bronson69の日記

いつか読み返して楽しむための文章。

夢、解毒、モッシュピットのほんとの感想

引き続き風邪で寝てる。
仕事は休んだ。
きょう一日でスパッと治さんとなー。

休んでヒマだからだらだらと長文を書く。

朝から、というか昨日の夜からひたすら眠ってる。
といっても連続して眠れるのはせいぜい1〜3時間ってとこで、何度も何度も目を覚ます。
目を覚まして、シャツを着替えて、水を飲んで、また眠る。
眠りが浅いせいか、やたらといろんな夢を見る。
しょーもない夢ばかり。

築地に行って、巨大なマグロ冷凍庫に入り、一番奥の扉を開けるとそこはマツコ・デラックスの家。
入り口のドアを開けてすぐ、大きなホールがあって、赤土むき出しの斜面が広がっている。
天井はガラスの半球のドーム。
見える景色は「火の鳥」の核戦争後の荒野。
マツコ・デラックスは猿田博士が乗ってたような、移動式のコントロール・チェアみたいのに座って空中をすべるように移動している。
俺は昔の彼女とその友達(15年前に一度会っただけ)と三人で、斜面をそろそろと登っていく。
でも赤土がズルズルすべってなかなか登れない。
マツコは高いところで待ってる。
ここまでこれたら話を聴いてやる、みたいな態度。
俺には別に話したいことなんてないんだけど。

日テレ主催のドーム・コンサート・ツアーに行く夢も見た。
EXILEとか、米米クラブとか、TMNとか、わけのわからんブッキング。
女友達がタダ券もらって誘ってくれて、二人で入った。
会場は謎のタワーになってて、なんかスター・ウォーズのストームトルーパーみたいな警備員がウロウロしてる。
我々の席は最下層で、ライブは見上げても見えないくらいの高いところで行われてる。
最下層の雰囲気は、なんだろなあ、ブレードランナーのうどん食ってるところみたいな感じ。
そこからは四方八方に階段が出てる。
俺はおとなしく席に座ってたんだけど、女友達が上に行こうというので、ストームトルーパーの動きのパターンを把握して、監視をすり抜けどんどん上に行く。
内階段、外階段、ボイラー室、楽屋、スタッフルーム、花火の打ち上げ会場、いろんなとこを通り抜けて、最上段までいったら24時間テレビの武道館だった。
演者もスタッフも観覧者も、みんなあの黄色いTシャツ。
黄色じゃないのは我々だけ。
敵意のこもった視線がその場の全員から寄せられる。
逃げろ!と叫んで散り散りになって走る。

他にもたくさん見たけど覚えてるのは二つだけ。
夢だから取り留めもないし、面白いオチもない。
ほんと、しょーもない。


ハバナイのライブに行けなかったのが悔しくて、Twitterはてブも見る気になれない。
だからデジタルデトックス中。
でもさあ、デトックスって毒を出すことでしょ?
だったら、デジタルデトックスって、ブログやらTwitterやらに愚痴を書くことなんじゃないの?
なんでネット断ちがデジタルデトックスなの?
デジタル断食とかのが正しくない?


ブログって、見られたいのか見られたくないのか、みんなどっちなんだろうね。
俺はどちらかというと見られたくないんだ。
じゃあ公開しなければいいじゃん、ってなるんだけど、そこがなんか難しいところで。
イメージとしては、なんていうのかな、海にメッセージボトルを投げてるみたいな感じかなあ。
「自分の言葉が誰かに届くかもしれない」って、その可能性だけは欲しいんだよね。
でも、いざ誰かに届いてしまうと、恥ずかしくなったり、視線を意識してしまったりして、自由にモノを書けなくなる。
みんな、この不自由さってどうしてんだろ。
それともそんなん気にしてんの俺だけなのかな。


このダラダラに紛れて「モッシュピット」の本当の感想を書いておこう。
前にも書いたんだけど、そんときは、ネガティブなことは書かなかった。
お客さんたくさん入ってほしかったから。
ハマジムの経営のためにも、5/25のハバナイのワンマンのためにも。
ワンマンが終わったら、ほんとの感想を書こうと決めていた。

映画は、評価が難しかった。
まず、監督がこの映画を撮った目的がわからなかった。

面白い映画を撮りたかったのか?
東京アンダーグラウンド」に注目を集めたかったのか?
そこに集まる人間を描きたかったのか?
ライブの集客が目的だったのか?
「あの季節」の記念写真を残しておきたかったのか?
実際の映画には、すべての要素が含まれていて、すべてが中途半端だった。

映画は群像劇で始まる。
背景説明があり、ファン、出演者、関係者、たくさんの人をたくさんのカメラで追い、その言葉を集めていく。
それぞれの抱える背景を、思いを、物語を紡いでいく。
そしてライブ当日。
強度の強い、カッコいいライブの映像。
そしてライブが終わり、浅見北斗が少しだけ語って、映画は終わる。

え?と思った。
前半、たくさん集めた思いは、物語は、どうなったの?
このライブは、みんなの物語の中でどんなふうに位置づけられてるの?
みんなに何をもたらしたの?

ドキュメンタリーだからって、馬鹿正直に現実をそのまま描く必要はない、と俺は思ってる。
エンターテイメントである以上、事前にストーリーラインを描いておくのは当たり前だし、それを描くのに必要な言葉や絵を引き出すために、監督は状況をコントロールしなくてはいけない。
こないだの月刊平野勝之で見た「プライバシーゼロ」はその教科書みたいな作品だった。

モッシュピット」には、そういうアウトラインはあったのかな。
岩渕監督は、ジャーナリズムに寄りすぎてるんじゃないかな。
「物語のような現実」を捉えるばかりがドキュメンタリストじゃないと思うんだよ、「現実をコントロールして物語を作る」ことも必要だと思うんだよ。
そうじゃないと、エンターテイメント性のあるドキュメンタリーって、なかなか撮れないんじゃないかな。

ネイチャーからメグさんが辞める。
そのエピソードとリキッドのライブをどうしてもっと関連付けてくれなかったのか。
「メグさん、リキッドのライブが最高になったら、ハバナイ!よりいいライブができたら、辞めるの辞めなよ」こんくらいの言葉をさ、誰かに言わせればよかったじゃん。
おやホロのオタを出すならさ、「結局ハバナイ!のオマケになるのが気に食わない、『エメラルド』が最高のハイライトになるように、そのときは死にものぐるいで盛り上げてやる」とか言わせればよかったじゃん。
みんながリキッドに勝負を賭けてる、みたいな状況を作ってさ、浅見北斗には「でもここはもう通過点だから、今夜のパーティは成立した時点で終わってるんだよ」くらいのことを言わせればよかったじゃん。
そしたら、起承転結が出来上がるじゃん。
もちろんライブが「転」ね。

たぶん、事実はあの映画の通りだったんでしょ?
ただ、みんながワクワクするライブがあって、それとは関係なくメグさんが辞めて、期待を超えたすごいライブがあって、いやヤバかったね!ってみんな帰っていった、それが起きたことだったんでしょう?
でもさ、それってつまらないじゃん。
それをそのまま描いたら、ただの記録映像じゃん。
記念写真じゃん。
記念写真なんて、そこに写ってる人にしか興味ないじゃん。
だったら、ヤバかったライブの映像と音だけ、爆音でスタンディングで酒飲みながら流す方がずっといいじゃんよ。

たぶん根本は、岩渕監督の人の良さにあるんだと思う。
出演者に対して、誠実すぎるよ。
もっと悪魔的になろうよ。
嘘ついてもいいじゃん。
出演者から恨まれてもいいじゃん。
こんなこと思ってなかったよ、編集でそんな感じに仕立て上げられてるだけだよ、そう言われてもいいから、現実をコントロールして、欲しい絵を抑えて、巧みに編集して、面白い物語を作ろうよ。
それがドキュメンタリー映画と記録映像の違いでしょう。

あとたぶん、スタッフの組織のあり方にも難しいとこはあったんだろうな、と思った。
カメラ17名、多くが先輩。
現場は分散。
監督は若手。
この手の仕事は、リーダーが独裁者にならないとうまく行かないことが多いけど、それは難しかったんだろうなあ。
撮りたい絵をきちんと指示できず、イメージの共有も中途半端なまま、散らばって撮影してたら、そら素材も揃わないよね。
ストーリーのない、ただ絵力のある場面のつなぎ合わせになるのも無理はないよね。
そう考えると同情もしてしまう。
大変でしたね、岩渕監督。

俺は記念写真に写ってない人間だから、余計にそんなふうに思ったのかもしれない。
でもね、駄作ではないと思ってる。
だって、あのライブの映像は、記念写真であっても、最高にカッコいいから。
あの最高のシーンがあるから、評価が難しいんだよな、ほんとなー。

あー、昨日のライブ行けなかったのが改めて悔しくてたまらない。
タイムラインにはまだライブの感想が溢れてて、悔しすぎるからまだTwitterが見れない。
吐きそうに悔しいよ。

ダラダラした記事はこうして唐突に終わる。
じゃあね。