bronson69の日記

いつか読み返して楽しむための文章。

豊田道倫、それからジャーク・チキンのこと

hmjm音楽映画祭@ユーロスペース
三日間のうちの二日目。
ほんとは全日程行きたいくらいだったけど、仕事とか友達の芝居とか何やかんやがあって、結局二日目しか参加できなかった。

この日はカンパニー松尾監督のライフワークである、豊田道倫さんの映像集の上映と、豊田さんのLIVE。

豊田さんがまだパラダイス・ガラージと名乗っていた頃、アルバムを一枚だけ購入したことがある。
たしか俺が18か19の、東京に出てきてすぐくらいの、90年代の終わりかけの頃で、新宿のタワーレコードで買ったんだったと思う。
当時の自分にはいまいちピンと来なかった。
まだ修行が足りんのだな、こういうのをいいと思える耳を養わないといけないんだな、そんな風に思ったことを覚えてる。
あの頃は、ずいぶん気負って音楽を聴いていた。

豊田さんは、不器用な身体を持った人だった。
立ち居振る舞い、発声、ギターを操るその動き。
自然体が存在しない、どこにいても異物でしかない人だった。
青山で、京都で、西成で、岐阜のショッピングモールで、渋谷のクアトロで。
どこか居心地の悪そうな、どこか浮いた空気を身にまとった豊田さんがそこに居た。
だから、豊田さんはどこにいても圧倒的に豊田さんだった。
歌う唄はすべて自分のことで、鳴らすギターはすべて自分の感情で、それがあえてなのかそれともどうしてもそうなってしまうのかはわからないけれど、とにかく観客が受け取るのは、剥き出しの豊田道倫そのものだった。
まるでアウトサイダー・アートのような剥き出しさ。

そう思って見ていたら、スクリーンの豊田さんが、デビューの頃と今との音楽性の違いについて、こんなことを言っていた。
「ノイズのほうが、自分に近くなる。日記を書いたり、自分のことを言えば言うほど、自分と遠くなる。そこがいい。」

豊田さんは、何をやっても自分自身が垂れ流されてしまう人なんだな。
豊田さんにとっては、内面を言葉にすること、言語化し固定された過去の言葉を改めて唄うことが、いちばん「自分と遠くなる」ことなんだな。
唄わないと整理できないのかな、だからあんなに多作なのかな。
そんなことを思った。

上映後、20分位のライヴがあった。
「ROCK」と書かれたキャップを被った豊田さんは、きょうのステージにとてもしっくりと馴染んでいるように見えた。
曲は覚えていないけれど、とても心地よい時間で、自分がずっと笑顔だったことは覚えている。

終了後、急いで帰って、閉店間際のスーパーに滑り込み、鶏肉とジャーク・ソースを買った。
昼からずっと、ジャーク・チキンを食べたかった。
ジャーク・チキンとは、ジャマイカ風の鶏肉のソテーである。
肉を切り、袋に入れ、ソースに漬け込んだ。
あすの昼、これを焼けばジャーク・チキンを食べられる。
でも、あすの昼の自分は、ジャーク・チキンを食べたいと思っているだろうか。
食べたくなくなっていたら、うっかりビリヤニが食べたいとか思ってしまっていたら、そしたらチキンはどうなってしまうのか。
そのときはそのとき、でしかないことなのだけれども。
こういうの、なんか気になってしまうのだよな。