bronson69の日記

いつか読み返して楽しむための文章。

待ちながら

いまは水曜の夜。
火曜から胃がおかしい。
ぎりぎりした痛みと殴られたような重だるさ。
何年かに一度、仕事のストレスが限度を超えたときにだけ出る症状。
でも今回は仕事のせいじゃない。
仕事はいたって新年らしく、ゆるやかな立ち上がり。
原因はおそらく映画だ。
劇場版テレクラキャノンボールと、劇場版501。
ものすごい面白くて、ものすごい揺さぶられて、ものすごいかき回されて、回転しすぎた結果が胃にきたらしい。

きょうは完全版501を見ようと思ってたけど、予定を変更して、レコーダーに撮ってあったフォレスト・ガンプを見る。
気立てがよくて少し足りない男が辿る、アメリカの神話。
ややこしくて残酷な出来事を優しい語り口で見せる、アメリカ文学的なフェアリーテイル。

二十代のころ、アメリカ文学が好きだった。
信じられないくらいめちゃくちゃな運命があり、残酷なことと美しいことがまったく並列に起こり、その果てに奇跡のような瞬間が訪れる。
我々はそれをただ受け入れ、人生がおとぎ話であることを知る。

俺は、世界はアメリカ文学的に出来ていると思ってる。
奇跡のような瞬間が、実際にあることを知っている。
けれどそれは訪れるもので、コントロールできるものじゃない。
フィクションなら、物語を奇跡で終わらせることもできる。
でも、ドキュメンタリーじゃそうはいかない。

501には奇跡はやってこなかった。
すべてが完璧であるような、そんな瞬間はついぞやってこなかった。
悲喜劇は際限なく広がり、混乱が転がり、すべてが無様を晒しまくった。
その無様さが、見る人の、俺の心を掻き乱した。
あの未来にも、奇跡のような瞬間がきっと訪れるのだろうと思う。
どれくらい先かはわからないし、そのときカメラがあるかもわからないけれど。

世界がアメリカ文学的に出来ているとして。
ぐちゃぐちゃでフラットな悲喜劇の先に、いつか奇跡が訪れるとして。
どうやって訪れを待てばいいのだろうか。
ぐちゃぐちゃの中を歩いている、いまこの時をどうやってやりすごせば良いのだろうか。

映画を見ながら、氷を入れた安い白ワインを飲む。
引っ越してから、ひとりでも酒を飲む習慣ができた。
たぶん胃にはよくないよな。
けれどやり過ごすには酒がいる。
酒、友人、青空、音楽、歩くこと。
せめて明日は晴れるといいな。
今日のような曇天ではなく。