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bronson69の日記

いつか読み返して楽しむための文章。

難しい

作品を世にはなったらそれはもう世間一般の共有物。

だから作品を味わった人は褒めるのでも貶すのでも好きに感想を表明して構わない。
その感想について誰かが何かを思えば、世に放たれた「感想」もまたひとつの作品であるから、好きに感想を言えばいい。
そうやって百花繚乱の議論の花が咲けばいい。
論を戦わせるのは楽しいけれど、違いをはっきりさせればそれで終了、相手を打ち負かしたり折伏したりする必要はない。
ずーっとそんな風に思っていたし、いまもそう思ってる。
 
ただ、なんかなー、罪悪感みたいのを感じるんだよな。
 
好きなものについて、「こういうところが好きだ、こういうところが面白い」と事細かに書く。
好きじゃないものについて、「ここが好きになれない」と正直に書く。
何にも悪いことはない、そう思うんだけど。
 
どちらにも、罪悪感によく似た、モヤモヤを感じてしまう。
 
後者はまだわかるんだ、自分にとっては面白くなくても誰かにとっては大切な作品だったりすることはよくあることで、そういう人からしたら酷評なんて見たくもないだろうし、そのくらいの想像力は俺にだってある。
だから悪い評価はなるべく書かないようにしているけれど、たまに書かずにはいられないときがある。
それは大抵、自分の中の敏感な部分に触れてくるような作品だったりするから、どうしても黙っていられなくなってしまう。
で、ダーッと書いてしまって、罪悪感で凹んだりする。
でもこれは、仕方ないと思うんだ。
だって、書かずにはいられなかったんだから。
 
よくわからなくて戸惑うのは、褒めてるのに罪悪感があるパターン。
なんだろなあ、「書きすぎた」って気持ちがあるんだよなあ。
「ネタバレ注意」ってがっつり書いてあるし、そもそも書いてあるのはシャマラン映画のオチみたいなことではなく、たかだか俺ひとりの解釈、モノの見方なわけであって、そんなもん別にいくら書いたって構わないはずだ。
そう判断したから書いたんだけど、何でだろう、書いてからずーっと罪悪感に苛まれてる。
 
この罪悪感の正体がわからなくて、ずーっと気持ちが晴れない。
なんなんだろう。
 
アレなのかなあ、自分が書いたことがシャマラン映画のオチみたいなもんだってどっかで思ってんのかなあ。
あれが正解だ、自分の見方が真実だ、みたいな思い上がった気持ちがあるのかなあ。
 
だったら余計に恥ずかしくて死にたくなるな。
あ、でもいまこれ書いてたら罪悪感ちょっと薄まった。
ってことはオレ本当にそう思ってんのかな。
うひー。恥ずかしー。
日本が銃社会じゃなくてよかった、発作的に銃口くわえて引き金引くところだった。
 
我ながら面倒くせえこと考えてんなあ。
はあ。
 
チョコレートでも食べよう。
寝よう。