ジョン・ウェイン・ゲイシーの幸せ
年度末。
それなりに遅い時間に帰宅して、簡単に食事を済ませて、シャワーを浴びる。
髪を洗いながら、いつのまにかジョン・ゲイシーのことを考えていた。
通称、殺人ピエロ。
アメリカのイリノイ州に生まれ、父親から凄惨な虐待を受けて育つ。
事業家として成功し、街の名士として認められ、高校の同級生と結婚し二児の父となる。
休日には福祉施設を訪れ、子供たちのためポゴって名前のピエロに扮した。
彼は異常性愛者だった。
33人の少年を強姦し、殺し、床下に埋めた。
彼の家の床下は腐敗した死体で溢れ、溜まったメタンガスや細菌は捜査員たちを大いに苦しめたという。
もっと詳しく知りたいひとがいたらwikiでも見てほしい。
これよりもっと悲惨で非道なエピソードが転がってる。
知れば知るほど胸糞が悪くなる話だ。
頭をずぶぬれにしながら、ずーっと考えていた。
ジョン・ゲイシーは、どのように生きるべきだったのか。
殺人鬼ではない、異常性愛者でもない、もっと普通の人間として、幸せになる方法はなかったのか。
ゲイシーの心には、きっと暗くて大きな穴が開いていた。
生まれつきだったのか、虐待によって育まれたのか、悪魔にでも憑りつかれたのか。
理由はわからない。
でも理由なんてどうだっていい。理由には興味がない。
俺が考えていたのは、キチガイの異常性愛のサイコパスとして育ってしまったゲイシーが、異常性愛のサイコパスのまま、人を殺さず、幸福になるにはどうすればよかったのか?ということだ。
巨大な心の穴を抱えた彼が、心の穴を上手くやり過ごしつつ、家族と、あるいは一人で、幸せに暮らしていくには、どうすればよかったのか。
誰か立派なひとが言ってた。
大人になったら、自分の歪みを誰かのせいにしてはいけない。
自分の人格に責任を負わなければいけない。
心の穴を直視して、欠点と向き合って、注意深くならなければいけない。
他人に迷惑をかけないようにしなくてはいけない。
自分の穴埋めのために誰かを利用することがあってはならない。
自律した人間だけが、別の誰かと幸福な関係を築くことができる。
正しい。まったくもって正しい。
本当にその通りだと思う。
ゲイシーはなんていうだろう。
父親から殴られ続け、「お前は将来カマ野郎になるんだ」呪詛の言葉を浴びせられ、
実際に少年に惹かれていく自分に怯え、男娼を買うようになり。
そんなゲイシーに、同じ言葉をかけられるひとはいるのだろうか?
ゲイシーにとって、この「正しい」言葉は、死刑宣告に聞こえるだろう。
本当の自分と向き合い、闇を直視し、そこに見える自分の姿は、異常性愛のゆがんだ男。
ああ、オレは一生、正しくなんかなれないんだな。
オレはオレの責任でオレ自身の歪みを引き受け、ひとりで生きていくしかないんだな。
それが「正しい」対応なんだな。
そんなふうに思うんじゃないか。
物心ついたとき、「正しくない」人間になってしまっていたら、そういうひとはどうやって幸せになればいいんだろう。
何度考えてみてもわからない。
ブルーハーツでも聞いてれば少しは変わってたのかな。
ロクデナシのための、くそったれの世界のための歌。
終わらない歌を歌おう、くそったれの世界のため
終わらない歌を歌おう、すべての屑どものために。
ライブに行って、優しさに触れて、ポゴダンスでも踊っとけば、殺さないですんだかな。
会場であったかわいい女の子(あるいは男の子)といい仲になって、おっさんなってもライブに通い詰めてたりしてたかな。
そしたら、ピエロの絵も、もっとちゃんとした笑顔になったりしたんだろうか。
そんなことを考えながら、ずーっとシャワーを浴びていた。
普通に貯めたら浴槽が一杯溜まるくらいのお湯が流れていった。
自分の幸せはどこにあるんだろう。
心の穴か。
怖くてそんなの見れないよ。
あしたは年度初めの日。
朝の電車は初々しさで溢れてるんだろうな。
たくさんのみんなの門出の日だ。
きれいな天気だといいな。
せっかくだから、ねえ。