bronson69の日記

いつか読み返して楽しむための文章。

悪いことをして作った作品に価値はあるか


この件で。


なんかずーっとモヤモヤしてるので、何にモヤモヤしてるのか、書いてみる。

まず、今回の京都市立芸大の件だけでいうと、モヤモヤすることは何もない。セックスワーカーを本人の了解なしに公の場に引っ張り出すなんて議論の余地なくやってはいけないことである。
おまけに、表現としても、何も面白くない。「エロ方面に過激なことやったら偉い」みたいなダメ美大生みたいな発想、クソだっせえから早いとこ卒業したほうがいいよ、としか思わない。

この件は、セックスワーカーを踏みにじる時点でアウトだし、表現的にもつまらない。
わかりやすくダメである。何もモヤモヤするところはない。

では、「社会規範上はアウトだけど、表現としては面白い」ならどうなんだろう。
そうやって作られた表現は、自分にとって、アリなのか、ナシなのか。

細かく語る前に、「面白い」について自分なりにまとめる。たぶん書いとかないと定義警察がくる。
俺は美学も美術史も学んでないので、「芸術性」みたいなものを正しく理解し、評価することはできない。
そんな俺の思う「面白い」は、「自分の感情や世界観を大きく揺さぶってくれるもの」だ。さらに「えっ!おれいま揺さぶられてるけど理由がわからん!こんなところに揺さぶられポイントあったのか!」みたいなものだとより面白いと思う。
ちなみに、感情が揺さぶられる=面白い、というわけではない。つまらない作品もある。俺は「命がけの自己犠牲」を見ると反射的に泣いてしまうけど、だからといって凡百の特攻隊映画を面白いとは思わない。こんなもんそりゃ泣くわな、というだけである。殴られたらそりゃ痛い、と同じような感じ。

話を戻して、「社会規範上はアウトだけど、表現としては面白い」について考える。
そういう表現物って何かあるかな…と考えて思い浮かんだのは、最近見たいくつかのAVだ。カンパニー松尾率いる「ハマジム」のAV。「劇場版501」とか、「テレクラキャノンボール」とか。詳細は省くけれど、頭の中をぐるんぐるんかき回される感触があって、どちらもとても面白かった。

さて、これらの作品はAVなので、作中たくさんの女性がセックスをする。
現在のAV業界は、健全化が進んでいる(らしい)ので、彼女たちは当然、自分の意思で出演契約を結び、契約通りのギャラをもらっているのだろう。少なくとも、肉親を人質に取られ、自分の意に反して出演している女性はいないはずだ。

でも、もし、そうでなかったら?肉親を人質に取られ、脅迫されて、無理やりAVに出演されているのだとしたら?
その場合、これらの作品の「面白さ」はなくなってしまうのだろうか?

俺が言いたいのは善悪とか法律違反とかの話ではない。それは議論の余地がない。脅迫は悪であり法律違反だ。
作品のために被害者が出ることは望まないし、可能であれば止めたいと思う。
そうじゃなくて、不幸にも作品が出来上がってしまったとして、一消費者として俺が感じる、作品の「面白さ」についての話だ。

俺はやっぱり、面白いと思っちゃうんじゃないかと思うんだよな。
そんなことになったら、嫌な気持ちになるだろうし、スタッフのことも嫌いになるだろうし、流通だってさせるべきじゃないと思う。
でも、出来上がった作品は、やっぱり俺の頭の中をかき回すと思うんだよな。

でもこれ、逆に全っ然面白くない作品になったら面白いなあ。同じものを作っても、「悪い」行為の結果生まれた作品だと認識するだけで、面白く感じられなくなるとしたら、そのこと自体が面白いよなあ。

で、こういう考えから、「面白いものが作れるなら悪いことでも何でもやるよ」までは、あっという間だと思うのだ。
うーん。それでいいのか。

ここまで書いて、「こんな誰でも思うこと、先人はもっとなんか考えてるよな」と思って検索したら「犬の餓死」って展示と、そこから派生した増田の存在を知った。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/ギジェルモ・バルガス

増田

これ、もちろん非道だと思ったけど、同時にやっぱり面白いと思っちゃったよ。

結局あれなのかな、表現者は善悪など気にせず処罰も恐れず面白いものを作ればよくて、俺のような一般市民は市民としての規範と法でそれを取り締まればいいのかな。
ほんで、出来上がった作品を見て、なんてこった、酷いことやってっけど面白い、と思っちゃったら、表現者の勝ちってことなのかな。

まだモヤモヤしてるけど、これ以上は書いても書いても何も生まれないような気がする。
うーん。うーん。