bronson69の日記

いつか読み返して楽しむための文章。

読めなかった本のこと

湯川玲子✕二村ヒトシ「日本人はもうセックスしなくなるのかもしれない」を購入。
数ページ読んでひとまず挫折。
いまの自分のための本じゃなかった。
10年、せめて5年前に読みたかった。

「セックスしたい」という気持ちがなくなって、どれくらいになるだろう。彼女がいたときも、触れあったりじゃれあったりするのは好きだったけど、セックスはあまり求めていなかった。甘えたり甘えられたり、求めていたのはそういう親愛の情の表現であって、性欲はお互いごくたまにしか湧かなかったんじゃないかな、たぶん。
だからといって彼女以外の誰かに欲情したりとか、そんなこともなくて、本当に枯れていた。いつからそんなふうになったんだろう?若いころはそうじゃなかった。人並みに性欲はあったし、それなりにいろいろと試したりもした。ほんと、いつからなのかなあ、興味を持たなくなったのは。
本当はやりたいと思ってるくせに、「どうせ俺なんてセックスにありつけないから」「セックスして笑われるのがこわいから」みたいな、いわゆる酸っぱい葡萄のロジックで忌避してるだけなのか?とか検討したりもしてみたんだけど、そういう訳でもないみたい。自分の心を探ってみても、(本当はやりたいんだけど)ってカッコ書きが見つからない。だから、本当に心のインポテンツになってるっぽい。そのくせ人生でいまが一番AV見てるんだよな。エロいシーン早送りだけど。何してんだろな、ほんと。

性欲についてはそんな感じなんだけれど、恋愛についてはどういう態度をとるか決めかねている部分がある。どういう態度をとるか、ってのも妙な物言いだけど、モノの本を読むと、「恋愛は市場取引であり、あなたは商品である。まず、その市場に参入するか決めよ。参入するならば、可能な限り魅力的な商品になれ。そして、自分が何を対価として求めているのか、見定めよ」とまあ、こんなことを言われるわけで。なので、まずは土俵に乗るかを決めないといけないらしい。「いや、あの、そこは流れで…」ってオドオドしていたいのは山々、しかしそんなこと言ってるとあっという間に引退、断髪式が待ち受けているらしい。えー。困る。
なので、ここんとこ、自分は恋愛したいのか?結婚したいのか?パートナーがほしいのか?ほしいならいつ?みたいなことをよく考えてる。でも、何度考えても「好きになるときゃ自然に好きになったりするんじゃないですかね…」みたいな曖昧模糊とした答えしか出てこない。曖昧模糊とはしているが、論理的にも直感的にも、たぶんこの答えで正しいんじゃないかと思う。思うんだけど、悩む。
悩むのは、商品としての自分に自信がないからなのかなあ。なにしろさあ、恋愛市場から離れて16年だよ、俺。20代と30代の前半、物好きな彼女とふたりで過ごしちゃってたんだよ。ブランク長いし年くってるし、いきなり土俵復帰!ほらほらしっかりまわしを締めて!覚えてるでしょ雲龍型!行くよ土俵入り!ってなんで横綱なんだそれは横審が黙ってないだろ、って状況に放り込まれてもさあ、それはやっぱり怖いわけで。
怖いので、自分の価値を点検すると、まあ良くない部分しか見つからない。たぶん思考の癖みたいのが悪い方向に出てる。必要以上に自分を過小評価してる(んだったらいいな)と思う。ただ、癖で自分を悪く捉えてるのか、客観的に悪いのか、わからないのがまた困ったもんで。第三者委員会みたいのに評価してほしい。「仲の良い男友達」は第三者委員会の資格を持たないんだよなあ。友達少ないとこういうとき困るなあ。
あれ、でも何かおかしいな。「商品としての自分に価値があると確認できたら、恋愛市場に飛び込みたい」そんなふうに思ってんのかな、自分。うーん、思ってないな、そんなこと。「市場価値が低いと思ってる、不安である」これは真だ。でも、「だから市場に飛び込むか否か決められない」は真じゃないぞ。
見つめるべきは動機と目的で、手段としてそれが可能か否か?ではない。もちろん、いざその気になったときに困らないよう、市場価値を高めておくのはよいことだろう。だけれどそれはあくまで副次的なことであって決断の理由にはならない。と思う。

で、話はぐるっと回って、恋愛したいのか?ってとこに戻ってくる。うーむ。

一人暮らしは思ったよりずっと楽しい。いまのところ、性欲はほとんどない。だからその方面では困ってない。寂しさもほとんど感じてない。子供はいてもいなくてもいいと思ってる。「結婚しなきゃ…」って社会的プレッシャーも焦りもない。ただ、一生ひとりでいいの?と言われると狼狽える。

ここだな。なんで狼狽えるんだろうか。

たぶん、好きなひとと一緒に過ごす生活が、自分にとって素晴らしいものだったから、だ。あんなふうな素晴らしい時間を、いつかまた過ごしたいという気持ちがあるからだ。

ケンカやなんや、いやなこともそりゃあったし、相手がどう思ってるかはわからないけれど、少なくとも自分にとっては、好きなひととの生活は素晴らしいものだったと思う。おかげで色んなことを学んだ。良くも悪くも変化した。生まれ変わっても、またあの時間を過ごしたいと思える。たとえ同じように別れるとしても、もう一度、と。

となると、次に出てくる問は、「どんなひとと過ごしたいの?『好きなひと』ってどういうひとなの?」だな。うーむ。難しい。
一緒にいて楽しい、は当然として。そのうえで、好きになるかどうかの境目ってなんなんだろうか。
その前に思考実験。「好きなひと」じゃないとダメなのか。一緒にいて楽しいけれど好きではない、仲の良い女友達みたいなひとだったら、どうか。どうかなー、たぶん無理だな。相手を受け入れるキャパがどうしたって小さくなる。愛情を注ぐのが難しい。甘えないだろうし、甘えられても困るだろうし。うん、これは無理だ。
となるとやっぱり、「いつかまた、『好きなひと』と親密な暮らしをしたい」が自分の望みなんだな。ここで、自分が惚れやすいひとのタイプとか、恋愛の癖みたいのが分かってるといいんだろうけど、サンプル数が少なすぎてよくわからんのだよなー。んー。仕方ないかー。

そうすると、やはり、「ことさら意気込んで恋愛市場に参入する必要はないが好きなひとが出来たときのことを考えて痩せたり貯金したりしつつ、ちゃんと働いて、遊んで、楽しく暮らす」が当面の方針としては正しい、ってことになんのかな。
そっか、やっぱそうなるか。

おかしいな、本を買ったけど挫折した、ってそれだけの話だったはずなのに、気がついたら自己分析になってた。そんだけ関心が高いんだな、自分。どうしていいかわからんのだなあ。

ババババッと書いたらなんか整理されてしまった。
うーむ。複雑。
ヨーグルト食べて寝よう。
そろそろ胃痛よくなるといいなあ。