bronson69の日記

いつか読み返して楽しむための文章。

犬、プリ・スクール、夏野菜

水曜日。
ついさっきまで、朝からずっと、火曜日だと思い込んでいた。
 
少し汚い話。

会社から歩いて帰宅する道は、市民ランナーのランニング・コースになっていて、歩いていると年齢も国籍も様々なランナー達とすれ違う。きょうすれ違った白人の女性は、黒いレトリーバーを連れて走っていた。犬を連れて走る人はそう珍しくもないけれど、珍しいことに、その犬は走りながら糞をしていた。犬は止まって軽くしゃがまなければ糞ができない生き物なのだという思い込みが覆された瞬間だった。女性と犬は糞を気にも止めず、もしかしたら気づくことさえなく、そのまま走り去っていった。後には糞が転々と残されていた。さながらヘンゼルとグレーテルのパンくずのように。

 
歩くときは、いつも音楽を聴いている。きょうは何を聴こうかとスマホの画面に指を滑らせ、スクロールして、スクロールして、上下して、久しぶりにプリ・スクールを聴くことにした。プリ・スクールの1stアルバム、「ピース・パクト」の、中でも一番好きだった曲、「A Sad Song」をリピートで再生した。
童心のように跳ねるピアノ、反抗的でワガママなギター、マザー・グースのような歌詞。なんていうのかな、いまの自分にとてもちょうどよかった。ともすればすぐに内省的になってしまう、重たく貼り付いた感覚を少し軽くしてくれるような、歩く速度が少し速くなるような、そんな感じ。こういう抜けの良さみたいなの、最近味わってなかったな。家までの道のりを久しぶりに気持ちよく歩いた。
 
夕飯にはラタトゥイユを食べた。一昨日、眠れずにまんじりとしているとき、Twitterで誰かがズッキーニとナス、という言葉を呟いていた。それを見て、ふいにラタトゥイユが食べたくなった。大抵の場合、こういう深夜の思いつきは、翌日には消えて無くなっている。でも今回は違った。翌朝になっても、僕はラタトゥイユを食べたかった。仕事を終えて、夜になってもまだ食べたい気持ちが残っていたので、材料を買って帰った。ズッキーニ、ナス、パプリカ、玉ねぎ、トマト。それにチキンととろけるチーズ。全部を細かく切って、ミネストローネのようにするのも好きなのだけれど、今回は野菜を大きめに切ることにした。ズッキーニとナスは輪切りに、玉ねぎはくし型にしたのを半分に。パプリカだけは賽の目に切った。パプリカはいちばん真っ赤なのを選んだ。赤いパプリカと緑のズッキーニが並んでいるだけで気持ちが弾んだ。僕は暑いのが大嫌いなので、夏は好きではないのだけれど、「夏野菜」という言葉だけは、とても素適だと思う。ラタトゥイユが好きなのも、半分くらいは、夏野菜を買い集め、ひとつところに並べて切っていく、その工程が好きなのかもしれない。
そうしてラタトゥイユを作り、作ったことに満足して食べずに寝たのが昨日のこと。食べたのはきょうの夜。だから、ラタトゥイユのことを思いついてからラタトゥイユを食べるまで、三日かかったことになる。平野レミならこの間にいくつ料理を作るだろう。でも料理なんてのんびり作るくらいでいいのだ。テレビカメラのないところでは、平野レミだってきっとそうしてるよ。
 
珍しい犬と、懐かしい音楽と、それから夏野菜。
なんかちょっと軽くなったような気分。
あとはぐっすり眠れれば完璧だな。