夏、スパイス、ピチカート
金曜日。夏。
「だけど私は 愛されてる それは私がかわいいから」
「気のきいた男の子 この街にはいないかも」
「飛行機に間に合えば それはそれでいいんじゃない」
野宮真貴さんの気怠げで毅然とした矛盾する歌声を聞いていたら、なんだか自分が最高にかわいくてオシャレでわがままで気まぐれな女の娘になったような気になって、新宿通りがサンセット大通りに見えてきて、アステアみたいにステップ踏んで(るつもりで)歩いた。
実際にはさえない中年のサラリーマンが歩いて帰宅してるだけなんだけどさ。
1日だから映画でも見よか、と思って予約した映画には間に合わなかった。
飛行機じゃないからね、映画には間に合わなくても、それはそれでいいんじゃない。
帰宅して、また出かけて、軽く飲んで、もっぺん帰宅してカレーを作る。
チキンとズッキーニのカレー。
夏っぽい爽やかさが欲しくて、クミンシードとホールのカルダモン、それとチリペッパーを多めにしてみる。
スパイスはイスラム横町に行けば馬鹿みたいに安く買えるから、ケチらずドサドサ使える。
スパイスって量の加減がわからなくて使うの尻込みしてたんだけど、「インド人は分量なんて考えてません、全部テキトーです」というレシピを見て深く納得し、それからフィーリングで使うようになった。
インドカレーだからね、これでいいんだよね、たぶん。
狙い通りの爽やかなカレー。
もう少しカルダモン増やしてもいいな。
レモンしぼって酸味を増してみるのもいいな。
しかし何故こんなにしょっちゅうカレーを作ってしまうのだろう。
何かの代償行為なのかな。
さみしさの埋め合わせとしてのインドカレー。
心の隙間を埋めるスパイス。
花言葉みたいに、スパイス言葉はないのかな。
クミンシードのスパイス言葉は「憐憫」です、カルダモンは「心の壁」、ターメリックは「溢れ出る愛」ですね、なんて。
そうするとインド人がやたらとエモい民族だってことになるね。
インド人もビックリ。
何だっていいか。
動機がなんであれ、出来上がるカレーは美味しいのだ。
だってカレーは美味しいから、遊んで暮らせるなら、それはそれでいいんじゃない?