよな。これが、僕が誰かによって取捨選択された記憶を積み重ねていく、だと結構変わると思うんだよ。その誰かにガッツリ影響されるんじゃないかな。僕の毎日を舞城王太郎が日記にしたら僕はもっと饒舌になるのだろうし、西尾維新が日記にしたらもっと概念概念するのだろうし、紀貫之が日記にしたら、どうなるんだろう、とりあえずやたらと女性っぽくなるのかな。わからんけども、なんかそんな感じで人格に影響が出ると思うんだよな。

 

こないだ、複数人で遊んだあと、同じ出来事を複数人が別々に書いていて、それがまあバラバラなことを書いていて。誰も嘘はついてないんだけど、切り取る箇所がほんとにバラバラで。俺は長いこと、人間の個性なんてそんなもん大差はないよね、際だって変わり者なひとは置いといて、ほとんどのひとは似通ったパターンのなかで分散してるだけだよね、みたいに思っていた。でもここ最近はその認識が変わってきてる感じがあって、人それぞれ見えてるものはほんとに違うのかもな、と思うようになってきた。たぶん、「自分と似ていないひと」とよく遊ぶようになったからだと思う。そういう、違うところを切り取るひとたちと遊ぶのは、楽しい。一緒に遊んで楽しいし、後から読んで楽しい。こんなにも違ったモノの見方をするのに、一緒に遊んで楽しいって、なんて凄いことなんだろうと思う。闇に光る夜霧、虹か魔法か、あるいは奇跡か、そんなふうに思ってやたらとグッときてしまう。いますごくグッときてる。

 

行き当たりばったりで文章を書くとよくわからんとこにたどり着いたりするので楽しい。少なくとも僕は楽しい。きょうはその見本みたいな文章が書けてとても楽しい。何かを書こうとは思わずに書き出して、指の動くままに言葉を転がして転がして、その先に何が出てくるか、書いてて楽しいのはそういうのだと思うんだよね。言いたいことをズバッと書いたり、言葉にならないモヤモヤを言葉にしたり、そういうのももちろん気持ちいいんだけど、全くの手癖だけで書き始めて、書き始めたときには思ってもないような文章が出来上がる、っていうのはほんとに興奮する。自分の中に自分じゃないひとを見つけたみたいで、とても嬉しくなる。でもそこで見つかるのはやっぱり自分でしかなくて、まだ見たことのない自分の横顔を見るような、すごく不思議なエモさがある。ほんとうに読み返して楽しくなるのは、こういうときなんだよねー。

 

長い文章をサクサク書けると楽しいな。

もう寝よう。そう書いてすんなり眠れたことはないのだけれど。とりあえず床につこう。

おやすみなさい。 

誰も怖い夢を見ませんように。